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フィンランドで感じたこと

人々の幸福度が高いと言われるフィンランド、高福祉で教育費やら医療費やらがかからないと言われている。そんな国にぼくは行った。観光客からすれば、ビックマックのセットは1000円以上するし、きちんと税金を取られるから、あまりいいことはない。しかし、街は確かに住みやすい雰囲気を醸し出している。ゲストハウスを予約し、芸術鑑賞からフリーマーケット、雑貨屋、レコード屋、カフェを巡る。どこをとっても絵になるし、洒落くさい。悪いことと言ったら、行った時に雨が降ったくらい。だが、そんなのは誰にも非がない。夢中になれるものが多くあり、すぐ夜になってしまいそうである。まぁ、白夜でいわゆる夜にはならないのだが。楽しい時間が早く感じるのは夜になるからだ、フィンランドでは一生幸せな時間が続くような気がした。

それでも疲れは溜まるもので、ゲストハウスに向かう、そして、そこで女性用のドミトリーを間違えて予約してしまったことに気づく。他の部屋に空きはない。代わりに紹介されたゲストハウスは1万円かかる。この国では節約という道を取らざるを得ず、野宿することにした。出来るだけ風通しの悪いところを探す、マイホームを探すときとはまるで逆。あぁ、家が欲しい。

ヘルシンキ駅のバスロータリーを見つけた。最高に風通しが悪い。生きるためにはそこしかないと思った。夜中の1時のことである。流石にあたりは暗くなり、極寒、ユニクロの極暖が負ける寒さ。ノースフェイスも押され気味。時間が経つのが遅い。そんなことを思っていると、バスはもうなくなっているが、周りのベンチに数人ポツポツと座っていた。近くには少し大きめのカート。ホームレスだった。学校の授業では、フィンランドについて高福祉だの、幸福度が高いだのなんか何もかもがうまくいってるかのように教えられていた。衝撃を受けた。何かがひっくり返ったような。本当は驚くべきではないのだろう、勝手に北欧は幸せだと決めつけていただけなのだから。全員が家がある国なんてきっと存在しないであろう。しかし、この時ぼくは驚いた。こういった考え方を一生かけて変えていかなくてはならない。全てをフラットな目で見て、それぞれの違いを寛容に受け止め、理解したい。中国人はうるさいだの、並ばないだとか北朝鮮人は無表情だとかそういう偏見で溢れている気がする。イスラムはテロリストなんて意味のわからん事を言う人もいる。本当かどうかもわからない偏見というか、文化というか。インドでも並ばずに注文することが多かったし、ケンタッキーでは店員に伝えたもん勝ちになっていた。冷静に考えれば、レジの前で悩む人もいる日本より合理的なのかもしれない。どちらにせよ、そんなことは大した問題ではないのだ。それぞれのスタイルがあるだけ。国内でも同じことが言える。こんな経験を通して、目で見て、実際に足を運ぶ意味を再確認した。

朝5時、警備員に起こされて目が覚めた。周りには誰もいなくなっていた。

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