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曖昧な言葉からの学び

今回のテーマ

曖昧な言葉をかけられたとき、どうするかについて書いています。
ただの私の考え、思いです。

よろしくお願いします。


曖昧な言葉や、お願いをされると、
私は相手の気持ちや期待ばかりを考え、
過剰に相手のご機嫌をとろうとしてしまいます。

そんなことを思い出していたら、
ふと考えたことがあるので、書いてみようと思います。


曖昧な言葉には、深い奥行きがあります。

それは、私たちの考えや感情がしばしば入り乱れし、
解釈が広がる余地を与えてくれます。

それゆえ、時には誤解や失望も含まれます。

この曖昧さは、時に私たちの心を混乱させ、
自分自身を危うくすることもあるのではないかと思ってしまいます。

相手の期待や望みに合わせ、自分自身を失ってしまうこと。

それは、まるで自分を見失ったような気持ちにさせます。

曖昧な言葉をかけられる。
まさにこの時、私は相手のことばかりに気を取られてしまいます。

曖昧がゆえに相手はどこまで求めているのだろうと・・・

この時、相手に過剰に合わせようとする気持ちが
頭を出しています。そこに私はいません。

言われたその時は、どうするか?どうしようか?ということばかりを
考えてしまうわけです。テンパると考えてよいかもしれません。

そこで私は考えたわけです。
曖昧な言葉をかけられた時こそ自分に立ち返る必要があるのではないかと。

曖昧な言葉、状況に合わせすぎな自分に気が付くことで、
自分の軸を思い出すという過程が必要な気がするのです。

相手の軸に合わせようと気を取られてしまえば、
そこに自分はいなくなってしまいます。

曖昧な言葉を向けられた時、相手ではなくこちらに意識を向け、
自分はいったいどうしたいのかを、見つめることで
自分というものを取り戻すことができるのではないかと思うのです。

相手が主ではなく、自分を主にする。

曖昧な時こそ、自分というものを出していく。
私はふと曖昧な場面を思い出し、今回考えてみたことです。


まとめ

ふと曖昧な場面になると、相手のことばかりを考えている自分を、
思い出しました。

そうした時こそ、自分はどうしたいのかを考える。
相手ではなく、自分を主にして行動すれば、
精神衛生上いいのでは?と考えたので、今回書いてみました。

今回はここまで



追記
事前にすり合わせして
曖昧なところを消せばいいのでは?
と思うかもしれませんが、曖昧なところは
残ってしまいます。そして引っ張られるんですよねー
その曖昧なところに。
気になってそこから抜け出せなくなってしまうんです。


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