見出し画像

昭和の受験戦争:偏差値教育に振り回される親たち

先日、【 昭和の受験戦争:勉強が全てだった時代】という記事をアップしました。この記事は、僕が中学3年生だった1979~1980年の受験戦争について書いたものです。👇

今回は、僕より下の世代(1988年に中1~中3の子たち)の受験戦争(偏差値教育)について語ってみたいと思います。


教材のアルバイトを通じて:中学1年

1988年3月、僕が23歳の時に教材の訪問販売のアルバイトをしました。その時、僕は大学生でした。このアルバイトは、大学生の男女が中学生を対象に教材を訪問販売するというものでした。4月から中学校に入学する子どもたちも対象です。

中学生になると、小学生のときと違って中間テストや期末テストがあります。子どもたちやその親御さんは、「勉強は大丈夫だろうか?」という不安を抱えつつも、中学生活への期待を持っていました。初めて迎える中間テストのために…そんな想いからか、教材を購入してくれる家庭もありました。購入してくれた家庭には、初めての中間テストの前に、その子に勉強を教えに行きました。教材の使い方も教えしました。さすがに、その子にとって中間テストは初めてのことですから、戸惑いもありますよね。でも、一緒に勉強をすることでその子は安心します。お母さんにも感謝されました。

このように、中学1年のお子さんがいる家庭とは楽しく穏やかに進めることができましたが、中2や中3のお子さんがいる家庭の場合は、そうはいかないのです。


教材のアルバイトを通じて:中学2年、3年

中学2年から中学3年のお子さんがいる家庭では、成績が良い子の場合は問題ありませんが、成績が悪い子の場合、お母さんがとても不安になっているのです。教材の説明をする際、その子とお母さんとで3人で話すのですが、特にお母さんはその子の将来を過剰に心配してしまい、悩んでいるのです。おそらく担任の先生から「この成績のままでは…」と、厳しい言葉をかけられているのでしょう。話を進めるうちに泣き出してしまうお母さんも何人かいました。「この子は勉強ができなくて…将来が心配で心配で…」という言葉をよく耳にしました。

今であればさまざまな情報があるので、「偏差値教育がすべてではない」と考えることができますが、当時は情報が限られていた時代でした。その時代の風潮で「学歴が最も重要」と考えてしまうことがありました。そのため、お母さんたちも、そのような考えに振り回されて悩んでしまうのです。僕も当時は同じ考えで、「社会のシステム上、学歴は重要」と思っていました。実は僕自身、大学受験で思うようにいかなかった経験があります。そのため、中学生の子どもたちには何とか成績を上げてもらいたいと思い、教材を提供していたのです。


偏差値教育に振り回される親たち

そんなわけで、このアルバイトを経験したのですが、僕が受験生だったころ(1979年から1980年)と比べて、1988年のほうがシビアな状況になっているように感じました。僕らのころは、親たちはそこまで神経質になっていなかったんです。

しかし、時が流れて1988年になると、親たちの様子が変わっていました。過敏に反応するお母さんが多く見られました。

親が子を思う気持ちは素晴らしいことです。しかし、成績が良くないからといって過度に心配して泣いてしまうことが、子どもにとってどう影響するのか、考えてみる必要があります。「親に心配をかけている」「自分は勉強ができない子だと思われている」「自分はダメな子だ」と感じることで、自己肯定感が低くなり、成人してからの生きづらさにつながる可能性があります。確かに、困難を乗り越えて成功する子もいますが、そうでない場合もあります。だから、「学歴」という 「一つの枠」にとらわれず、「さまざまな枠がある」という視点で教育してほしいです。「一つの枠」にはめて「この枠でなければならない」とすると、その枠に合わなかった子どもたちが自信を失ってしまうのは残念なことです。

もちろん、当時の親たちを責めることはできません。彼らも彼らなりに一生懸命だったからです。ただ、情報が限られていた時代だったため、「それが当たり前」となってしまっていたのです。


問題児という、適切でない言葉

この記事を書きながらふと思い出したのですが、当時の大人たちは、勉強のできない子や、言うことを聞かない子を「問題児」と呼んでいたような気がします。この言葉は適切ではありません。子どもたちが勉強に苦労しているのは、自ら望んでいるわけではなく、彼らも自分なりに努力をしています。しかし、彼らを取り巻くさまざまな環境要因が、勉強を苦手なものにしてしまっているのです。さらに、成績が振るわないことで大人たちから非難されると、子どもたちは反発心を持ち、言うことを聞かなくなることもあります。

結局のところ、当時の大人たちが設けた「レール」から外れる子どもたちに対して「問題児」というレッテルを貼ること自体が、本質的な問題を見過ごしていると感じます。このレッテルは、子どもたちに対する誤解と偏見を助長し、彼らの可能性を狭めてしまうものだと僕は考えます。


まとめ:すべての子どもたちが才能のカタマリ

昭和の受験戦争を振り返ってみました。前回の記事【 昭和の受験戦争:勉強が全てだった時代】では1979年~1980年の時代について、今回は、1988年の時代について語りました。

最近、40代や50代の引きこもりが増えているという報告があります。これは、過去に大人たちが設定した一定の「レール」から外れたことで、自信をなくし、結果として引きこもってしまった可能性も考えられます。

加えて、「教育虐待」という言葉が近年、注目されています。これは、たとえば「特定の大学に入らなければならない」といった親の価値観を子どもに無理強いする状況を指します。子どもが親の期待通りにならなかった場合に、怒られたり、過度に心配されたりすることは、子どもにとって有害です。このような環境下で育つと、子どもは自己のアイデンティティを見失い、自尊心や自信を損なう可能性があります。

僕は、全ての子どもたちが才能のカタマリだと考えています。しかし、その才能に気づかずに大人へと成長してしまう子どもたちが多いのは、非常にもったいないことです。子どもたちが持つ独自の価値と無限の可能性を見出し、それを支援することがとても重要だと思います。


👇 kindle出版しています 👇


この記事が参加している募集

みらいの校則

受験体験記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?