見出し画像

数学博士と兄の記憶について

『博士の愛した数式』(小川洋子著 新潮社・2003年8月出版)を読みました。

昔事故に遭い、記憶が80分しかもたない数学博士と、家政婦さんとその子どもの物語。家政婦さんが毎日家に行くと、はじめましての挨拶をする博士の姿があります。博士の挨拶の仕方は、「君の誕生日は何月何日かね」「君の靴のサイズはいくつかね」など数字にまつわるもの。数字は博士と家政婦さんの接点を見つける、博士なりの気遣いでした。

そのうち、博士は家政婦さんの顔と名前をメモに記して、家政婦さんは玄関でメモを指差すことで、博士に受け入れてもらうようになります。そこに登場するのは、家政婦さんの息子。博士と家政婦さんの何気ない会話のなかで、「息子」がいるという話になり、博士から「子どもはひとりでほっておいてはいかん。すぐに連れてくるように」と急かされるがまま、息子は学校から直接、博士の家に帰ってくるようになります。

博士の子どもへの愛情はとても深い。子どもがいることがこの世で最もすばらしいこととでも言うように、無限の愛を注ぎます。息子の頭を撫でながら、「君はかしこそうな頭をしとる。名前は√(ルート)だ」と名付けて、ルートのためなら、一番大事な数学の思考の時間も中断して、ルートに捧げるのでした。

数学の美しさ、博士のルートに対する無限の愛、そして三者の心温まる日々など、素晴らしいことがたくさんあるこの本で、私が一番好きだったのは、博士が記憶をなくすので、手間暇かけて記すメモでした。

博士は、毎日着る背広(博士は年中背広を着て過ごします)に、大切なメモをクリップで止めています。おかげで背広はメモだらけ。博士が動くと、メモがカサカサと音を立てます。メモに書かれているのは、大事なことばかり。そして一番大事なこと(たとえばルートの誕生日)は、最も目にする位置に止めるのです。

私はこの博士の行動が愛おしくて堪りませんでした。
なぜなら、私にも記憶が不自由な兄がいて、彼にとってのメモの存在は、私が想像できないほど大きいもの。そのメモには、毎日のルーティーンの他にも、たとえば今の季節だと、「洗濯ものを取り入れるときには、花粉を払うこと」というように、学んだことや教えてもらったことも書いています。

そしてさらに、人に言いたいこともちゃんとメモをしてある。今日は「外出するときにファッションチェックしてくれてありがとう」と言われました。こちらが忘れてしまう些細なことも、彼はメモしてちゃんと伝えようと努力している。1日のハイライトとして、帰る間際に伝えてくれるのです。

博士のメモにも、同じように、ルートに感謝したいことや、プレゼントを隠した場所などが書かれていました。博士や兄にとって、メモは日常を支障なくこなすための補助であり、より賢く効率良く生きるための道具でもあるが、それら以上に生きている証であって、人への気遣いそのものです。

私にとって、noteはメモのようなもの。ちゃんと、人と生きてきた証をこれからも記したいと思いました。

P.S.
私もハリーポッター好きだよ。子どものときに読んだファンタジーってずっと忘れないよね。この前、焼きとんを美味しく食べられてよかったな。今度の焼肉楽しみにしているよ。

とね


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?