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私だけに独り占めさせてよ



列をなすテールランプ。


9時35分。


道を間違えちゃったから、

すでに10分ビハインドなのに。


日曜の大通りは車で賑わって動かない。


いつもならなんとも思わないけど、


今日は1年間アプローチしてた

あなたと初めてのランデブー。


あなたに会えるってドキドキと、

約束に遅刻するかもっていう焦りから、


全然進まない僕の車とは違って、

鼓動のペースはアクセル全開だ。



9時45分。


やっとの思いで長い渋滞から抜け出して、

ギリギリ行き違えるくらいの狭い路地に入ると、

待ち合わせ場所の公園が見えてくる。


自分の方向音痴さと

道が賑やかだったのが相まって、

約束の30分前には着く予定だったのに、

もう15分前になってしまった。


そんなことを考えながら、

ハザードランプを点けて道の端に路駐して、

シフトレバーをパーキングに入れる。


まだ誰も乗せたことのないワーゲンは新車の香りで満ちている。



あなただけに乗って欲しいから、


助手席はずっと空けていた。



でも僕が方向音痴だから、助手席のあなたには道案内してもらわないといけないけど...。



気分転換にワーゲンの扉を開けると、

もう桜の季節だっていうのに、

身を震わせる風が吹き付ける。



「さっむ...。」



あとちょっと時間もあるし、

あったかい飲み物でも買っとこうかな。


気の利く男にならなくちゃね。



近くのカフェに寄ってみると、

そこは都会の小洒落た雰囲気を纏って、

こんな機会がなければ無縁だっただろうお店。


日曜だからか列はそこそこできていて、

場違いな男も1人列をなす。


自分の番はジリジリと近づいて来て、

メニュー表を見てると、色んな種類のコーヒーに心が躍る。



ちょっと待てよ...。



そういえば一ノ瀬さん

コーヒー嫌いだったよな...。



「ご注文はいかがなさいますか?」


そしたら急に店員さんの声が響くから。



〇〇:あ、アールグレイ2つでお願いします。



なんて咄嗟に声を裏返してしまった。



9時52分。


店員さんからカップを2つ受け取って、

おろしたての新車に戻る。


香るアールグレイと、立ち昇る湯気。


さっきの注文のダサさに恥を感じながら、


ルームミラーで、何回も身だしなみを確認して、

大好きなあなたが来るのを待ってたら、



コンコン。



優しくドアが叩かれると、


ずっと隣に座って欲しかったあなたが、

窓を隔てて立っていた。


美空:お待たせしちゃってごめんね?


ドアを開けると、あなたはちょっと申し訳なさそうに両手を合わせる。


〇〇:全然待ってないよ。ちょうど今来たところだから。


気を使わせないように。

気張っているのを見抜かれないように。


〇〇:どうぞ。


ずっと隣に座って欲しかったあなたを、助手席に招く。


美空:失礼します。




長く透き通った髪。




彫刻みたいな横顔。




鼻腔をくすぐる香り。




隣に座るあなたとの距離の近さに、


僕の鼓動は加速するけど。



〇〇:...外、寒かったでしょ?

〇〇:これ、あったかい紅茶。


でもそんなことは悟られないように、

なるべく自然に振る舞うように意識して、


〇〇:できたてで熱いから... 気をつけてね?


あなたに熱い紅茶のカップを1つ渡す。


美空:ありがとう。小川くん。



熱そうに指先でカップをつかんで、



美空:いただきます。



ふーっと優しく息をかける。



カップに柔らかそうな唇をつけると、



あなたの喉は波打ってく。



そんなあなたが間近にいると、


否が応でも視線はあなたに吸い込まれてく。





美空:今来てくれたばっかりなのに、できたての紅茶用意してくれてるんだね?


あなたはちょっと悪戯っぽく僕に笑いかける。


美空:ほんとはもっと前に来て、買って待っててくれたんでしょ?


付け焼き刃の気遣いは、すぐに見抜かれてしまったらしい。


〇〇:実は... ちょっと前に着いて、そこのカフェで買って待ってたんだ...。

〇〇:でもそれ知ったら、一ノ瀬さん気遣うかなぁって思って...。


僕が考えていた、さりげない気遣いを演出するというプランは、

脆くもガラガラと音を立てて崩れてった。



美空:優しいんだね? 小川くんって。


あなたは僕を見て微笑む。


〇〇:いやぁ...。全部見抜かれちゃってるし... ダサいだけだよ...。



美空:もう... 全然ダサくなんかないよ?


僕を励ますように、あなたは言う。



美空:そういえば小川くんはコーヒーじゃなくて良かったの? 前に好きって言ってたよね?



〇〇:ああ...コーヒー苦手な人って、コーヒーの匂いでもダメな人多いから。やめとこうかなって思って...。




っていうか、僕の小言、覚えててくれたんだ。


そんな風にちょっと喜んでたら。


美空:ほら、やっぱり優しい。


あなたはまた僕に微笑む。



美空:そういえば...


美空:すごい綺麗だね? 車。


あなたは車内を見渡す。


〇〇:うん。まだおろしたてだからね。



〇〇:僕あんま友達とか多くないから...。

〇〇:一ノ瀬さんが初めて助手席に乗ってくれた人だよ。あはは...。


なんて自虐的に苦笑いしていたら、





美空:じゃあ私以外の人、助手席に乗せないでね?





なんて隣に座るあなたが、



また悪戯っぽく僕に笑いかける。




それってどういう意味...。




なんて色々考えて、頭はエンストしかけるけど、



美空:それより、今日はどこ連れてってくれるの?


話題の車線を変えられて、

あなたのペースに飲まれてしまう。


〇〇:あ、あぁ... 千鳥ヶ淵の桜でも見に行こうかなって。


美空:ほんと? 綺麗って噂だから見に行きたいと思ってたの!


まぁあなたと一緒なら、


行き先なんてどこでもいいけどね。



〇〇:あ、あと... ちょっと1つだけいい?



美空:どうしたの?



〇〇:お恥ずかしながら... 僕、方向音痴で...。


〇〇:自分からドライブ誘った手前あれなんだけど...。



〇〇:道案内していただけると... 助かります...。


なんてダサすぎる台詞が吐いて出された。


自分からドライブデートに誘って、道案内はしてくれってダサすぎるだろ... 自分...。



美空:んふふ。



やっぱり笑われちゃうよなぁ...。


〇〇:やっぱ... ダサいよね... はは。



美空:そんなことないよ。なんかかわいいなって思っただけ。

美空:道案内だったら任せて! ばっちり案内するから!


なんてフロントに置いてある道路地図帳を持って、


隣であなたは優しく微笑んだ。






9時45分。


慣れてきた車で、

日曜の混雑する大通りを抜けて、

ギリギリ行き違えるくらいの狭い路地に入った後のいつもの待ち合わせ場所で、

いつもの飲み物を2つ持って、君を待つ。


香るアールグレイと、立ち昇る湯気。


ルームミラーで何回も身だしなみを確認して、

大好きなあなたが来るのを待ってたら、



コンコン。



いつもの調子で、優しくドアが叩かれると、


いつも僕の隣にいてくれるあなたが、

窓を隔てて立っていた。


美空:お待たせしちゃってごめんね。


ドアを開けると、あなたはちょっと申し訳なさそうな顔をして。


美空:ごめんね。最近お腹の調子があんまり良くなくて。


あなたを待つ時間に嫌なことなんてあるもんか。


〇〇:全然平気だよ。ちょうど今来たところだから。

〇〇:あんまり無理しないでね。美空?


美空:ありがとう。〇〇。


あなたに気を使わせないように。


〇〇:どうぞ。


大好きなあなたを助手席に迎える。




あなただけの特等席に。



美空:お邪魔します。




長く透き通った髪。




彫刻みたいな横顔。




鼻腔をくすぐる香り。




隣に座るあなたとの距離の近さに、


何回目でも僕の胸は高鳴るけど。



美空:そういえば、なんかまた痩せた? ちゃんとご飯食べてるの?


心配そうな顔をして、ちょっと首を傾げて僕を見る。

美空の方が痩せてる気がするけど。


〇〇:まあ... インスタント麺とか... 色々?


料理を筆頭に家事はあんまり得意じゃない。

だから素直に答えたら。


美空:ほら! そんなことばっかだろうと思ってた!


美空:決めた! 今日は私のお家デートね!

美空:〇〇にお料理のこととか色々教えるから!


こんなズボラな僕を心配してくれる、優しい彼女。


でも美空に余計な手間かけさせちゃ悪いななんて思って、


〇〇:心配しなくていいよ。僕の食生活なんか。


ちょっと自虐的に笑って答えたら。


美空:もう、〇〇はネガティブなんだから!


美空:〇〇には健康的なもの食べて、長生きして欲しいの!


少しムキになって頬を膨らます。


そんなちょっと大袈裟なところも愛おしくて。


〇〇:じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな。


こんな僕のことを思ってくれてるんだから、無碍にしたら申し訳ない。


美空:任せて! 〇〇のことばっちり家事マスターにするから。

美空:それに...


美空:私のお家までもばっちり道案内するからね?


なんてフロントに置いてある道路地図帳を持って、

ちょっと悪戯っぽく僕に微笑んでくれる。






18時55分。


何年も乗り慣れた車。

いつもとは違う場所で、

いつもとは違う気持ちであなたを待つ。


あなたを待つ心臓はいつもとは違う音を立てる。


ルームミラーには、

後部座席のチャイルドシートで眠る

大切な娘の彩が。



コンコン。



いつもの調子で、優しくドアが叩かれると、


ずっと隣にいて欲しいあなたが、

窓を隔てて立っていた。


〇〇:診断の結果... どうだった?


僕は食い気味にドアを開ける。


美空:ちょっと... 重めだって。


そんなことを言いながら、

あなたはいつもの助手席に座る。



美空:すぐ入院とか、そういうわけじゃないけどね!



あなたはいつもみたいに笑ってるけど。





僕には何か声をかけることなんてできなかった。







「桜、綺麗だね。」



大学病院からの帰り道。


車窓にちらっと映る千鳥ヶ淵の桜を見て、


あなたはふと呟く。


美空:車から桜見てるとさ...。



美空:初デートの時とか、告白してくれた時とか、プロポーズしてくれた時のこととか思い出すなあ...。


大きめの交差点の信号は赤を灯していて。



美空:全部お花見しにドライブデートした時だったよね。



車を止めて、



シフトレバーをパーキングに入れる。





美空:かっこよかったよ。全部。





フロントの方を見つめて呟くあなたは





前の信号に真っ赤に照らされてる。





〇〇:そうかなぁ...。全部ダサかった気がするけど...。



褒められると素直になれなくて、


照れ隠ししてしまう。



美空:もう! やっぱり〇〇はネガティブすぎるよ!

美空:そんなんじゃ女の子に嫌われるよ?


美空:褒められてるんだから、ありがとうって素直に言えばいいの。



少しムキになって、

こっちを向いて頬を膨らます。


美空と彩に嫌われるのはまっぴらだ。


だから僕も素直に、


〇〇:それもそうだね笑


〇〇:ありがとう。美空。



あなたの方をちらっと見たら。



美空:んふふ。どういたしまして。



あなたはまた悪戯っぽく微笑む。







美空:〇〇はさ...。





美空:初デートの時私がしたお願い、覚えてる?





〇〇:忘れるわけないじゃん...。めっちゃドキドキしたんだから...。





美空:んふふ。じゃあ良かった。





美空:私ね、〇〇のことも彩のこともすっごい大好きなんだ。





ルームミラーには、寝息を立てる小さくて愛おしい姿。





美空:だからもし私になにかあったら...



美空:彩のことよろしくね。





あなたにはずっと隣に座ってて欲しいけど。





きっとあなたのネガティブは、





あなたの本心だと思う。





あなたのお願いだと思う。





〇〇:任せて。ばっちり彩を案内するから。





だから僕は前を向いて、


大好きなあなたにそう約束する。




美空:ありがとう。〇〇。





優しく微笑むあなたの横顔は、



緑に変わった信号に照らされる。





シフトレバーをドライブに入れて、



美空:あ。次の交差点、右だからね?



〇〇:了解。いつもありがとね。



美空の道案内を頼りに、



僕はまた目的地に走り出した。






9時45分。


使い古された車。

車が流れる大通り。


今年はいつもより早く桜は花開いて、

彩の門出の1日を

盛大に演出してる。


毎日大切なあなたを後部座席に乗せた道とも、


今日でもうお別れだ。


ハザードをつけて、

車をいつもの場所に停めたら、

シフトレバーをパーキングに入れる。


〇〇:着いたよ〜。彩。


バックミラー越しに

制服を着て座る彩を見る。


彩:ありがとう。


〇〇:どういたしまして。


あんなに小さかった彩も、


いつからか立派に制服を着て、


今日でそれともサヨナラ。


長いようで短かったな。



彩:お父さん。



〇〇:ん?


なんて感慨に浸る僕を呼んで、

僕は彩の方に振り向く。


〇〇:どうした?


彩はまっすぐ僕を見つめて。




彩:...忙しいのに、彩のこと毎日ずっと学校に送ってくれてありがとう。




ちょっぴり恥ずかしそうに、目を泳がせながら。




彩:それに、お願いしたら迎えに来てくれたり...。



彩:毎朝早起きして、彩においしいお弁当も作ってくれて...。



彩:他の家事だって、色々やってくれたし...。



精一杯、感謝の気持ちを伝えてくれてるみたい。



大好きだったあなたみたいに、


ありがとうっていっぱい伝えてくれる、


立派な子になってくれたよ。



〇〇:どういたしまして。


ちょっと申し訳なさそうな彩に、ニコッと微笑んで。


〇〇:でもいいんだよ。僕が好きでやってただけだから。


ドライブするのも、料理するのも、家事をやるのも、僕の趣味。


〇〇:それに、美空との約束だからね。





彩:...お母さんってどんな人だったの?



少しの沈黙の後、彩がそう続ける。



〇〇:そっかぁ...。彩、まだちっちゃかったもんなあ...。



〇〇:美空はねえ。



〇〇:彩みたいに優しくて。



〇〇:彩みたいにかわいくて。



〇〇:彩みたいに、人にありがとうって言える


〇〇:すっっごくいい人だったよ。



美空のいいところは、



全部彩の中に生きてるさ。



彩:むむ... 惚気られてる...。


褒められた恥ずかしさもあってか、


彩は顔を赤くしながらも、ちょっぴり頬を膨らます。



〇〇:まあね。自慢の奥さんだから。


誇らしげに彩に笑いかける。




彩:...あのね、彩はお母さんのことはあんまり覚えてないけど...。





彩:お父さんとお母さんの子供に産まれてこれて、彩はすっごい幸せ!





〇〇:そっかぁ...。



〇〇:ありがとう。





〇〇:僕も、彩が僕と美空の子供として産まれてきてくれて、すっごい幸せだよ。




〇〇:こっちこそありがとね。彩。




彩:んふふ。どういたしまして!




悪戯っぽく微笑む彩に、


やっぱりあなたの影を感じながら。


〇〇:じゃあ行って来な? 卒業式に遅刻したら勿体にないよ。


彩:うん! 行って来ます!


古いワーゲンの扉を開けて、


後部座席から飛び出してった、


あなたの背中を見送った。




時間はもうお昼をまわって。


近くのカフェでテイクアウトしたアールグレイのカップを片手に持ちながら、


古いワーゲンの扉を開けて、


運転席に乗り込む。



〇〇:ただいま。





〇〇:彩、立派に高校卒業したよ。





アールグレイの香りと、立ち昇る湯気が車内を包む。





〇〇:これで子育てもちょっとはひと段落かな。





助手席はちょっと埃を被ってる。





〇〇:僕のこと、ここまで連れて来てくれてありがとう。美空。





〇〇:美空が色々教えてくれたことのおかげで、彩、立派な子になってくれたよ。





美空にはかなり手間をかけさせたかもしれないけど。





〇〇:美空との約束、ちゃんと守れたなって、今なら自信持って言えるよ。





〇〇:ありがとう。美空。





「どういたしまして」なんて言って、


あなたは微笑んでくれてるかな。





〇〇:そうだ。



〇〇:今日は久しぶりに千鳥ヶ淵に桜でも見に行こうか。



大丈夫。


道はもう迷わないから。



シフトレバーをドライブに入れて、


アクセルを踏み込んで、


目的地に向かって大通りを進んでく。




もちろん、



助手席はずっと空けたままで。





だって僕の隣は、



ずっとあなたのものだから。



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