エッセイを読みたいと思うのは、その人のことが好きだから
前から薄々気付いてはいたんだけど、もう、理由はこれしかないと思って。
「その人のエッセイ(もしくは日記)を読みたい」ということは、「その人の考えていることをもっと知りたい」ということで、
つまりそれは、「その人のことが好き」ってこと。
偶然、立て続けにそんな内容の記事を読んで、ふむふむ、そうだよなと。私もそう思う。
興味がない人のエッセイは読まない。
ちょっと読んでみて、「なんか違うな」と思ったらもう進まない。
「なんか違うな」というのは、その人の考え方があまりにも自分と離れていて、さらにそれを受け入れられない、という感覚かな。
やっぱり、どこかでその人に共感したくて、エッセイを読んでいる。
「この人もこんな風に思ってるんだ」「あの人にもこんなことあるんだな」と気づいて、親近感が湧いたり、勇気づけられたりして。
タレントやアーティストに対しては特にそうで、本人が書いたエッセイや、ブログ・SNSの文章が読めると嬉しい。
私は「この人の文章が読みたいな」と思った時点で、もうけっこう好きになっている。そうして読んだ文章に共感すればするほどハマる。
オードリー若林さんのエッセイを前から読みたいと思っていて、つまりずっと若林さんのことが気になっていて、買ってしばらく積んであった。最近ついに読み始めたら、共感や安心が止まらなくて、どんどん好きになってしまった。(これは、良いタイミングでNetflixの『LIGHTHOUSE』…星野源さんと悩みを話しまくる番組を観たというのもあるんだけど。)
さらに、どうやら若林さんはnoteでエッセイを書き有料で出しているようだぞ、と知る。買うかすごく悩んでる。読みたい。
これだけ表舞台に立っている人が、内側の気持ちを少しさらけ出してくれて、そこに共感ポイントがあったなら、好きになって当然な気もするけれど。
顔も知らない人が書いた、なんてことのない日記だって、読んだらハマって、もっと読みたいと思って、気づいたら好きになってた…ってこともたくさんある。
事実、noteでエッセイが投稿されたら欠かさず読むぞ、と思っている方が何人かいて。
もちろんnoteでしか知らない人たちだけど、面白くて切なくて共感して、応援したくて、会ってみたいとさえ思う。
これはもう十分、好きってことでいいよね。
だからみんな、もっとエッセイ書いてほしい!箇条書きの日記でもいい!と思うし、
私もどんどん、気負わずに書こうかなーと決めた。
全員に好かれるなんて無理だけど、
でも、誰かひとりくらいは「もっと読みたい」って思ってくれたら、それでいいか。
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