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Sugar Salt #2

休みの殆どを寝て過ごした俺は、翌日職場に出勤していた。

服を着替えてホールに出ると、既に遠藤さんが出勤していた。


「遠藤さん、おはよう」

「あ、山下さん。おはようございます」

心なしか、いつもより彼女の声が柔らかい。

何かいい事でもあったのだろうか。

「遠藤さんがこの時間から来てるなんて珍しいね」

いつもはもっと後に来るはずなのに。

「先月ちょっとお金を使い過ぎてしまったので、シフトを増やしてもらったんです」

「へー、遠藤さんでもそういうことあるんだね」

「ありますよぉ」

「何か欲しいものでもあったの?」

「欲しい化粧品があったんです…」

なるほど。

女の子なら避けては通れない道だ。

「女の子だとそういう所にもお金掛かるから大変だよなぁ…」

「あの、山下さん」

「ん?」

「山下さんって、何かスキンケアとかしてますか?」

「え、何もしてないよ」

自分の頬に触れる。

今朝鏡を見た時は特に肌荒れやニキビは無かったはずだけど…遠藤さんの目にはそうは映ってないのかもしれない。

遠藤さんに肌汚いとか言われたら、俺はしばらく落ち込むぞ…。

「何でそんなに綺麗なんですか…」

良い意味の方で本当に良かった…。

「うーん、俺に聞かれてもなぁ…ていうか遠藤さんだって肌綺麗じゃん」

「そ、そうですか?」

「うん。真っ白でモチモチしてて健康そう…あ」

ヤバい、これ完全にセクハラじゃないか。

どうしよう、どうやって軌道修正しよう!

「いや、あのね遠藤さん。今のは違うんだ。何が違うかと聞かれれば分からないんだけども、違うんだ」

「…さ、触ってみますか?」

「…へ!?」

遠藤さんからの返答はあまりにも予想外な物だった。

サワル?
触る?何を?

「えーっと…俺が、遠藤さんの、ほっぺを?」

恐る恐る聞くと、遠藤さんは下を向いたまま小さく頷いた。

先程褒めたばかりの真っ白な頬は、心なしか赤く染まっていた。

「じゃあ…失礼します…」

「ど、どうぞっ」

ゆっくりと、彼女の頬に手を伸ばす。
少しづつ、その距離が縮まっていく。

全神経が右手に集中しているせいか、店内のBGMや作業音などはまるで聞こえてこなかった。

そしてついに、彼女の頬に右手が触れる。

…ふにっ。

「んっ…」

遠藤さんから甘い声が漏れる。

…柔らかい。

正直な所、それぐらいしか感想は浮かばなかった。

もう一度、頬をつまんでみる。

ふにっ、ふにっ…。

「んんっ…」

え、冷静に考えたら何だこの時間…。

なんで俺は遠藤さんの頬を摘んでいるんだ?

周りの人に見られたら俺、一発でクビじゃないか?

そんな考えが頭を過ぎり、俺は惜しみつつも彼女の頬から手を離した。

「どうでしょうか…?」

「すごく、柔らかいと、思います…」

「そ、そうですか…では…」

そう言うと彼女は、バックヤードの方へと走っていってしまった。

一瞬見えた彼女の顔は、頬どころか顔全体がリンゴのように赤く染っていた気がした。

────────────────────

そこから数時間が経ったが、遠藤さんは何故か俺を避けていた。

やはり合意の元とはいえ、女子大学生の頬をフリーターがツンツンするってまずい事だよな…今日の営業終わったら謝ろう…。

そして、営業時間が残り一時間ほどになった頃の事だった。

お客様の来店を知らせるチャイムが鳴る。

「いらっしゃいませ〜」

入口の方に迎えに行くと、そこには見覚えのある人物が立っていた。

「「あっ…」」

二人の声が重なる。

目の前に立つ女の子も俺と同じように驚いて立ち止まっている。

そう、来店したお客様は先日公園で泣いていた女の子だった。

「い、いらっしゃいませ」

「…いらっしゃい、ました…?」

従業員とお客様という関係になった途端、何故だか気まずくてお互いギクシャクしてしまう。

女の子の方も同じ様な気持ちなのか、力無く笑っている。

「おひとり様ですか?」

「はい…」

「えーと…おタバコは吸われますか?」

「す、吸いません」

「ではこちらの席にどうぞ…」

「はい…」

彼女を席に案内する。

「ご注文が決まりましたらそちらのボタンで…」

“お呼びください”と言おうとしたところで、彼女が“あのっ!”と遮った。

「はい?」

「こちらで働いてたんですね…」

「あー…はい」

「私、お礼が言いたくて…」

「お礼?」

「あなたのおかげで彼と別れる決心が出来たんです」

「そうですか…それは良かった」

あの時の彼女は酷く暗い表情だったが、今は随分と晴れ晴れした顔付きだ。

彼女の事は何も知らないけど、こっちが本来の彼女なんだろう。

「お名前…山下さんっていうんですね」

彼女は俺の胸元に付いた名札を見てそう言った。

そういえば、お互いの名前を知らなかったな。

彼女の名前は何だろう…と考えていると、

「あっ、私賀喜遥香って言います!」

「賀喜さんか…二度もこうして会うなんて何かの縁かもしれませんね」

冗談交じりにそう言うと、賀喜さんはくすりと笑った。

「ふふ、確かに」

と、ここで業務中であることを思い出して俺は呼び出しボタンを指差した。

「あっ、注文決まりましたらそこのボタンで呼んでくださいね」

「あっ、はい!お仕事の邪魔してすみません!」

「いえ、あと一時間で閉店ですけどゆっくりしていってくださいね」

「はい!」

賀喜さんとの会話を終え仕事に戻ると、遠藤さんが俺の元へとトコトコと歩いてきた。

「あ、あの…」

きっと、頬をツンツンしたことに関してだろう。
俺は素早く頭を下げた。

「さっきはごめん!いくらなんでもやりすぎた!」

「え…?」

「セクハラって訴えられてもおかしくないと思う!でもやましい気持ちは一切無かったからどうか許してほしい!」

「や、ちが、ちがいますっ。そのことじゃなくて…!」

あれ、違うのか?
恐る恐る顔を上げるとまたしても顔を赤く染めた遠藤さんが恥ずかしそうに否定していた。

「え、でも今日はずっと避けられてたし怒ってたのかなって…」

「あれはっ、恥ずかしくなっちゃったからで、自分から言い出した事なのに怒るわけないですっ…」

「そ、そっか。それなら良かった…じゃあ何の用?」

そう聞くと、遠藤さんは少し遠慮がちに口を開いた。

「さっき話してた女の人って、お知り合いですか…?」

あぁ、賀喜さんの事か。
知り合い、という程は知らないし…

「んー…顔見知り?って感じかなぁ」

「そ、そうですか…」

遠藤さんは何だか腑に落ちてないようだった。

「うん。何か気になる事でもあった?」

「あ、いえっ、なんでもないです」

「そっか」

その瞬間、呼び出しのベルが鳴った。

あの番号は…賀喜さんのテーブル席だ。

「あ、俺行ってくるよ」

「はい…」

遠藤さんの様子が少しおかしい気もしたが、待たせるのも悪いので俺は賀喜さんのテーブル席へと向かった。

「お待たせしました。お伺い致します」

「あ、えっと、この蒸し鶏とキノコのサラダをお願いします!」

いきなり従業員モードに入った俺に驚きつつも、賀喜さんはメニュー表を指差した。

「以上でよろしいですか?」

「はい!」

夜遅いとはいえ、サラダだけで足りるのか…?

女の子といえど、少し心配になる。

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

「はい!」

この子、意外と明るいんだな…。

………

出来上がったサラダを席に運ぼうとすると、再び遠藤さんが俺の元へやって来た。

「あの、これ私が行っても良いですか…?」

「え、あぁ…いいけど…」

遠藤さんにしては妙に積極的だな。

いや、いい事なんだけど。

「い、行ってきます」

「あ、うん。お願いね」

遠藤さんはすぐに戻ってきた。
少し表情が暗い気がするのは気のせいだろうか。

「遠藤さん、ありがとうね」

「あ、はい…」

「何か元気ないように見えるけど…大丈夫?」

「あちらの女性…すごく可愛いですね…」

そう言って遠藤さんは、賀喜さんの方をチラりと見やった。

でも、急に何だ?確かに賀喜さんは可愛らしい子だとは思うけど…

「そ、そうだね」

「やっぱり山下さんもそう思いますか…?」

「え、あー…世間一般的に見たら可愛いんじゃないかな…?」

「…ああいう子が好みなんですか?」

「へっ?俺?」

話が急角度で曲がったな…何で俺の好みの話になるんだ…?

「そ、そうだなぁ…好みか好みでないかで言うと…」

と、答えようとすると…

「や、やっぱり大丈夫です!変な質問してすみませんでしたっ…!」

「あっ、遠藤さん?」

またしても遠藤さんはバックヤードの方へと行ってしまった…。

遠藤さん、何だか今日は変だな…。

───そして十数分後、賀喜さんがお会計をしにレジへとやって来た。

「すごく美味しかったです!!」

「それは良かったです」

そんな会話をしながら会計を済ませると、賀喜さんはレシートを握ったまま目の前に立ち尽くしていた。

「あ、あのぉ…」

「はい?どうかされました?」

そう聞き返すと賀喜さんは何故か視線をキョロキョロとさせながらスマホを取り出した。

「えっと、ですね…」

「は、はい」

「───っ、ごちそうさまでしたっ…!」

「えっ!?あっ、ありがとうございました…」

…行ってしまった。

一体何がしたかったのだろうか…。

………

その日の営業が終わり、締め作業をしていると突然店長がこんな事を言い出した。

「ねぇ、聞いた?山下君」

「何がですか?」

「最近この辺に不審者が出てるらしいんだ」

「えぇ…物騒ですね」

「参ったよなぁ、こういうのって噂だけでも夜の時間帯は女性のお客さんとか減っちゃうし」

確かにその通りだ。

お店として他人事ではない。

「何よりラストまで残ってくれてる女の子の従業員が心配なんだよ」

「あー…危険ですもんね」

今日でいうと…遠藤さんか。

そこに偶然遠藤さんが通りがかった。

「あ、遠藤さん!ちょっといいかい?」

店長が声を掛ける。

「何ですか?」

「最近この辺に不審者が出るらしいんだ。ただの噂かもしれないし、遠藤さんはお店から家が近いから大丈夫だと思うんだけど、充分に気を付けて帰ってね」

「そ、そうなんですか…分かりました…」

遠藤さんは浮かない顔をしたままバックヤードへと戻って行った。

…大丈夫かな。

────────────────────

締め作業を終えて帰ろうとすると、店の入口に立ち尽くした遠藤さんの姿があった。

「遠藤さん?」

「ひゃっ!」

「うぉっ!」

遠藤さんからまさかそんな声が出るとは思わず俺も変な声を出してしまった。

「や、山下さん…!」

「ご、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだ…」

「い、いえ…私もすみません…」

「で、どうしたの?こんな所で立ち尽くして」

「さっき店長から聞いた話が引っかかってて…」

「あー…」

「ちょっと怖くて…」

そりゃあ帰り道に不審者が出るかもしれない、なんて聞かされたら誰だって怖いに決まってる。

遠藤さんのような女の子なら尚更だろう。

「そしたら俺が家の近くまで送っていこうか?」

「え…?」

目を見開く遠藤さん。

やましい心なんて一切無い、純粋な良心で言ったつもりだが流石に踏み込み過ぎただろうか…

むしろ俺の事が不審者に見えてたりして…

「ご、ごめん。流石に嫌だよね…俺帰るね!」

流石に気まずくなってしまった俺は逃げるように店を出た。

しかし、その歩みはすぐに止められた。

「待ってください…!」

「へ?」

遠藤さんは俺の上着の袖をちょこんと握っていた。

「まだ何も言ってないじゃないですかっ…」

少しだけ不機嫌そうな遠藤さんの声。

「ご、ごめん」

「山下さんさえ良ければ…お言葉に甘えてもいいですか…?」

「えっと、気遣って言ってくれてる?不審者が出なくても俺と帰るのが嫌だったら本末転倒だよ?」

自分で言っておきながら、何か悲しくなってくるな…。

「嫌じゃないです…!」

「そ、そっか。じゃあ…帰ろっか?」

「はいっ」

ところで…

「上着の袖は、ずっと掴んでるのかな…?」

遠慮がちにそう伝えると、遠藤さんはその言葉を聞いた瞬間にとんでもない速さで手を離した。

「す、すみません!迷惑でしたよね!」

「いや、迷惑じゃないよ?単純に気になってさ」

「こうしてないと何だか不安で…」

「そっか。じゃあ…はい」

俺は再び手を差し出す。

「いいんですか…?」

「もちろん。その方が怖くないんでしょ?」

それなら断る理由なんてない。

「じゃあ…失礼します」

そう言って遠藤さんは再び上着の袖を掴んだ。

そして二人揃って歩き出す。

何だか不思議な気分だ。

まさか遠藤さんと一緒に帰る日が来るなんて想像もしなかった。

何話せばいいんだろうか…。

「…大学はどう?楽しい?」

俺は聞いておきながらすぐに後悔した。

遠藤さんは三年だぞ。どう考えてもこの質問は一年の子にする質問だ。

「あ、はい…楽しいです…」

はい、この会話終わった。

やっべぇ〜…俺のコミュ力のなさが如実に出てる。

「遠藤さんってさ、休みの日は何するの?」

「特に何も…気付いたら夕方になってますね…」

「そ、そうなんだ」

うーん…これは非常にマズイな…。
当たり障りのない質問から会話を広げていこうと思ったけど、何もしてないんじゃ広げようがないぞ…。

「好きな人とかいるの?」

困り果てた俺は気付けばそんな質問をしていた。

すぐに、“しまった”と思った。

何故なら遠藤さんの歩みが止まったから。

夜道に二人で歩いている時に、興味もない男からこんな質問されたら気持ち悪いに決まっている。

何故いつも気付けないのだろうか。自分がつくづく嫌になる…。

俺は遠藤さんの表情を伺う前に謝罪の言葉を口にした。

「ほんっとにごめん!今のは軽率な質問だった!」

しかし遠藤さんは俯いたまま、何も言わなかった。

「あの、遠藤さん…?」

まさか…怒ってる?

恐る恐る屈んで、遠藤さんの表情を確認しようとすると、それより先に遠藤さんが顔を上げた。

「す、好きな人、います…!」

「そ、そっか…」

街灯に照らされたその顔は、明らかに赤らんでいた。

正直、予想外な返答だった。

遠藤さんが気になる人って、一体どんな人なのだろうか。

「い、行きましょう」

遠藤さんは恥ずかしさを誤魔化すかのように歩き出した。

「遠藤さんにもそういう人いるんだね…」

「…私だって女の子ですからっ」


不覚にもドキッとしてしまった。

いかんいかん、相手は未来ある女子大生だぞ。

自分よ、立場を弁えろ。

「山下さんは…」

「ん?」

冷静さを取り戻そうとしていると、遠藤さんが徐に口を開いた。

「山下さんには、そういう人いますか…?」

彼女の上目遣いに、またしても心臓が早まる。

「お、俺?」

思わぬ質問だったが、答えに詰まる事はなかった。

「俺は特にいないかなぁ…」

「ち、ちなみに好きなタイプとかって…?」

まさか遠藤さんからそんな質問されるとは…

驚きつつも質問について考える。
好きなタイプか…

「そうだなぁ…明るい子かな?一緒に居て楽しい子とか」

「そうですか…」

その会話を最後に、遠藤さんは黙りこくってしまった。

そして数分後、遠藤さんは
“もう近くまで来たので、ここで大丈夫です”
と言って、掴んでいた上着の袖から手を離して行ってしまった。

………

どうしよう、好きなタイプ聞いちゃった…!

顔が熱くて仕方ない。

好きな人が山下さんって事、バレちゃったかな…?

絶対バレちゃったよね…。

…いや、でも山下さんは全然ピンと来てなかったし大丈夫かな…。

「明るくて、一緒に居て楽しい子か…」

私とはまるで正反対だ…。

明るい子だね、なんて今まで一度も言われたことがない。

早くも心が折れてしまいそうだ…。

それでも、せっかくの初恋を諦めたくはなかった。

周りの友達には皆彼氏がいて、“さくらも彼氏作りなよ!”なんて言われても今までは全く興味が湧かなかった。

でも山下さんに恋をしてから、私の世界は変わった。

山下さんとシフトが一緒の日が楽しみで仕方ないし、その為なら何だって頑張れる気がした。

さっき別れたばかりなのに、もう会いたくて仕方がない。

恋って、こんなにも苦しくて素敵なものなんだ…。

私は初恋の味を噛みしめながら、夜空に浮かぶ月を見上げた。


どうか、この恋が叶いますように。


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