見出し画像

心は世界を背負えない

僕は昔から壮大なことを考えるのが好きだ。
高校生の頃、自分のライバルはキリストだと密かに思っていたし、歴史に名を残すような偉人になりたかった。幸せになんかなりたくもなかったし収入も恋愛も結婚も大した興味はなく、偉業の副産物として後から勝手についてくるだろうと軽く考えていた。
まあ振り返ってみると誇大妄想の激しい中二病のガキなんだけど、この不条理な世界を変えたい気持ちは今でも持っていて、それと同時に自分自身の無力さを痛感しては虚しくなる。
若者と呼ばれる年齢も過ぎて、何一つ世界を変えないどころか自分自身の将来も見えてこない状況にある今の僕にできるのは頭の中で考えることくらいで、理想を育てれば育てるほどに現実との乖離と達成させる目処の立たなさだけがよくわかる。

世界を見渡せば今日も遠いどこかで戦争が起こり、いくつもの命が理不尽に奪われている。地球上の過半数を超える生物種が棲む熱帯雨林は、今日も世界中で伐採されてプランテーションに変わっていく。プランテーションのカカオ農園ではチョコレートの味を知らない子ども達が今日も汗水流して働いている。途上国に建てられた工場では強制労働が行われ、生産された製品は先進国へと渡っていく。自由を奪われ管理された大量の畜産動物は、狭い畜舎の中でただ屠殺の時を待つ。年端もいかない少女は児童婚によって見知らぬ男性の元へ売りに出されて、愛を知らずに一生を終える。
そのどれもを悪だと憎みつつも生活を優先して日々を過ごし、自分の力では何をしても変わるわけがないと半ば諦めているのが今の僕の現状だ。
あの日、世界を変える夢を見ていた少年は今の僕を見て笑うだろうか。悲しむだろうか。呆れるだろうか。ねぇ、僕はこの先、どこへ向かって歩けばいいのだろう。

夢ばかり見て歩いていたら現実に取り残されて、定職について家庭を築いて地に足つけた生活を送る同級生を羨ましく思うこともある。
子どもが好きでも結婚できず、一途な性格でも相手がおらず、朝になって目が覚めるとこのまま何も残せずに死ぬんだろうかと不安に駆られる。
芸事一つ持っていることの何が偉いんだと、観衆を熱狂させるエンターテイナーを見ても冷めた感情を抱く。歌が上手いからなんだろう。スポーツができるからなんだろう。YouTubeの再生回数がなんだろう。でも、僕がその中のひとりなら、世界を少しは変えられたのかもしれない。
値札のつかないものには価値がないと思っている人々が燃やし続ける熱帯雨林を、自分に値打ちがあれば守ることができたかもしれない。特大のホームランを打つことに興味はないけど、それで喜ぶ人が大勢いるのならボールを遠くに飛ばす以外のこともできるかもしれない。大衆の熱狂を作れれば世界を変える力が生まれるかもしれない。

僕がエンターテイナーになれていたなら、僕ひとりが細々とヴィーガン生活をするよりももっともっと大きな影響を与えることができたはずだ。
かつて僕は世界を変えるために特大のホームランを打とうと思っていた少年だった。強くなりたいと願い、革命家になるための足掛かりとして社会条件の中で活躍できる格闘競技を選んだ。エンターテイナーを少しも偉いと思っていないから、エンターテイナーとして成功できなかった自分に価値はないのだと心では思えなかった。高い自己肯定感が社会的成功へのモチベーションを削いでいた。
僕は僕じゃないか。生前は売れなかったゴッホの絵が死後売れたからといって本質は何も変わらないじゃないか。でも、何も変わらないはずなのに、生きている間に売れなきゃ世界は変わらないこともわかっている。

……あぁ、やっぱり僕は、世界を背負えない。

いくら世界を変えたくても、そのために自分を変えられない。売るために絵を描きたくない。でも、自分らしく生きられればそれでいいと思えないほどには、僕はもう世界の悲劇を知ってしまっている。
80億分の1はあまりに無力なのに、傲慢にも世界の悲劇を癒したいと思ってしまっている。そして癒せるわけがないと内心わかってしまっている。どうすることもできない対岸の火事を眺めては、次の瞬間には今日なにを食べようか考えている自分を俯瞰して嫌気がさす。
何者かになりたい病と、何者にもなりたくない病の両方に罹患して、不安と焦燥と無力感に苛まれる。

ニーチェは隣人愛を弱さだと言う。
こんな残酷な世界に住んでいながら、親切で優しい自分は善人なんだと思い込んで生きるほど愚かにはなれない。魔女狩りや人種差別や異教徒迫害を率先して行ってきたのは、規範意識が強くて社会倫理をよく守る、周囲とトラブルを起こさない優しい大衆だったはずだ。一緒にだけはなりたくない。
僕には彼らが持てない強さと知性がきっとあるのだから、個性を殺さずにこのまま歩き続けたい。
僕に世界は背負えないけど、世界に馴染むこともできないのだから、ただ自分の描きたい絵を描いていたい。いつか誰かと繋がりたいと密かに願って、ひとりで好きな絵を描いてみよう。
人生を懸けた作品をエンタメではなく自己表現として残してみたい。
夢破れた人間が見る最後の夢は、生きた証を残すことかもしれない。

この記事が参加している募集

私は私のここがすき

SDGsへの向き合い方

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

サポートしていただくと泣いて喜びます! そしてたくさん書き続けることができますので何卒ご支援をよろしくお願い致します。