石井健蔵

解決のための問題設定を間違えていませんか。事業承継から地方創生までお手伝いする、『So…

石井健蔵

解決のための問題設定を間違えていませんか。事業承継から地方創生までお手伝いする、『Social Design Partner』です。 Human Bandage Japan代表、NPO法人渋谷川ルネッサンス事務局長兼代表代行

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■なにをするサークルか 学校で習うことは正解が決まっていることです。でも、現実の社会には正解がありません。だからこそ、正解が決まっていない知識を学ぶサークルです。 ■活動方針や頻度 月1回、リアル+オンラインでの会合をやります。 不定期ですが、勝手に管理人がいろいろな議論をふっかけてきますので、「あーでもない」「こーでもない」と議論をしましょう。 ■どんな人に来てほしいか 自分の根っこを作りたいと考えている人。 根っこがきちんとあれば、やがて花が咲いたり実が成ります。 ■どのように参加してほしいか 思ったことを思ったまま発言してほしいです。 人は、価値観や考え方が異なって当たり前なので、相手の意見は尊重して欲しいです。

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「足」と「口」、かな。やっぱり。

「あの人と会ったのは、あれが最後だったのかなあ」と、後になってから想う。別れは突然やってくる。出会いもそうなのだけれど。  自分の親族は、割と元気で長寿な人が多いけれども、人間なのだから、いつかは必ず終わりがやってくる。そして、だいたい予兆となるパターンは決まっている。 「最近、食が細くなって」 「自分で歩けなくなってきてから、ちょっと」 これを聞くと、その後は、日に日にだんだんと弱ってしまって…と、続くことになる。まあ、もちろん他のパターンもいろいろとあるのだけれど、そこ

    • 経済政策の復活、か?

      経済政策って、もう役に立たなくなってきたと感じてきていたところで、ゾンビのように復活してきていると感じている今日この頃。  (その1)『図説 日本の財政』の最新版に、IS/LM曲線を使ったマンデル・フレミングモデル(懐かしいー)が登場。金融政策の有効性と開放モデルおよび日本の現状について記述している箇所があり、なかなか面白かった。  (その2)6月に経産省が発表した『経済産業政策の新機軸』を見ると、アメリカが40年ぶりに産業政策を復活させる動き、中国が内需を梃に投資の呼び込み

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        真夏の朝のキャットストリート

        2021年8月10日AM5:30。

        • 開会式は、喉にささった魚の骨のよう・・・じゃありませんでしたか?

           私個人は、本来、終わってしまったことを、とやかく言わない人なんですけど、開会式のまとまりのないバラバラ感が喉に刺さった魚の骨のようだったので、骨取りのつもりで投稿します。  リオ・オリンピックで安倍総理をマリオに変身させ、青森大学体操部の若者の見事なパフォーマンスを活かし、少人数ながらもそれを感じさせない見事な演出をしたのが、振付師のMIKIKOさん。  その腕を買われて、280ページに及ぶ開会式案を作成、IOCにプレゼンをして絶賛された。その内容は、大友克洋原作の『AK

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          3minビジネス教養小ネタ集『民族と宗教・キリスト教の世界』

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          代々木公園の木を、パブリックビューイング会場設置のために、36本も切るの?

          新国立競技場建設時に1,500本の木を突然切り始めたのにもびっくりしましたが、代々木公園でパブリックビューイング会場設置のために36本の木の剪定を突然開始しています。  ネットで話題になっていたので、確認してみると、本日のお昼頃の時点で、既に作業場所の12本目あたりまで剪定が進んでいるようです(1番から順番に作業してるようです)。  私は、ほぼ毎日のように代々木公園で早朝(本当に早朝で5時前くらいです)の散歩をしていますが、少なくとも先週の金曜日までは何もありませんでした。

          代々木公園の木を、パブリックビューイング会場設置のために、36本も切るの?

          国の安全と安心、硬すぎるタイトルかな?

           古来、国家を運営する基本は安全と安心。徴税と正当な内外暴力(警察と軍隊)という安全を確保した上で、苦労してきたのが、安心の確保、それは自然との対峙。要するに、治水が鍵でした。 水の氾濫を防ぎながら、水を引いてきて(陸稲ではなく水稲なので)、作物が作れる土地を作ることが出来るかどうかが政治の基本です。  それは、現代に言い換えれば、食料自給と雇用機会の確保でしょう。  ひるがえって日本をみると、カロリーベースの食料自給率は38%、東京都に至っては1%です。  正規雇用者はど

          国の安全と安心、硬すぎるタイトルかな?

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          3minビジネス教養小ネタ集『明治神宮100年祭ライトアップ』

          2020年11月1日、明治神宮は鎮座100年を迎え、夜間ライトアップ特別参拝を実施。19時30分からは、明治神宮本殿裏と神宮球場、内苑と外苑の2箇所から約15分間にわたって花火が打ち上げられました。

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          <本多静六博士のエピソード・その6(成功への道)>

           昭和2年、定年を迎えた清六は、最小限の財産を残し、全額寄付します。お金に苦労した清六は、”子どもが自分と同じような苦労をしないように”と考え、貯蓄に励みましたが、逆に”苦労をさせないことの方が子どもを不幸にする”と思い直したのでした。  その後、関東大震災後の復興について、後藤新平から相談されます。「ミュンヘンで一緒にいた時に、スペインのバルセロナの都市計画のことを話していただろう?それを東京に置き換えて案を練ってくれ」と、いうものでした。案を作成して後藤に渡したところ、

          <本多静六博士のエピソード・その6(成功への道)>

          <本多静六博士のエピソード・その5(ドイツ留学と博士の道)>

           卒業後4年間ドイツ留学を許すという条件で詮子(せんこ)と婚約した清六。留学中に思わぬ事件に巻き込まれます。留学費用を全額預けていた銀行が倒産。養父からは、「自分の力で何とかしてくれ」と、いうものでした。  そこで清六が考えたのは、4年を2年に短縮して学んでしまうという方法。朝6時から夜8時まで、毎日講義を聞き、3時間睡眠で乗り切ります。せっかくだからと博士(ドクトル)を取得するためミュンヘンへ。  ドクトルの資格を取るには、①論文、②面接 、③演説の3つの試験に合格しなけ

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          本多静六博士のエピソード・その4(大学生活)

           当時の駒場(*現在の東京大学駒場校舎)は肥臭い農村部落。正門は前田侯爵邸正門側にあり、現在の正門は裏門でした。急な宮益坂では、しょっちゅう肥車が転覆し、道玄坂はおいはぎが有名な場所でした。  大学は全寮制でしたが、こんな場所だったので、運動会をやっても、見物に来る人も少なく、他校のように盛り上がりません。そこで、仮装して武者行列を行い、新聞などで大層な話題になります。  荒っぽい学生ばかりで、賄征伐(まかないせいばつ)といって、「+」のマークが寮内にこっそり張られると、

          本多静六博士のエピソード・その4(大学生活)

          本多静六博士のエピソード・その3(山林学校へのいざない)

           15歳~18歳まで、農繁期は郷里で米つき、農閑期は東京で書生という暮らしをしていました。  ある時、下宿先の家主で大蔵官僚だった島村先生から、「今度、官立の林業学校(*現在の東京大学農学部)ができるらしいが、ひとつ学んでみる気はないか?」と言われます。  そこで清六は、田舎の役所に掛け合い、半年の年増をしてもらって18歳ということにしてもらって受験資格を得ます。 試験の結果は合格者50人中の50番。その後、必死に勉強しますが、なかなか幾何と代数が理解できません。  初め

          本多静六博士のエピソード・その3(山林学校へのいざない)

          本多静六博士のエピソード・その2(父の死と学問の道)

           10歳の時、42歳の厄年だった父が急死。肩が張るといって就寝、翌朝には冷たくなっていたそうです。  父の死に伴い、家計が苦しくなり、百姓仕事をさせられて自由な時間がなくなると、逆に学問が好きになります。米つきのリズムに合わせて、四書五経などをすっかり暗唱出来るようになります。  また、仕事を工夫する知恵もつき、馬糞集めなどは、まだ薄暗いうちに家を出て、2キロくらい先まで馬糞の数を30くらいまで歩きながら数えます。そこから向きを変えて、家に帰りながら馬糞を籠に詰め込んでい

          本多静六博士のエピソード・その2(父の死と学問の道)

          本多静六博士のエピソード(少年時代)

          6回シリーズで、渋谷川の源流の1つである明治神宮の杜を設計した本多静六博士の自伝からの物語をお送りします。 今日は1回目<少年時代>です。 <本多静六博士のエピソード(少年時代)>  兄は「学問をしない人間は、眼の見える盲人なんだ」と言いますが、わんぱくな清六少年はどこ吹く風。 特に2つの遊びに打ち込みますが…。  1つ目は、ねつ木遊び。木の先を尖らせて、右手で力いっぱい地面に打ち付け、相手のねつ木を倒す遊びですが、ある時、間違って自分の足に打ち込んで大怪我します。  

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          数学、こわい。マイナス×マイナスが、なんでプラスなの?

          もともと、算数が苦手で、中学までは何とか我慢して勉強したけれど、高校に入って、すっかりサヨナラしてしまった私。(あ、でも大学時代に独学で勉強やり直して、ラグランジュ未定乗数法までは身につけました、念のため。)  そもそも、どうしてそんなことになったのか。記憶を辿ると、①分数でひっかかる、②マイナスの概念で決定打、だったように思います。  分数でひっかかったのは、ケーキを3つに切り分けるときに、概念上きっちり等分できないということに、学問としての怪しさを感じてしまったこと。

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          3minビジネス教養小ネタ集『経営と”美意識”』

          MBAで学ぶ経営者と手法がゆきわたることで、解決法が金太郎飴のように共通化されてきました。その結果、差別化がなくなり、新たな手法をもとめるようになりました。その結果求められるようになったのが”美意識”だったのです。

          3minビジネス教養小ネタ集『経営と”美意識”』

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