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「なないろ」は虹色ではない世界の話

2021年7月号の「MUSICA」と「CUT」に、立て続けにBUMP OF CHICKENの藤原基央氏(以下「藤くん」)のインタビュー記事が掲載された。
これを読んで感じたことと、新曲「なないろ」を聴いて感じたことや自分なりの解釈を書いていきたい。

それぞれがそれぞれでしかないっていう事実

藤くんが書く歌詞は、一見何を指していっているのか分からなかったり、理解しづらいことがよくある。それが今回のインタビューを読んで、はっと腑に落ちたのは、

「みんな違う人間で、それぞれがそれぞれでしかないっていう事実を俺は大切にしています。」

という言葉。前後の文脈もあるので、できれば「MUSICA」2021年7月号を読んでほしいのだけれど、ここで話されているのは、「それぞれがそれぞれ」というところはあるものの、「だからいい」までは言えない、言うべきではないし、それを見て人がどう感じるか、どう思うかは、それぞれの人が決めればよいという趣旨のこと。

藤くんの歌詞は、結論がなくて情景がある。
言い方を変えると、明確な主義主張を持たないし、「みんなで気持ちを合わせて頑張っていこう」といった変な押しつけがましさがない。「昨日はダメだったけど今日はきっとうまくいく」みたいな明快な希望を言わない。
悪く言えば、簡単に希望を持たせてくれない歌であるともいえる。

でも実際のところ、日々を生きていて明確な答えなど簡単に出せることの方がむしろ少ない。多数の葛藤やもやもやを抱えながら生きているのが僕を含め多くの人の実感だろうし、そこがBUMP OF CHICKENの楽曲が多くの人たちの共感を集めている部分だと思う。
方向性をリードすることはしない。どう感じるかはリスナーに委ね、藤くんはあくまで事実を言葉にしている。そこが今回のインタビューで僕がとても腹落ちした部分。分からなさが分かって安心したみたいな感覚。

藤くんは、以前から「スタンダードなものを作りたい」と語っている。
彼は、自分の体験や感じたことをそのまま歌詞にするようなことを決してしない。この表現が正しいかは分からないが、正解はないので簡略化していうと、具体的な事象を抽象化し、深層から生まれる別の言葉で再構築しなおす作業を常に行っているのだと思う。

虹色でない「なないろ」の世界

闇雲にでも信じたよ きちんと前に進んでいるって
よく晴れた朝には時々 一人ぼっちにされちゃうから

こう始まる「なないろ」の冒頭の歌詞。

普段は決して思い出すことのない過去のことが急に思い出されることがある。僕の場合、それらはよく入浴中に浮かんでくる。日常生活では意識に蓋をしている過去の記憶の蓋が、リラックスしている意識の時にふわっと開いちゃうのかな。
そこで思い出される記憶は、いいことの時もあるけれど、大抵は自分がやらかしてしまった振る舞いであったり言動であったりする。思い出したくもないエラーの記憶。幼少期から今に至るまで、僕は数えきれないほどの失敗と後悔を繰り返してきた。
今さら思い出してももはやどうしようもない、取り返しもつかない出来事の数々。

普段は、そんなことを今さら考えたところで仕方がないし、現実の目の前には今解決しなければならない課題や取り組むべき日常があって、過去の出来事を反芻する暇もない。いちいち過去に押しつぶされていたら今を生きられないし、前にも進めないから、無意識のうちに記憶も封印しているのかもしれない。

「なないろ」に出てくる「昨日の雨」は、こうした過去の記憶の象徴。
それでも、よく晴れた朝は容赦なくやってくる。過去の記憶は、いつか薄れていくけれど、だからといって決して自分をごまかせるわけではない。今日見える過去の記憶が「水たまり」として表現されている。
今日という強烈な現実のお日様の前で、昨日の雨は反射する水たまりくらいの存在しかない。それでもその存在は決して無視できない。

高く遠く広すぎる空の下 おはよう 僕は昨日からやってきたよ
失くせない記憶は傘のように 鞄の中で出番を待つ

昨日からやってきた「僕」は、動かしようのない過去と経験を背負った自分。でも、「僕」が持っている記憶は、必ずしもネガティブなものだけではない。
この先のいつか、顔も上げられない、どうしようもなくなった時に、未来の自分を助けてくれる記憶だってあるはずだ。いい笑顔で精一杯歌ったり叫んだりしたことかも知れないし、苦労の末につかみ取った栄誉かもしれない。
出番を待つ記憶は、そのいつかピンチに陥った自分が思い出すために、そしていつでも取り出せるようにしておくために、押し入れの中でもなく倉庫の中でもなく、いつも持ち運ぶその鞄の中にあるのだ。

胸の奥 君がいる場所 ここでしか会えない瞳
ずっと変わらないままだから ほっとしたり たまに目を逸らしたり
思い出すと寂しいけど 思い出せないと寂しい事
忘れない事しか出来ない 夜を越えて続く僕の旅

もう二度と会えない大切な人であり、かけがえのない人との思い出。記憶の中のその人はもう変わることがなく、だからほっとする部分もありつつ、その人の記憶の前で今の自分がきちんと胸を張っていられるか。
そんなことを自問自答する。もう会えないことは寂しいことには違いない。でも、その人のことを思い出せなくなったら、そのことの方が寂しい。忘れずにいて思い続ける大切な記憶。

歯磨きして顔洗って着替えたら いつもと同じ足で出かけようぜ
相変わらずの猫背でもいいよ 僕が僕を笑えるから

誰かが自分の代わりに出掛けてくれるわけじゃない。結局、いつもと同じ自分の足を使って外に出ていくしかない。
歌詞にある「相変わらずの猫背」は、歌い手である藤くん自身を思い起こさせるけれど、もちろんそうではなくて(そうであってもいいのだけれど)、過去から続きやるせない記憶を抱えつつ今を生きる「僕」を自嘲気味に表現している。

起き方を知っている事を教える

躓いて転んだ時は 教えるよ
起き方を知っている事

起こす手伝いをするのではなく、起き方を教えるのでもなくて、起き方を知っていることを教える。この表現がたまらなく素敵だ。
知っているのは誰か。転んだ「僕」だ。転んだ僕が、おまえはもう起き方を知っていたよなって言っているんだ。誰かが助けてくれるのではなくて、過去から来た自分自身が起き方を教えてくれる。
もしかしたら、鞄にしまった記憶が自分を助けてくれるかもしれないし、あるいは「やっぱり少しは無理しなきゃいけないな」って思わせるかも知れない。

水たまりは、太陽の熱でいつか乾いて消える。でも水たまりにあった窪みはなくならないし、キラキラと反射していた水たまりがあった事実は常にそこにある。

自分がどうあるべきか、どう歩いていくのが正しいかなんて誰にも分からないし、自分にだって分からない。歩き方はいつだって手探り。
でも、過去の記憶だけが美しく七色に輝いているわけではない。起き上がった先には、いつもと同じ足で、疲れた靴で歩く僕がそこにいる。昨日からやってきて今日を歩き、失くせない記憶と一緒に明日へ向かっている。
そこにある自分を客観的に捉えてこの楽曲は生まれてきた。

「なないろ」は、透明感がありポップなリズムを持つ楽曲で、まさに朝ドラのテーマ曲にふさわしい。でも、簡単に明るく前向きになれるわけではない。単純な青春ソングではなく、キラキラした未来を見せるわけでもない。過去の自分、苦しい記憶と向き合いつつ今日を生きる主人公を象徴する歌詞を持っている。
このことが、朝ドラ「おかえりモネ」の物語により深みを与えてくれていると思う。

2021年6月7日、活動を休止していたメンバーが復帰して、音楽活動を全開で行える下地は整った。決して卑屈にならず、媚びずに遠慮なく自分たちの音を鳴らしていってほしい。
なお、メンバー復帰についてはこちらに書いたのでよろしければお読み下さい。


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