Atori Tsubasa

春は野山に遊び草木の輝く生命を愛で,夏は山岳を歩き青春の幻影を探して彷徨し,秋は落ち葉…

Atori Tsubasa

春は野山に遊び草木の輝く生命を愛で,夏は山岳を歩き青春の幻影を探して彷徨し,秋は落ち葉降る小径を往き季節の傾きに涙を流し,冬は暖かな室内で遙かなる深宇宙の星々に想いを馳せる。

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  • 2024雑想

    2024.1~

  • 夢日記2023~

    夢日記2023~

  • 不如帰の歌

    私の身体はこの地上へ縛り付けられているが,歌はどこへだって翔んでいける。この世のあらゆる土地を彷徨い,戻ってきたらその身体が喪われていたとしても。

  • 果実雑想

    これまで公私で関わってきた果実(果樹)のあれこれについて、とりとめもなく書き留めた記録

  • 2023雑想

    2023.1~

最近の記事

場所・期間限定つき特別抗体

盲腸自体が抗体を生産して免疫反応に寄与している、という研究結果が出る前に、盲腸には有益な菌が集まり腸内フロラを通して免疫を調整している、という説があったことを、初めて知った。 前者の報告が出る前の仮説としては有り得るものだと思うけれど、それと相反する事実が出たときには、後者の説を唱えていた人たちはどう判断するのか。 Wikiの記事には、そのへんの経過も込みで記述されている。あ、盲腸ではなくて虫垂か。 ‥‥記事にある「小腸と大腸に特異的に作用するIgA抗体」って、なにそれ

    • 圧迫試験の夢

      資料持ち込み自由で筆記による記述式の試験を受ける夢を見ていた。 設定された問題が意味不明だと思ったので、答案用紙(紙は自分で用意しろという)を提出しないという選択を、おそらく生まれて初めてやった。 解答する自分の状態が良くなかったから、という理由での不提出だったけども、これは、なぜ問題が意味が通らないものだと感じたかを言語化して、ロジックを組み立てて記述するという攻め方をすれば良かったかなと、起きてから思った。 きっと唯一の正解を求めているのではなくて、想定不能の事態に

      • 古の戦場を俯瞰した夢

        今まで見ていた夢では、私は本邦の戦国時代にいたらしい。 しかし、現在の戦争のようにドローン目線で真上から戦いの場を観測している。 男たちが刀や槍を持って殺し合いをしているすぐそばには茶畑があり、絣の衣服を着た女たちが茶葉を摘んでいた。 ということは、戦場は静岡、いや、駿河の国なのか。 上空から俯瞰しているうちに、交戦勢力の一方が茶畑に乱入し、女たちを追い回し始めた。 私は他方の勢力に連絡し(どうやって?)ここに部隊を移動し対抗して欲しいと伝える、j-starsみたいな役割

        • 紅>黄>白>黒>青>

          現ウクライナのガリツィア地方を、ルーマニアとの国境に接する地域だということで、GoogleVRでヴァーチャルドライブしてみたことがあった。 特に目を引くものもなかったのでそれきりになっていたけども、今、機会あってガリツィア地方の歴史を参照してみたら、いろいろ複雑なところだったと判明。 この地域は17世紀以降に「紅ルーシЧервона Русь」という名称で呼ばれていたらしい。現在のベラルーシにあたる地域が「白ルーシБела русь」と呼ばれているのと同様だ。 なぜ色の

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        記事

          排他的な生活

          限界集落と呼ばれるようなところでも、人を限定すれば窮乏することなく暮らせる、という話を聞いて思った。 行き着くところまで行き着くと、限られた土地で血族が排他的に生活する社会になりそう。 例えば昔の台湾では、ひとつの水系ぐらいの単位で部族が割拠しており、互いに言葉が通じない。 知らない言葉を話す人間がやってくると首を狩り、祖霊に捧げる。 他から物品を入手するときは「沈黙交易」をする。 これは、生物社会での種の形成にも通じる話かもしれない。 だとすれば、固定した種が分

          排他的な生活

          演じる自由

          昨晩行ったFF14のお店で気付かされた。 私達はこの地上に縛り付けられていて、魂も身体という牢獄の囚われ人だ。 ゲーム世界に逃れようとしてもそこにはやはり掟があり、限界がある。 しかし私達は、「演じる」ことによりその壁を越えることができて、どこの誰にだってなれる。 MMORPG世界の私達は、自由だったんだ。 (2024.3.25)

          流しっぱなしの夢

          夢のなかでは、建物の26階に小さな浴室(シャワー室ではない)がある。 残業が終わったあと、仮眠する前に疲れを癒そうと思い入浴したが、湯船に浸かったまま寝てしまったようだ。 気が付くと朝の5時になっている。それなのに、湯は冷めておらず暖かいままだ。 朝の5時という割には、窓の外は真っ暗だ。どうも厳冬期らしい。 浴室を出たところには、蛇口がいくつかついた洗面台がある。 どの蛇口からも、凍結防止のためというので細く水が出ており、貼り紙がしてあってこう書かれている。 「(節

          流しっぱなしの夢

          死に至る争い

          同種の動物同士が争うときには、相手を死に至らしめるまで攻撃することはない、と言われている。 しかし、私は金華山島で、複数のサルが1頭のサルを死ぬまで徹底的に攻撃するという事例を見聞した。 私が直接見たわけではないが、現場で観察した人から経過を聞き、その一部を撮影した映像を見せられた。 どうしてそのような行動が起きたか、という直接の原因は目撃できなかったようだ。 しかし、何頭ものオスザルが一頭のオスザルを執拗に追い回して攻撃し、噛み裂き、海岸に追い詰めた。 攻撃されたオス

          死に至る争い

          ギリシャからこの巷へ

          番紅花(クロッカス) 咲けよ久遠の時越えて ギリシャの野にも この巷にも (2024.3.17)

          ギリシャからこの巷へ

          市民の敵は市民

          市民が主権者だと考えれば、市民が愚かならどうするのかという問題を突きつけられる。 君主が主権者だと考えれば、君主が愚かならどうするのかという問題を突きつけられる。 賢い者しかいない世の中ならば悩みは発生しないが、実際はそうじゃない。 政治家は市民の代弁者であるという見方をすると、政策の賢愚については、その政治家を選び、政策を実行させる市民次第だということになる。 東洋の伝統では世襲の君主が領民を支配し統治するので、領民がどうであろうとも、政策の賢愚は君主によって決まるとい

          市民の敵は市民

          土から離れる

          ラピュタのヒロインであるシータは言う。「土から離れては生きられないのよ」と。 以前は強く共感していたが、自分でりんご園の管理をするようになってから、これが判らなくなってきた。 非衛生や理不尽な損害や暴力を受容して、地に伏して生きるというのがどれだけ辛いことかを無視した台詞ではないかと思うようになった。 「結局、土からは離れられないのよ」というのならそれは判るけど、好んでそこへ戻っていくというのは物語の中だけにして欲しい。 だいたい、「土から離れる」という言葉の内容が曖

          土から離れる

          意味の氾濫から剥奪へ

          物に付与された意味がありとあらゆるところに充満し、私に反逆して牙を剥き、凶悪な物量で圧殺しようとする。 これを「意味の氾濫」と呼びたい。 そして、3.11にはそれらの意味がすべて剥ぎ取られ、物と人体が混じり折り重なって山積みになっていた。 人、それを「瓦礫」と呼ぶ。 (2024.3.12)

          意味の氾濫から剥奪へ

          冬の死

          冬の死を悼む小鳥の歌響き 雪踏む我も変若ち返りけり (2024.3.11)

          捏造された瑞獣

          中国の王朝で禅譲(または放伐して皆○し)しようとするときには、吉祥とされる瑞獣が現れたからこれは天命に違いない、という名分がよく使われていた。 かつての民衆は、権力者には反逆するけど、天命だと言われれば納得してしまう人々だったんだなー。 最近、ビッグフットを撮った映像は捏造だったというものがネット上に出てくるようになったので、これは米国大統領選挙と関係があるのかと思ってしまった。 どこかの誰かが、デマに踊らされず真実を見極めて投票しよう、と勧める意図で流したものだったとすれ

          捏造された瑞獣

          南極海と南洋の夢

          夢のなかで、私は南極海にいた。 巨大なテーブルのような氷山を見上げていると、その端が柱状節理の岩みたいに崩れてきて、私のうえに覆い被さる。 私は氷に押し込められた格好になって海中にいるが、冷たくはなく、息苦しくもない。 ただ、そこから出られなくなったので、困っていた。 そこから場面は、太海原の中に浮かぶ岩礁のようなところへと移った。快晴で凪いでおり、海水は透明で暖かい。 膝丈ぐらいの深さで緩やかに波が洗う岩磯で、様々な海の生き物を見ている。クモヒトデ、アメフラシ、鮮や

          南極海と南洋の夢

          内なる時と時の形骸

          私は「時」についてこれまでちゃんと考えたことがなかったけど、人の時間に関する意識というのは、言語に内包されている時制によって拡張されている(または制限されている)面があるのじゃないだろうか。 それは、物理学が規定する時間や、ヒトの身体から発生するリズムとは別物であるに違いない。 ああ、M.エンデの「モモ」は、そういう「時」に関する問題について真っ向から切り込んでいった作品だった。 人が「時」の形骸に使役されるのではなくて、自らの内から湧き上がる「時」を生きよう、と説く物語

          内なる時と時の形骸