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記憶と記録

写真って、表現方法であり同時に記録でもある。
作家活動でアウトプットするものは表現でしかないけど、構図も何も考えずにただそれを撮ったモノは記録としての価値がある。
 
プロの仕事は求められるものを写真にする、というシンプルな物。
例えば記録を求められているのに、表現に拘って絞りを開放にして一部にしかピントが無いボケが大きい写真を撮っていたら、記録としての価値が弱くなって次の仕事が無くなるって事も有るだろう。

この写真は、長崎の墓参りに使う竹線香の製作過程を撮った記録写真。
 
中国線香という別名がある竹線香は、竹ひごに杉の粉を布海苔で貼り付けた物で、ポッキーの様な・・と表現すれば状態はわかりやすいと思う。
これを製作している(できる?)のは草野商店さんだけとの事で、杉粉を均一にコーティングする所作を撮らせていただいた。
 
どんな作業場でどんな動作かをわかりやすくするために、ストロボは使わずシャッター速度と遅めにして手で振っている速度をブレで表現した。竹線香を天日干しするための板が積み重なっている様や窓を開け放って作業している事がわかる様な構図にしたのは、記録として必要だったからだ。
 
これを作家目線で捉えるなら、草野さんの正面から縦位置でウエストサイズで狙い、真横からストロボを1灯当てて陰影で表情や皺などを意識して振り下ろす竹線香の位置を計算して撮るだろう。
 
記憶としては、彼の表情の中に後継者がいない現実に対する感情が乗っかっていたこと。
そしてそれこそが人物を撮る上でもっとも捉えたいモノなのだけど、それは記憶の中に焼き付けて撮影を終えた。

表現としての写真は、テーマやモチーフをわかりやすくするため、ボケを上手く使うのもまた手段の一つ。輝度差や輪郭補正、色コントラストや構図などで視線誘導を図りながら1枚の画に仕上げていく作業は、記憶から引き出す感情の発露だと思っている。
 
とは言え、自分の場合は最終的に見せたいモチーフはあっても、テーマはぼんやりとした程度にしか持たないまま撮り、現像の段階で様々な演出をする中で明確にしていく、という緩い感じでやっている。
 
こんな写真も、その時持っていた感情と、感じていたその場の空気を表現しているのに過ぎないのだけど、写真を作っていく作業としては記録写真よりはるかに楽しいと思っている。

記憶の鍵としての価値もあると思っている写真は、その時見つけたモチーフが「意味ある」ものであり、同時に「表現すべき形」であり、時にメッセージを伝える手段としてのアウトプットになる。
 
自分の場合は、表現したいのが言葉ではなく映像での感情表現なので、こんなモチーフを見つけて撮ってしまう自分がそこにいた、と関連付けられて感情とシチュエーションの記憶が蘇るのだろう。
 
いや、記録写真を下に見ているわけではない。
記録写真の方が、感情表現のための写真よりある意味難しく、それこそ技術として裏付けられる様々な手段や考え方が必要なのだ。
だからこそ対価が発生するのだし、記録としての価値の重さも理解できている。
 
だけど、撮っていてつまらない。
記録として必要な構図を考え、同時に失敗が無い撮り方を考え、かつ速やかに撮影を行うだけでなく、周りに対して撮っている事を意識させない気配りが必要だからだ。
 
プロとアマチュアの違いと言えば、「プロは失敗できない」という事に尽きる。
写真作家は、何かに縛られることなく自分の表現に対してのみ誠実であれば良い。
 
だから今の状況は、かなり楽しいです。

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