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ウェルビーイング系スタートアップの最終報告|挑戦の終幕、社会OSごとの卒業

株式会社NESTOは、2020年の年明けを迎えた頃からはじまりましたが、四年弱の挑戦を経て2023年の年末に解散しようとしています。
あくまで僕の目線になりますが、私たちの挑戦がなにを経験し気づいたのかをこの場に書き残しておきます。

1.Nestoはいかにして終わるか

株式会社NESTOは、ポスト近代を志し、コロナ禍で「遠くのご近所」として繋がる習慣化オンラインコミュニティとして、2020年3月に法人設立してここまでやってきました。
Nestoリズム事業を成長曲線に乗せようと、様々なビジネスモデルなどを検討・挑戦し続けてきましたが上手く形にならず、計画的な成長をさせるのが難しいと判断せざるをえない状況になりました。
それでも続けていれば可能性はあると信じ、収入以上の支出をしないミニマル経営へと一年ほど前から徐々に移行、Nestoラボというコミュニティ事業を始め、持続可能なモデルを模索してきました。

しかしコロナ禍のひと段落を経て、Nestoリズムの役目が必要な時期に果たせた感覚もあります。社会や経営陣の気持ちや状況の変化も踏まえ、このタイミングでの会社の精算とサービス終了の決断をいたしました。
Nestoが当初に思い描いた「時間を整え、ご近所でつながる」ことの価値は一定の提供ができた実感はあります。
しかし、残念ながらスタートアップという形にはフィットしなかったとも感じています。

ミニマルな経営体制へと切り替えたので、経営上は持続可能なモデルへと移行しつつありました。
ただし、もはやスタートアップではないので、出資をいただいている立場として投資家の皆さんに対して一つの区切りをつける必要がありました。

スタートアップとしての区切りをつけても、全サービスを無料化して同好会化していったり、ウェルビーイングラボを押し出す形でオンラインコミュニティ化していったりなど色々な展開を僕の中で考えていました。
しかし、スタートアップの終焉と共に、僕の中での挑戦も終わったのだと感じました。会社の存続はお金よりも情熱ということを痛感しています。

自分が理想とする世界のプロトタイピングとして初めたNestoなので、どんな形でも続けるんだと意気込んでいましたが、結局、僕の気持ちはついてきませんでした。一度、冷静になると何処からその馬力は出ていたんだと不思議に思うほどです。
コロナのタイミングで大きくピボットせざるを得なくなったNestoはコロナの実質的終焉と共に幕を閉じることになりました。

このような経緯から習慣化プラットフォームである「Nestoリズム」は2023年9月末をもって、関係者にのみ知らせる形でひっそりとサービスを閉じました。
Nestoリズムというメタコミュニティは消失しましたが、18個のリズムが独立する形で小さなコミュニティとして存続していきます。
それはNestoが残した一つのレガシーとも言えるかもしれません。

ウェルビーイングを探求するコミュニティ「Nestoラボ」も2023年12月末をもって、Nestoの運営から離れます。
もしかしたら一部のメンバーが引き継ぐかもしれません。可能性は多くないですがこれもまたレガシーとして残るとしたらそれもまた喜びです。




2.プロダクトアウトは難しかった

幕が閉じるからこそ、Nestoというプロジェクトの全体像を振り返ることができるかもしれません。

Nestoは始まりからプロダクトアウトの挑戦でした。
僕は人生をかけてポスト近代というビジョンを目指しています。そんな僕が拡張家族Ciftの経験を持って、新たにコ・ビーイングスペース(寺であり公民館のような場所)というコンセプトを資本主義のど真ん中であるニューヨークから実現させようとして始まったのがそもそもNestoの始まりであり、コロナの影響を受けて帰国し、オンライン上の習慣化プラットフォームにピボットしたのが今のNestoリズムです。

当時は、資本主義の時代だからこそ、ビジョナリーなプロダクトアウトを敢えてスタートアップでやることで相容れないはずの二つの要素を昇華させるんだ、と自信満々に意気込んでいました。プロダクトアウトであることを承知しながらも、それをマーケットインにもフィットさせることができると謎の自信がありましたが、全然できませんでした。
今振り返れば、現実が見えていない無知で、根拠のない自信からくる傲慢な態度だったと思います。しかし、プロダクトアウトな態度をやめたらNestoを始めた意味も消失してしまいます。
ですので、スタートアップという宿命を背負いながらプロダクトアウトの方針をピボットすることはせずに現実化する方法を探求してきた道のりでした。

プロダクトアウトとしても魅力は中途半端だったのかもしれません。
やれる限りの啓蒙的な活動をしても結果はついてこず、プロダクトアウトとしてやり切って自分の実力の程度を知りました。
だからこそ、途中からマーケットインのビジネスに寄せていきましたが、根本の姿勢が変わらないのでこちらも中途半端になりました。

なぜプロダクトアウトが中途半端だったかを分析すると、僕の実力不足はあれど、それ以外にも中途半端に宗教的なモデルを参照したことが原因だったと分析しています。
習慣化コミュニティのインスピレーションは仏教の中にありました。仏教の中に戒・定・恵と三学と呼ばれるものがあります。仏道を修行する人間は必ずやらなければならない最も基本的な三つの行の事です。
Nestoの習慣化プラットフォームは、その中での戒(律)に着目したのでした。本格的な修行を始めるための土台になるのがこの戒律です。
また、Ciftでも拡張家族をテーマに家庭であると同時に修行道場であるということを構想していましたが、Nestoでも僧侶たちが集まるサンガという寺院に集まるコミュニティモデルを参照しながらオンライン上での修行道場をつくろうとしたのでした。

しかし、戒律とサンガだけを切り出してサービス化することで、仏教が持つ人を変容していくパワフルさは生み出せませんでした。
僕はゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想修行が好きですが、戒律を守り集団だからこそできる深い瞑想修行に圧倒的な効果を感じていました。Nestoリズムでは、肝心な修行内容をホストに任せるという形をとっていたことで、宗教としての力を得ることには繋がりませんでした。

また、戒律はその道を歩むと決めた宗教者に対して有効なのであって、顧客ニーズのような顕在的で即物的なニーズを持つカスタマーとは違いました。
さらに、コミュニティは求めるものではなく、目的を持った人たちが集まった結果そこにあることが価値なんだということもわかりました。
それゆえに、マーケティングで戒律とサンガの価値を訴えようとしても難しいものがありました。
戒律やサンガを手段化して、痩せることや筋肉がつくことなどの効果をアピールしようとすると、Nestoが目指すウェルビーイングな質感と違ってくることも悩ましかったです。

コロナ禍において世間が非常事態になり、みんなが生活のあり方に迷いが生じた時には宗教的な救いのような一定の遡及効果はあったように思います。しかし、世の中が正常化するにつれて個人のニーズに直接的に訴えかけない戒律コミュニティはマーケットでは顧客から評価されるものとはなりませんでした。
冷静に振り返ればコロナの時の一過的な特殊な環境設定でのみ輝けるプロジェクトだったのかもしれません。




3.Nestoの理念の続きは自分の生き方で表現する

Nestoの目指すテーマはポスト近代的なウェルビーイングであり、その現れとして「本人がウェルビーイングだと思うことを、本人がウェルビーイングな状態で、他者におすそ分けしたら、結果的に事業になった」という世界を実現することに挑戦しました。
株式会社NESTOとしてはこの挑戦には幕を閉じますが、僕個人としてこの生き方を踏襲していくことになりそうです。

株式会社NESTOが解散されてからは、僕はいわゆる広義な意味で出家しようと思っています。
Nestoの挑戦を経て、自分が目指すポスト近代の在り方は今の社会OSの中では体現できないことを身に染みて感じたからです。

これからは個人の活動として「ご縁で出会う目の前の人に奉仕し続け、大いなる御心のままに、奉仕で循環する世界に生かされることができるのだろうか」ということに人生をかけて実験をしていくことになりそうです。

2024年からは、だれと、どこで、なにを、するのかがほとんど白紙です。
自分の金銭事情もほぼ底にあって、いよいよ他力本願なワクワクする展開になっています。

純粋な愛で生きれば、宇宙の理として生かされるのではないだろうかという仮説がその背景にあります。
現代社会において最も力を持っており、恐怖と渇望の対象になっているのが金です。
金をテーマに、努力して金銭的豊かさを充実させずに、手放して内側の恐怖や渇望と向かっていくことは大事な挑戦になるはずです。

この態度は、現代における真の意味で宗教的生き方なのではないだろうか、と思っています。
いかに自ら自力で生きていくのかを求められる時代です。
自分だけは生き残る精神で社会の中で逞しく生きることを求められるような社会OSが私たちの目の前に現れている現実です。
しかし、「自分が変われば世界が変わる」ことを本気で信じるのであれば、自分の生き方を変えれば、違う社会OSが目の前に出現するのではないでしょうか。

僕が目指したいポスト近代は自己中心的世界を超えた愛の世界です。
それは自分を超えた大いなる世界に自分の命を預ける他力的なスタンスが通過儀礼として必要になってくる気がしているのです。
結果として、他力的に生かされることに確信ができた時、生かされる感謝と生きようとする意志がうまく共存するのではないかと思っています。

資本主義のスタートアップのCEOという役割を(変則的であった感は否めませんが)四年弱思いっきりやらせていただけたので、そのレイヤーで挑戦したい想いはお陰さまで成仏しました。
ここからは人生を通した表現者として、己の信ずる道を突き進む人生をますます純粋に歩んでいくことになりそうです。




4.コミュニティの落とし穴

Nestoを振り返る中で、過去の自分がつくってきたコミュニティのパターンから反省していることが二つあります。
これは「もう同じ過ちは犯すまい」と自分の中で強く誓っている学びなのでこれも書き残しておきます。

4-1.自分が中心で頂上にいることの限界

Nestoのビジョンは常に自分が語り続けていました。説明会でも総会でも登壇でも取材でも常に自分がNestoの声として発信し続けていました。
組織が形成されるためには私たちであるための理由が必要です。その理由を知り、語れるものは組織の中で自ずと権威化します。
自分がNestoを語れば語るほど権威化して、結果的に中央集権になっていました。
開き直って圧倒的カリスマで率いるような君主モデルもあるでしょうが、理想的には高度な民主モデルにしたいと思っていた自分はそのジレンマに葛藤しました。
自分以外の人が能動的に動かないことに悲しみを感じていましたが、それは僕自身が中心の座を譲らなかったからでしかありませんでした。

僕が今後何かしらの組織を作っていくときは「中心が透明であること」を重要視します。母性的な安心感の中で和が生まれていく非言語的エネルギーの場です。
言葉を持って主張(色)をする存在は周縁でこそ役割を発揮します。父性的な態度は他者に気づきと刺激を与えますが、その人の中心的な主体的意志を奪うことはできません。


4-2.コミュニティに境界線を持たせることの限界

Nestoは月額課金モデルでした。オンラインサロンなどのコミュニティは結局のところ宗教や推し活なんだろうと感じています。
コミュニティが法人という人格を持つと、法人を目的化し、会員を手段化させてしまうんだなと自分の内面を観察して気がつきました。
法人が繁栄することを重要視すると、個人が数字に見えてくるから不思議です。自力の世界で生きる経営者はどうしても法人を優先して仕組みをつくります。

また、境界線を設けることは「会員か否か」について明確な線引きをつくり、結果として閉塞感を生み出します。
境界線が明確ゆえに生じる閉塞感は、組織を硬直化させると同時に、組織内部での序列が自ずと定められます。
入会したという事実のもとで、組織の文化を尊重することを認めさせる空気があり古参であるほど力を持つことになりがちです。

結婚制度や雇用制度などは双方の合意の契約のもとで、簡単に裏返ることがない期待値が形成され、夫婦や会社の存続を安定させるために有効です。
一方で、その存在の維持発展自体が目的化され、個人の魂が蔑ろにされ手段化されるケースも少なくありません。
組織の安定と個人の流動性のバランスはポスト近代を考えていく上で重要なテーマの一つです。

僕がコミュニティを今後もし組織することがあるとしたら、一期一会のイベントをただ企画し、その連続する結果として、自ずと生じるあわいの境界面をつくります。
また、コミュニティになるべく名前もつけたくありません。「私たち」に名前をつけると、「わたし」の存在が蔑ろにされることがあるということを実体験を通して感じました。




5.終わるときが経験を収穫する時

幕の閉じ方によって、その記憶は呪いにも祝福にもなります。
終活も含めてNestoという物語でありたいと思います。

輪廻転生を信じる僕としては「死に際の姿がその人の人生を表す」という世界観が好きです。
さらに言えば、その死に際の意識が来世での初期設定を決める大切な要因になるのだろうと思います。
人生は、いかに生きるか、よりも、いかに死ぬか、なのかもしれません。

Nestoはスタートアップとして失敗したことを真っ直ぐ受け入れなければいけません。
通常だと、失敗したものはさっさと見切りをつけて、次の挑戦を始めるというのが経営者マインドセットとして常套句なのかもしれません。
しかし、僕たちはNestoの終わらせ方に丁寧に向き合うことにしました。
経営陣で話し始めてから、実際にクローズするまでに半年以上の期間を要しています。
その間に、できる限り全てのステークホルダーの皆さんに面談をさせていただいたり、手紙を書いたり、その事実を丁寧に対話ベースで共有させていただきました。

さらに、2023年12月に感謝祭として関わってくださったみなさんを招待したイベントを催すと同時に、これまでの軌跡を一つのブックレットにまとめて関係者に配るプロジェクトも最後に行なっています。
Nestoの挑戦は、一部の人からは「早すぎた」と言われます。
ゆえに我々のこの挑戦を一つの記録媒体にまとめておくことは後世の人々に対して何かの一助になるのではないかと思っています。
この文章もその一部です。

Nestoは一つの円環を閉じようとしています。
Ciftから引き継いだ種をあたため、ニューヨークで芽吹き、コロナに適応しながら生長し、そして幕が閉じるここで果実が実ります。
果実は成果が結実する象徴です。早すぎるとまだ実は青く、遅すぎると腐って地面に落ちてしまいます。
Nestoという果実を収穫するには今が絶好のタイミングのように思います。
投資家の方々、チームの方々、ホストの方々、メンバーの方々の関わりがあったからこその収穫であり感謝しかありません。

Nestoの果実から種を取り出し、誰かがその種を育ててくれるのだとしたら、それは喜びであり、その時にNestoはコロナの時代を駆け抜けたレガシーの一つとして存在意義を果たせるのかもしれません。

Nestoというウェルビーイング系スタートアップの挑戦はこうして幕を閉じます。
そして、僕はこれを機会に社会OSごと卒業します。
最後まで読んでいただきありがとうございました。


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