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圧力鍋とお灸

「私たちの年代が怖いと思い込んでるものって、圧力鍋とお灸じゃない?」という話になった。サロンで同世代のお客様と向き合いながら、毎回たわいもない話をする。

どんな話題からその話になったのかは覚えてないけど2人で顔を見合わせて「たしかに〜!」ってなった。1970年後半生まれ。

使い古された、でも綺麗に手入れがしてある台所で祖母はいつも忙しく何かを作っていた。自分の畑で取れた作物を丁寧に下処理して一番美味しい何かに変身させるのを見るのが好きだった。

時々、大きな桶に入れられた大量の酢飯をうちわで扇いでおいて。とか、梅干しを種からこそげてこの入れ物に入れておいて。とか、小さな手伝いを頼まれるのが凄く誇らしい気持ちだった。あの美しい作業の一部を私に任せて貰えるんだ。という気持ちと、うまく全うせねば!という小さな責任感。大体いつも丁寧にやりすぎて「こうやってやるんだよ」とダイナミックな手法を伝授された。

そんな中でも絶対任せて貰えなかったのが「圧力鍋で何かを煮る時」だった。手伝わせて貰えないどころか、台所に近づかせて貰えない。いつも「笑顔」では無いけれど優しくて強い顔をした祖母が、圧力鍋を使う時だけは厳しい顔で「近づいたらダメ!」と言う。爆発する時があるんだよと言って立ち入り禁止令が敷かれていた。私はそんな危険なものの近くにいる祖母が心配で心配で、圧力鍋の音が聞こえる間は気が気では無かった。

数時間後には艶々とした小豆や、小骨が消え去ってしまったような魚が出来上がる。その時に綺麗だなあと言う気持ちと「爆発しなくてよかった」と言う気持ちがハーフアンドハーフだった。結局私が大人になるまで鍋が爆発する事はなかったし、いつの間にか台所は叔母の場所になり家も建て替えられてあの圧力鍋もどこに消えたのか祖母が居なくなった今はわからない。

そしてもうひとつのお灸。農家だった祖母は毎日朝から晩まで働いて、夜に家計簿をつけ終えるとお灸を取り出して真っ白い脚や黒く焼けた腕にお灸を据えていた。毎日お灸が据えられる場所は、小さな火傷の後のようになっていた。毎日毎日皮膚ぎりぎりに迫り来るお灸を「アチチチ!」と言ってはたき落としていた。私はその光景を見るたびに「余計に痛い思いをするだけでは?」と怖く不思議に思っていた。今思うと祖母は相当に我慢強い人だったから「普通の人」よりもギリギリまで熱さに耐えていたんだと思う。その様子はタバコを「そこまで?!?!」と思う位フィルターギリギリまで吸うみたいなのに似てる。

そう言うわけで、私の中では「圧力鍋とお灸」はかなり怖いもの。になっていた過去がある。

私も結婚して恐る恐る圧力鍋を買って使ってみたけどあの頃よりもうんと進化を遂げていて、いつから始終しゅんしゅんという音を出したりしない鍋になっていた。もう21年ほど使っている。お灸は、ずっと嫌煙していたけど鍼灸師の友達の勧めがあって昨年挑戦してみたらあっけないほど何の刺激もなかった。おまけに「なんなの?この良い香りは?」みたいな「香」成分まで入っているお灸だった。

そんな訳で「体が痛い」というお客様にお灸を勧めてみた。案の定「熱くないんですか?」と聞かれて上記の話題になったんだった。書いてたら思い出した笑 今日の会話のおかげで祖母との思い出も蘇ってあたたかい気持ち。雨が降る夜はこういう記憶を思い出しながらお風呂に浸かると体全部に潤いが染み渡る気がしてついつい長風呂になってしまった。明日はお灸をひさしぶりに据えてみようかな。

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