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ゲームだって慣れるまでは苦労したんだからさ

「わりと何でも、バランスよくできちゃうタイプなんじゃないですか?」

最近そう言われて、たしかにと思って。
「これほんと無理だ、どう頑張ってもできる気がしない…」みたいなこと、あんまりなかったかも。運動以外は。

だから、といっては変かもしれないけど、今の私は、“できない”とか“わからない”ことに対しての耐性があまりないと思う。そういう物事に出あうと、「もうやだ向いてないわ、やーめた」って避けがち。

ちょっと思い当たることもあって。

昔から運動神経はめちゃくちゃ悪かったので、学生の頃は「みんなが初めから普通にできることが私にはできない、なんでできるのかわからない」という感覚がずっとあった。

で、最近になって、私はその経験がちょっとトラウマなんだなあ、と自覚するようになった。

きっかけは、スプラトゥーンというゲーム。
なんでゲーム?と思うかもしれないけど、ゲームというか、スプラトゥーンってもはやスポーツで。

夫はスプラが上手いので、私がやっているのを見て、いろいろ教えてくれる。試合展開や、瞬間的な状況を踏まえたアドバイス。ここはこう動くといい、なぜならこうだから。

うん、わかってる。でも、実際に動きながらそんなこと考える余裕なくない?え、みんなは考えてるの?無理なんだけど。
そして気付いた。
ああこれ、学生の頃に感じたやつと一緒だ。
自分が思ってたよりもしっかりヘコんだ。やっぱり私には向いてないかも。

たぶん私、「上手くできない、よくわからない」という経験をネガティブに捉えすぎている。でもやっぱり、その時ってしんどいじゃん。そんなの当たり前なんだけど。
大人になって、もう、ストイックに頑張るとか突き詰めるとか追い込むとか、できなくなってしまったよ。だからもう上手くなれません。

こう、投げやりになってしまうけど。

ちゃんと思い返すと、スプラに「慣れる」というフェーズはもうクリアしていることに気がついた。

スプラは慣れるまでが大変だってみんな言う。インクを思った方向に出せない。キャラクターを動かすのにも一苦労。視点すらも定まらなくて。

たしかにやり始めた当時は、今よりもっともっと下手で、何もできなかった。できなさすぎて、すごくイライラして、なんなんだこのゲームは!!と怒りながら、でもなぜかやり続けていて。

それは、上手い人がすごく楽しそうだったからだ。
そして私もそうなりたいと思ったから。

そんな気持ちで細々と続けていたら、いつのまにか慣れていた。
キャラクターを動かすのに慣れたからこそ、今は、試合のことを考えるフェーズに来たんだ。

思い通りにできないって大変だし嫌になるけど、時間がかかっても、やっていればいつかできるようになる。
そんな当たり前のようなことを、深く実感した。スプラトゥーンありがとう。


…このままでは、任天堂に感謝して終わる記事になってしまう。まあそれもいいか。


初めは何を書きたかったかって、今、これまで触ったことのなかったツールを勉強していて、スプラの経験がこれに通ずるかも、ということ。
新しいことを始める計画のひとつとして、自分からすすんでやり始めたもの。でも、思うように動かせない。こうしたい、という目標は浮かぶのだけど、そうするための操作がわからない。それがストレスで、ちょっと離れてしまっていた。

だけどそんなの当たり前。慣れるまでは苦労するものだ。
「できるようになったら楽しいだろうな」という気持ちはちゃんとある。
それは、スプラもそうだった。だから今回も、大丈夫な気がしてきた。

ああだこうだ言いながらも、やっていればたぶん慣れるし、できるようになるんじゃないかな。
離れていてはもったいない。挫折しそうになった時は、スプラトゥーンのことを思い出そう。

やっぱり、任天堂さんにはありがとうを。

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