囲碁・本因坊戦縮小の衝撃(1)

 囲碁界がざわついている。三大タイトル戦のひとつである本因坊戦の縮小が発表されたからだ。といっても何がどう衝撃なのか、囲碁に興味のない人には伝わらないと思うので、ちょっとそのへんについて書いてみる。長文である。

 ちなみにこれを書いている人物(佐藤健太郎)は、本業がサイエンスライターで、囲碁は小学1年のときに覚えて棋歴45年。アマ4段くらいの棋力だけど、人間相手にはここ20年くらい打っていない。プロなどにも知り合いはなく、囲碁界の内情などを詳しく知っているわけではない人間である。

 
 将棋と同様、囲碁にもタイトル戦がいろいろある。若手や女流向けのものなど大小いろいろあるけど、主要なものは7つで、全て新聞社が主催している。中でも棋聖(読売)・名人(朝日)・本因坊(毎日)の3つは別格で、これらは三大タイトルと呼ばれてきた。テニスの四大大会みたいな位置づけだ。

 三大タイトルの何が別格かというと、まず賞金額が違う。棋聖を獲得すると4300万円、名人戦なら3000万円、本因坊戦は2800万円が支払われる。その他のタイトルはいずれも1000万円前後なので、大きな差がある。

 次に、タイトルへの挑戦者決定方法が違う。他の棋戦はトーナメントで優勝した棋士が挑戦者になるが、三大タイトルはリーグ戦で決定する。三大リーグは「黄金の椅子」ともいわれ、ここに参加するのは一流棋士の証だ。もちろん対局料も一局数十万円と、相当に高い。また、それまで初段の棋士であろうと、リーグ入りが決まればその瞬間七段に昇段する。リーグ入りには、それくらいの価値があるのだ。

 そしてもうひとつ、三大棋戦の挑戦手合は、二日制七番勝負で行われる。8時間という贅沢な持ち時間を与えられ、一局に二日間をかけて、その時点で最高の実力を備えた両対局者が想を練って創り上げる棋譜というのは、世界でも日本だけに存在する文化だ。タイパ重視の時代にはそぐわないという見方もあるだろうけれど、囲碁界の頂上決戦の舞台として、今後も失いたくない形式であると筆者は思う。

 前述のように、囲碁のタイトルの序列は賞金額によって決まり、本因坊戦は序列3位だ。ただし本因坊戦には、それだけではない「格」がある。そのルーツをたどると、400年以上にも及ぶ歴史があるからだ。

 最初に本因坊を名乗ったのは、一世本因坊算砂。信長・秀吉・家康の囲碁の師を務め、初代の名人ともなった。算砂以降も本因坊家は囲碁の家元四家の筆頭であり続け、江戸時代にわたって代々名棋士を輩出した。「ヒカルの碁」に登場する本因坊秀策もその一人だ。

 本因坊家は昭和に入るまで続くが、21世本因坊秀哉の代に至り、世襲制を取りやめて選手権制へ移行することを決意する。こうして1939(昭和14)年に開始されたのが本因坊戦で、戦前から続く囲碁の棋戦はこれが唯一だ。

 1945(昭和20)年には、広島市で行われていた挑戦手合の最中に原爆が投下され、対局者が庭まで吹き飛ばされたにもかかわらず対局が完遂されたこともあった(原爆の局)。そうした長い歴史を経て、現在行われている第78期まで本因坊戦は続いてきたのだ。

 本因坊戦の特別さの一つとして、雅号を名乗れる点もある。歴代家元制本因坊に倣い、本因坊のタイトルを奪取した者は「本因坊秀格」「本因坊栄寿」といった号で呼ばれるのだ。現在の本因坊・井山裕太は、「本因坊文裕(もんゆう)」を名乗る。初代算砂から400年以上、連綿と続いてきた歴史の継承者である証だ。

 というような次第で、本因坊戦は囲碁ファンにとって格別の思いで見つめる棋戦なのである。しかし4月7日、その本因坊戦が第79期から縮小され、賞金額が今までの約3分の1である850万円に引き下げられることが発表されたのだ。この額は王座戦・天元戦を下回るため、本因坊戦の序列は第5位に落ちることになる。

 また、挑戦者決定リーグも廃止となり、16名によるトーナメント戦に変更される。タイトルマッチも持ち時間8時間の2日制七番勝負から、3時間1日制五番勝負となる。これは、王座や天元といったこれまでの小タイトルと同格の扱いだ。

 というわけで、ファンからはこの格下げを惜しむ声が多数挙がっている。本来序列1位であるべき、最も歴史ある本因坊戦がこのざまとは何事だというわけだ。筆者も、賞金額引き下げや予選の簡略化はやむを得ずとも、せめて2日制七番勝負の形は維持してほしかったと思う。

 実は、本因坊戦の縮小はある程度予期されたことではあった。本来ならば昨秋から始まっているべき第79期の予選が、一向に開始されないでいたためだ。何か契約でもめているらしい、という噂は聞こえてきていた。

 縮小に至った大きな理由は、主催者である毎日新聞の経営状態悪化だろう。三大紙の中でも毎日新聞は一番部数が落ち込んでおり、最初に無理が来るであろうことは誰にでも予測できることだった。

 斜陽産業の新聞にいつまでも頼らず、他のスポンサーを探すべきだったという声も多く挙がっている。だが、毎日新聞がこの申し入れをしたのは昨年の夏であったという。おそらくここまで必死のスポンサー探しを行ってきて、結局万策尽きたのだろう。

 なぜスポンサーが見つからなかったかといえば、単純に囲碁のコンテンツ力がないからとしか言いようがない。藤井聡太ブームが巻き起こり、連日マスコミで華やかに取り上げられる将棋界とは、あまりに大きな差がついてしまった。

 実際、将棋のタイトル戦には数々の一流企業がスポンサーについており、藤井六冠のタイトル戦が報道されるたびにスポンサーロゴが大きく映し出される。この点、囲碁は寂しい状況が続いている。

 本因坊戦が縮小するだけであるならまだいい。ファンが恐れるのは、この波が他の棋戦に波及することだ。経営が苦しいのは毎日新聞だけではない。一番の老舗が賞金額を下げるならうちも、と他社が追随し、一挙にタイトル料が減額、あるいはタイトルの統合・廃止といった事態は十分起こりうる。そうしてプロ棋士はオワコンとなれば、プロ入りを目指す若者などいなくなるだろう。今回の件は、日本囲碁界の終わりの始まりとささやく声は多くなっている。

 長くなりそうなので次回に続く。


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