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自分自身を動詞で育む
あなた自身を動詞で表現すると何ですか?僕はよく雑談の中でそう問いかける。はじめのうちは「そんなこと考えたことないですよ!」という反応が多いので、「だから考えてみるんですよ」と応えるようにしている。
どうして、こんな少し馬鹿げた質問をするのか。それは、人間の動詞で表現できる行為は100年前から進化しておらず、100年後も変わってない可能性が極めて高いからだ。えっ、そんなことはない?
行為の進化に
葛藤:文化部か、文化祭か?
まちの文化祭。はじめは町内に文化部をつくろうと思っていた。文化的な活動を行っている団体(会・隊・団など)を把握して応援する。そして、これから町で文化的な何かを「やりたい」人同士をつなぎ支援する。文化部はあくまでも推進役(サポーター兼プロモーター)だ。しかし、文化部をつくるということ自体が抽象的で雲をつかむようなものだと気づく。そして、ピボット!抽象から具体へ。論より証拠。文化を表現してもらったり、
もっとみるそもそも「文化」って超ファジーじゃないですか?
まちの文化祭。あらためて「文化」ってなんだろう?文化祭をやるにあたって考えてみた。「文化祭やるけど、来てくれない?」と頼んだ時、相手から質問されることもあるだろう。100人中に1人ぐらい。本質を突いてくるそもそも派の人間がいるものだ。だから、準備をしておくに越したことはない。きっとCultureという英語の翻訳なのだが、辞書にはこう書いてある。その社会固有の思考・行動・生活の様式。似た言葉に「文明
もっとみるまちには歴史も遺産もなかった!
まちの文化祭。先ずはまちのシンボル、象徴となるものを探し始めた。しかし、古文書も残ってなければ遺跡らしきものも存在しない。わがまちには歴史と呼べるものが一切なかった。そこで文化資本とはなにかを紐解いてみたらなんと2種類あることがわかる。それは文化資産と文化活動だ。さらに文化を拡大解釈してみる。芸術や芸能のような文化だけでなく、日々の暮らしの中にある営みすべてを眺めてみたらそうだろう?そう、まるで文
もっとみるまち全体で祭りはできるだろうか?
まちの文化祭。はじまりは素朴な疑問から生まれた。わがまちには五千人以上の人が暮らしている。しかし、都市化の問題、つまり人間関係は希薄だ。僕自身も四半世紀ここに住んではいるが、地域の活動にはほとんど参加したことがなかった。そんな僕がどうしてまちの文化祭に関わるようになったのか?きっかけは町内会長との出会いだった。まち全体で祭りがしたい。通りを人々が笑顔で行きかう光景がみたい。それが町内会長の想いだっ
もっとみる短編小説「水羊羹」第1稿
息を止めシャッターを切る。まるで海へ潜るように。光景の一瞬を切り取る。そのとき僕は海女になる。
雑誌の仕事をはじめて20年。写真を撮るときの儀式は変わらない。ところが、九州ツアーの最終目的地で異変があった。熊本で取材を終えた時、編集長からどんよりした電話。「再来月で雑誌、休刊になるぞ」。ほかにも話があったのかもしれない。しかし、僕の記憶にはその断片しか残らなかった。このまま東京へ帰りたくな