円城寺健悠

別府大学 大学院 文学研究科 史学・文化財学専攻 アーカイブズ学分野 博士前期課程 1…

円城寺健悠

別府大学 大学院 文学研究科 史学・文化財学専攻 アーカイブズ学分野 博士前期課程 1年生。同大アーキビスト養成課程修了。地域史料保存の研究、別府の歴史を伝え残していく活動(展示・執筆・講演)をしています。https://kenyuenjyouji.wordpress.com/

最近の記事

『別府歴史の旅』#6「九州横断道路」

 「九州横断道路」は、別府国際観光港を起点とし、九州の中部を横断して長崎港へいたる観光と産業のルートです。横断道路の最初の提唱者は別府観光の父「油屋熊八」です。 油屋熊八については以下の記事にまとめています。  昭和3年(1928)、別府-阿蘇-雲仙-長崎を結ぶ九州横断観光道路が将来の別府発展の中心課題であると横断道路の実現を熱心に提唱しました。  昭和4年には「九州横断国際遊覧幹線期成会」を大分・長崎・熊本の代表者で結成しました。その時のプランに、この横断道路を主軸に

    • 『アーカイブズ通信』#6「文書館の目的」

       安藤正人『草の根文書館の思想』(岩田書院、1998年)によると、文書館の目的は次の3つだといわれています。 1. 文化遺産の保存 2. 市民の権利の保障 3. 行政あるいは経営の効率化・高度化 1. 文化遺産の保存  公文書、企業文書などの記録文書は、年月がたつと人間の活動の歴史をあとづける貴重な知的文化遺産になります。  知的文化遺産を保存し利用に供する施設としては、他に博物館や図書館がありますが、文書館は「記録遺産」という特定のジャンルを守備範囲にした文化遺産保存施

      • 『別府歴史の旅』#5「別府の発展は港から」

        「別府の発展は港から」といわれるように、明治17年(1884)、大阪商船株式会社によって、阪神・別府間に初めての定期航路が開かれてから、数多くの入湯客や観光客が瀬戸内海の航海を楽しんで別府へ入港してきました。  明治4年(1872)の築港時は長崎・博多に続く九州第3番目の波止場でありながら、船溜まりが浅いため大型の船は入港ができなかった別府港も、大阪商船専用桟橋が造られ、大型船が着岸できるようになったのは大正9年(1920)のことです。桟橋は現在の北浜ヨットハーパーの浜脇よ

        • 『アーカイブズ通信』#5「文書館とは何か」

           県や市町村には、文書館や公文書館と呼ばれる施設があります。  一般的に文書館というのは、行政機関、企業、団体など、さまざまな組織体あるいは個人がその活動の中で作成したり受け取ったりしたナマの文書記録を、永久保存して一般の利用に供する施設のことです。  文書館は英語で「アーカイブズ(Archives)」といいます。日本ではまだ馴染みのうすい存在ですが、いわばライブラリー(図書館)やミュージアム(博物館)の仲間で、欧米をはじめ諸外国では人気な施設です。  日本では、国立公文書

        『別府歴史の旅』#6「九州横断道路」

          『アーカイブズ通信』#4「アーキビストを目指して②」

           2019年4月に別府大学に入学した私は、アーカイブズ学の第一人者である針谷武志教授の研究室をノックし、アーキビストを目指している旨を伝えました。  すると先生からは、「まずは、くずし字を読めるようになるところからだね。アーカイブズの理論的なモノは講義で扱う参考文献などを読むといいよ。」と優しく声を掛けてくださいました。言われた通りに私は、くずし字辞典を購入し、アーカイブズに興味・関心のある学生たちが集まっている「別府大学アーカイブズ・史料学研究室」に入り、別府大学アーカイ

          『アーカイブズ通信』#4「アーキビストを目指して②」

          『別府歴史の旅』#4「一遍上人と鉄輪蒸し湯」

           別府八湯の一つである「鉄輪温泉」。その原点とも呼べるのが、一遍上人と蒸し湯です。  鎌倉時代(1276年頃)、時宗の開祖である一遍上人が鉄輪を訪れ、熱湯や有毒なガス(蒸気)が噴出している状態、いわゆる「地獄」を鎮め、「温泉療養の場」として鉄輪に湯治場を開きました。  つまり、鉄輪にとって、一遍上人は温泉や湯治の開祖であり、地元の人たちは一遍上人を大切にしてきたのです。  そんな一遍上人が創設したのが、「鉄輪蒸し湯」です。鎌倉時代から現在まで700年以上もの伝統が続いてい

          『別府歴史の旅』#4「一遍上人と鉄輪蒸し湯」

          『別府歴史の旅』#3「古代の記録に別府の温泉が!?」

           別府の温泉が歴史の舞台に登場してくるのは、8世紀の前半に作成された『豊後国風土記』になります。  この『豊後国風土記』には、鉄輪・亀川地区の温泉に関する詳しい記述があり、「赤湯の泉 郡の西北のかたにあり。この湯の泉の穴は、郡の西北のかたの竈門山にあり、その周りは十五丈ばかりなり。湯の色は赤くして埿あり。用ゐて屋の柱を塗るに足る。埿、流れて外に出づれば、變りて清水と爲り、東を指して下り流る。因りて赤湯の泉といふ」とあります。  この赤湯については、郡の西北の竈門山に位置する

          『別府歴史の旅』#3「古代の記録に別府の温泉が!?」

          『アーカイブズ通信』#3「アーキビストを目指して①」

           「アーキビストを目指して」ということで、今回は私がアーキビストを目指している理由について書きたいと思います。  私がアーキビストを目指すきっかけとなったのは、小学校4年生の頃まで遡ります。  夏休みの一斉登校の日に行われる平和集会で長崎の原爆の話や佐賀でも空襲があった話を聞き、恐くなるほどの衝撃を受けた私は、一目散に祖父のところへ向かいました。  私の祖父は太平洋戦争時代をリアルに経験した世代の人で、私が「おじいちゃんはその時どうしてたの?」と聞くと、普段は口数少ない祖父

          『アーカイブズ通信』#3「アーキビストを目指して①」

          『別府歴史の旅』#2「別府の始まり-温泉の誕生-」

           別府に温泉が誕生したのは今から5万年前といわれています。  それが現在の「別府八湯」で、浜脇・別府・観海寺・堀田・鉄輪・明礬・紫石・亀川の8つの温泉郷へとつながっています。  別府は、源泉数と湧出量ともに日本一であり、「鶴見岳」と「伽藍岳」の2つの火山を中心とした断層が豊富な温泉資源をもたらしています。  また、火山活動による広大な高原や丘陵地、河川など、各地に火山の恵みを受けて温泉が行き届く地形が広がっています。  結論、何が言いたいのかというと、「別府の始まり=温泉」な

          『別府歴史の旅』#2「別府の始まり-温泉の誕生-」

          『アーカイブズ通信』#2「アーキビストとは?」

           私は「アーキビスト」を目指しています。  「アーキビスト」という職業を端的に言うと、アーカイブズ機関(古文書・記録史料などを保管している場所や組織、主に国・都道府県・市町村などの自治体における公文書館などが挙げられる。)でアーカイブズ資料を取り扱う専門職のことを指します。  もっと深く知りたい方はこちらの書籍をオススメします。↓↓  日本語では、「文書館専門職」などと呼ばれることも多く、司書や学芸員のように国家資格にはなっていないものの、2020年から国立公文書館長が認

          『アーカイブズ通信』#2「アーキビストとは?」

          『別府歴史の旅』#1「別府という地名」

           「別府」という地名は、「弁分」(べんぶん)が語源となっています。  「弁分」は神事など特定の雑役を課すために 設けられた土地のことで、宇佐神宮とも深い関係があります。  「弁分」は「別免の符」と呼ばれており、 「別符」→「別府」となったといわれています。 詳しくはこちらの記事に載っています。 分かりやすくてオススメです!  次回は、「別府の始まり-温泉の誕生-」というテーマになります。 ≪次回≫ 『別府歴史の旅』#2 「別府の始まり-温泉の誕生-」

          『別府歴史の旅』#1「別府という地名」

          『アーカイブズ通信』#1「アーカイブズとは何か?」

           『アーカイブズ通信』記念すべき1回目は、「アーカイブズとは何か?」というテーマです。  「アーカイブズ」と言われて、皆さんはどんなイメージを持ちますか??あまり馴染みがないと思われる方が多いかもしれませんが、メディア等で過去の情報や記事が「アーカイブズ」と称して紹介されたり、Instagramのアーカイブ機能やライブ動画コンテンツのアーカイブ配信など、意外にも皆さんが日常的に利用しているものの中に「アーカイブズ」が含まれています。  つまり、「アーカイブズ」とは、過去の文書

          『アーカイブズ通信』#1「アーカイブズとは何か?」

          投稿を再開します!9月21日から『アーカイブズ通信』と『別府歴史の旅』がスタートします!

           お久しぶりです。約1年ぶりに戻って来ました。  3月に、別府大学 文学部 史学・文化財学科 日本史・アーカイブズコース アーキビスト養成課程を卒業し、4月から別府大学 大学院 文学研究科 史学・文化財学専攻 アーカイブズ学分野 博士前期課程に進学しました。  現在は、大学院で研究をしながら、引き続き別府の歴史を伝え残していく活動(展示・執筆・講演)をしています。  投稿を再開した理由は、アーカイブズや別府の歴史について、毎日発信していくコラムを作りたいと思ったからです。

          投稿を再開します!9月21日から『アーカイブズ通信』と『別府歴史の旅』がスタートします!

          「湯治ぐらし3」に住んで1年が経ちました。~振り返りと今後の目標~

          「湯治ぐらし3」に入居して 早くも1年が経ちました… "湯治を暮らしに取り入れる" というコンセプトのもと、 入居前とは比べモノにならないほど 自分の心と身体に意識を向けた 充実した日々を送れています。 また、素敵な出逢いも多く "湯治ぐらし"を通じて 新たな人間関係を築けたり、 日常生活の中で 住人の皆と協力して作業をするなど、 シェアハウスならではの 貴重な体験ができているように 感じています。 そして、 このような素晴らしい環境や機会を 与えてくださっている 湯治

          「湯治ぐらし3」に住んで1年が経ちました。~振り返りと今後の目標~

          別府の水上飛行機

          昨夜の金曜ロードショーで 放送されていた「紅の豚」。 映画の舞台は1920-30年代の イタリア、アドリア海ですが、 同時期に別府でも 水上飛行機(飛行挺)が 飛んでいました。 大正12年(1923)、 別府と大阪間に初めて 水上飛行機の定期航空路が 開設され、堺・高松・今治・大分線の 郵便航空路を週3往復開きましたが、 事業が振るわず、昭和4年(1929)3月に閉止しました。 この年から開かれた大阪・松山間の航空路が昭和10年(1935)5月以来、 毎週1回別府まで延

          別府の水上飛行機

          "サガン鳥栖"が大好き

          “サガン鳥栖” 私が心から愛するフットボールクラブだ。 私の地元である佐賀県を本拠地とし、ホームタウンは鳥栖市である。 私は幼い頃からサガン鳥栖が大好きで、地元を離れた今でも応援し続けている。 なぜ私はサガン鳥栖を愛しているのか? 今日はそんな話をしながら、クラブの未来を考えていけたらと思う。 1991年、佐賀県サッカー協会が静岡県リーグ1部の「PJMフューチャーズ」(静岡県浜松市)を佐賀県に誘致することを決定。 1994年、本拠地が鳥栖市に決まり、クラブ名を「鳥栖フューチ

          "サガン鳥栖"が大好き