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第一稿へのダメ出し

創作講座で自作中の短編小説「水羊羹」について。小説家と編集者のお二人からコメントいただく。他の人に比べて手厳しい。それぐらい駄作ということだろう。最終締め切りは7月14日。コメントを録音していたので、それをそのまま以下に記す。内容を熟読するために。そして次回までに書き直そうと思う。

<太田さんのコメント>
主人公は雑誌のライターの人ですよね?九州の熊本で雑誌の休刊の知らせを聞き、九州を一周廻ってみようと考える。その後は最後の取材地、北海道の旭川へ行く。そして東京へ戻ってきているのかなと思います。文章、文体について体言止めが気になりましたね。正直。例えば、「大分、熊本」のような。体言止めを多用されている。まぁ、ライターという職業を考えればこれもありかな。一人称で書かれていているし。でも、小説らしくはないかな。ライターの方が書かれたルポって感じがしました。そこはまぁいいのかなと。ただ、正直もったいないところがありますね。コントラストのつけ方がいくらでもあるのにちょっと活かせてない。せっかく冒頭でこの雑誌が休刊になるっていう強いエピソードがガンとあるのに。けっこうあまりにも牧歌的過ぎる。旅としての緊張感がない。これが最後の旅なんだ、これで取材が終わるんだというときの目の解像度が変わるはず。いままではルーティン、仕事をお金のためにやっていた旅だった。こんならいつでも辞めてやるって思っていた。でも雑誌がいざ休刊になるって聞いた時の旅は絶対違うはずなんですよ。そこの五感の立ち上がり方がちょっと弱くてですね、せっかくいいエピソードを頭にもってきたのに、その旅がなんか特別なんだと見せて欲しいです。あと九州と北海道という二つの地を訪れるというコントラストもつけられるはず。そこのコントラストも弱いです。全体的に五感をフル活用していただいて、旅というものが特別だと伝えて欲しい。あと構成的には、真ん中の「水源」ていう小説の結構長い説明がありますが、これは丸々いらない。なんでかって言うと、せっかく旅に出てすごい楽しくなっているのに、ここでブチって切られてしまうから。それから情報量が多くて固有名詞も出てくるから。読者は頭を切り替えなきゃいけなくなるんですよ。本当に伝えたいことはもう言ってるんだし。せいぜい1,2行ぐらいで。この小説を解説するよりは読者を旅に誘って欲しい。

<大槻さん>
一番最初に創作設計図をいただいて、これを見て「もうできてるな」って思って、時間に沿って心の上下動がこうなるんだなと。逆にちょっと不安になったのは「できすぎ」ってこと。原稿を読んでみて太田さんが仰っていた体言止め。体言止めの多用はリズムができていればいいんですが、シナプシス、つまりあらすしになってしまうんですね。そうなってしまうのはやはり詰め込み過ぎ。この図式(設計図の)を満足させてやろうと思って。僕も途中の小説「水源」の要約はいらないと思います。書きたくなる気持ちはわかります。作中に水源に関わる出来事があるから。そこは多分別のものなのではないでしょうか。特別な旅であるということは僕も思って、これはずっと出版界にいなければわからない話ですが、いまの雑誌の凋落っていうのは。だから、かつて取材費をふんだんに持って旅して原稿を書いていた世界だったんですよね。いまその世界じゃない、なくなったっていう喪失感がある。最後に「水羊羹」って取ってつけたようにするんじゃなくて、これが自分の中で咀嚼されて、もう図式なんかどうでもよくて、旅のことを十分書いていくと説明ではなくにじみ出てくるような風にした方がいい。そうすると文体もゆったりして、体言止めでせかせか筋を追わなくてもよくなるはず。一回頭を真っ新にしたところで、雑誌のライター、雑誌の取材記者。その存在が認められなくなりつつある世界。でもそこを旅していく。でも旅はやっぱりいい。そこで経験することは人に伝えるべきものである。その強いモチベーションに生まれ変わるのが一番いい。

<太田さん>
シチュエーションはすごくいい。舞台設計はそろっている。この旅の魅力を、この旅に連れて行って欲しいです。九州と北海道に僕たちを。

<大槻さん>
こういう風に雑誌記者として旅を書く経験した人は恵まれている。いま取材費出して旅させてくれることはない。現実はSNSで検索して情報を取っているのではないだろうか。懐かしいですけど雑誌記者。もうそれを濃厚に出していただいた方がよいです。

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