見出し画像

六道 畜生編 人の恩を軽んじるなかれ 3

※地獄のフィクションストーリーです

2人が輪廻した先は

見渡す限り動物の世界。
そう。2人が行き着いた先は畜生(動物)界である。
もう人間ではない世界。弱肉強食。食うか食われるか。
お腹がすけば、捕食動物を倒して腹を満たす。逆も然りだ。
ただ、この世界は仏教に触れることができない。経を読むことも聞くこともない世界のため、この六道輪廻から抜け出すことができないとされている。
ここで食われて死んでも、また畜生になるしか道はないとされる。

毎日、毎日不安と隣り合わせの日々を送り続ける。
昼夜問わず、聞き耳をたて、ビクッとして場所を変える。
考える頭はないので、本能のままに息ながらえたらどんなにすごいことか。
無事に寿命を迎える動物はどれほどいるだろうか。

信子は猪突猛進。猪へ。
和彦はおこぼれを狙うハイエナへ。
今回は2人とも肉食系なものへと形を変えた。

信子は餌がなくなると人里に下りてきて田畑を荒らす。
餌の事しか頭にないので、人間に撃たれたり、罠にハマって捕まることもあるかもしれない。そして猪鍋の材料になる事だってありうる。
猪の生が終われば、また別の畜生だ。今度は魚かもしれない。
和彦もそうだ。ちょっとでも逃げ遅れると倒される。群れから外されると途端に外敵から狙われるかもしれない。いつも逃げるか追うかだ。
人間に囚われて飼育されたり、食料にされたり、もっと想像のできない世界の畜生になる可能性もある。

畜生界に生まれ堕ちると、鳥や獣、虫や微生物など、人間や植物以外の生き物になると言われている。
住む場所は人間界だが、人間とは相いれない。

恥知らずな行為や、恩を仇で返す行為。
今まだ人間でいられるうちに改心できるのなら、間に合うかもしれない。
ある意味、ペットもどこぞの先祖の生まれ変わりだったとしたら?
しかし、今世で縁あって一緒に過ごすペットを無碍に扱って、
ペットにすら恩知らずな行為をしているとしたら、
それは確実に輪廻転生した未来の自分に酷い仕打ちをしている、今世の自分という事だろう。ここに因果応報。

生きとし生けるものの儚さや、大切さを思い知る頃には自分はもう、輪廻から抜けられず、人間界に戻ることも許されず、ましてや天界へ行き仏となって輪廻から解放されることも無くなるのだ。

唯一の救いは、恵まれた環境で一生を終えられる畜生(動物)になれることではないかとも思う。人に大切にされ、病気をすれば治療してもらい、外敵からは守られ、餌の心配はない。お墓まで作ってもらえる動物達もいる。
そんな動物達は、それなりに何回目かの転生でそれなりに徳を積んでいるのだろうか。不思議な格差である。

人間の数より圧倒的に動物や昆虫類の数が多いのは、ひょっとして過去の20万年も遡った恩知らずな人達の生まれ変わりか?
学術的、科学的に考えると仏教思想には無理があるが、
それを教えと解くならば、自分の周りの人には良くしておくに越したことはないし、また見返りを恩とすり替えて生きても意味がない。
自分が一番、自分の生き方に嘘はつけないのだから。

おわりに

ここまで書いてみたが、これは仏道のはなし。
あくまでも人間ファーストの教えだ。
動物ファーストで考えるならば、人間になぞなりたくもないわと言われるかもしれない。
生きるとは、生命とは 奥が深いものである。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?