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繊細に共鳴するリトリート

2023年4月28日から30日にかけて白光真宏会の本拠地である富士聖地にて二泊三日のリトリートの開催レポート。
テーマは「祈りと対話」
今回の共同ホストは木村素子さんと西園寺由佳さんにお願いした。

素子さんは日本文化の精神性を世界に向けて深いところから伝える仕事をされていて、誰もが居場所を感じて安心できる場を繊細に包み込んでくれるようにホールドしてくれることに信頼を寄せている。
今回は素子さんの日頃からの縁もあって鎌倉の円覚寺より吉岡洞然さんにも参加者としてご参加いただいた。

由佳さんは三代目として白光真宏会を託されている。開祖である五井昌久さんの本に僕が感銘を受け、日頃から由佳さんと仲良くさせてもらっている流れの中で今回のリトリートを富士聖地でやりたいと僕から打診をした。
ヒマラヤにてチベット密教の修行を積まれた後に帰国し、日本で学生向けにリベラルアーツを学ぶ機会を提供している青木光太郎さんにも由佳さんの紹介で参加いただく。

そのほかに、瞑想や祈りを探求している森川結美子さん、シンギングボールなどを用いたセラピーを展開する松尾志津香さんにも参加いただき、合計で七名の祈りのテーマに縁のあった人々を招待する形でこのリトリートは開催された(幻の八人目である広島で平和活動をされている住岡健太さんは直前に病欠となった)。

白光真宏会では七という数字を宇宙的真理の数であるとして大事にされており、紆余曲折があって今回の参加者が七名で落ち着いたことにも不思議な縁を感じる。
富士聖地に会員さんでは人たちが泊まり込みで何かの催しをするというのは初であるそう。
新しい試みを受け容れてくださるだけでなく、繊細で愛溢れるおもてなしを職員の方が隅々までしていただきことに感謝しかない。
聖地の名に相応しい良い人の氣が集まり、良い土地の氣の中でリトリートは開催された。

今回の七名の縁に導かれた参加者



なにも足すことなく、なにも引くことなく

祈りと対話のリトリートでは、円座で対話をするのみならず、食事を共につくり、食事の前後で祈り、生飯(サバ)について禅の伝統を実践してみたり、敷地内で祈りの場や自然を訪れたり、五感を解放し感性を研ぎ澄ませていった。

最初の円座になった時からすでに信頼とつながりの輪がそこにあるのを感じた。
リトリートとは日常から非日常へ、そして日常へと帰還していくUの字を描くジャーニーをたどるものだと僕は経験から思っていた。
しかし、このリトリートははじまるタイミングでおわっていた。

はじまるタイミングから、なにも足しようがなく、なにも引きようがない。
そんなことを呟くと、サンスクリット語でそれを意味するマントラが聞こえ、シンギングボールの響きが重なる。それらの音の響きが場にいつまでも残音する。

私たちの一人ひとりが、七色の一色であり、音階の一音であり、それらが共鳴してハーモナイズする心地よい感覚をはじまりからおわりまで共有していた。それが今回のリトリートにおける場に信頼があることで一人ひとりが繊細になれるベースになった。

朝六時の座禅からはじまる


「大事すぎる」を場に捧げる

事前に由佳さんへ「ガチの白光真宏会をプレゼンしてほしい」とホストの二人から依頼していた。
なぜなら、日頃から彼女は社会が持つ新興宗教へのアレルギー反応に対するリテラシーとして、外に対する距離感を半生の中で無意識レベルで身につけていたからだ。

彼女が無意識に感じている「ここまでシェアしてしまっていいのだろうか」というブロックが日頃から祈りについて真摯に向き合っている参加者全員が愛と経験をもって受け止めることで外れていくのではないだろうかという直感があった。

そして、それは実際に起きた。
母が偉大な宗教家であると同時に一人の親であるという境遇の中で育ってきた娘としての苦しみや葛藤、時代が変わりゆく中で三代目として組織が培ってきた叡智や文化をいかにバトンとして受け取るのかという責任や覚悟の念が言葉となって浮き出ては浄化された。
それらをはじめて人にシェアする中で癒しが起き、同時に彼女の中で昔に直感したビジョンの意味が更新される。それはとても大切な瞬間だったと思う。

「伝わらないのではないか」、「理解してもらえないのではないか」、「共鳴できないのではないか」という想いが無意識にあって開示してこなかったものは誰しにもあるだろう。
自分の根源的存在に近い価値観や記憶を他者にシェアすることはとても勇気のいることだ。ゆえに話を聞いてもらうだけで癒しは起こる。さらに場の共鳴があれば参加者全員にその勇気と癒しは伝播する。

勇気あるシェアをするためには、場に対しての信頼がなにより必要だろう。
場への信頼を醸成するには、思いやりからの行動をお互いに場に捧げ続けていることが肝心である。相手の身になって、相手の心地よさ、安心感を願い、みんながみんなのために言葉を介さずに行動して、それをみんなが感謝と共に受け取っていく。
そんな場が社会にたくさんできたら、人々はもっと優しくやれる気がする。

ガチの白光真宏会をシェアする由佳さん


祈りとは、神人共創

「平和な世界をみたいというやむにやまれぬ願いは、もしかしたら私の心が作り出してる執着じゃないのか、本当は平和は常にそこにあるものなのではないか」という視点が素子さんから投げかけられ、今回の祈りについて対話する時の重要なテーマだった。

白光真宏会の祈りは本来的には「世界人類は平和であります」らしい。
その意図するところは、この宇宙は本来的に完璧でコアにある平和的なエネルギーに自分がチューニングするための祈り言葉であるということだ。
それを聞いて今こそ私たちは世界を信頼してもいいのではないだろうかと感じた。世界はすでに平和で満ちていることを意識しながら言葉にすることが本来的な祈りなのかもしれない。

もし見えない波動の世界に全体を担う神がいたとしても、見て触れられる物質的な世界を担っているのは部分としての人々だ。
ゆえに見える世界の人が平和を希求し自らの意志で行動していくことは、見えない世界の神に対して真摯な付き合い方ではないだろうかと思う。
神頼みでもなく、神無しでもなく、人は神と共に歩もうとする在り方が大事なのだろう。
近代の中で忘れ去られた神人共創という在り方は、これからのポスト近代において日本から世界へ向けてこだまするユニバーサルな真理であるという感覚が対話のひとつの収穫だった。

円座になって祈りと対話を繰り返す


宗教の壁を超えて

リトリートの最終日は白光真宏会の職員さんを交えた祈りと対話の場がもうけられた。それはこの場に対する尊重と感謝の気持ちから僕たちの方から申し出をさせてもらってつくった場である。

七名の参加者がそれぞれの言葉で三日間の旅路の様子や気づきをシェアする。職員さんたちが真剣に聞き入れ、時には共鳴して涙が流れる。
人として信頼できる場の中で安心して自分の弱くて繊細な大事なものを分かち合う。そこには宗教を超えた人同士の深い愛と祈りの交流があったように思える。
白光真宏「会」という壁の内と外が溶け合い、純粋に世界平和への祈りが同じ深さで響き合う仲間との交流の機会、参加者の七人で耕した人の間にある平和の質感は職員さんも含めた三十人に瞬く間に広がった。

戦後、宗教界は社会から邪険に扱われて傷ついてきた。純粋に世界への平和を祈りたいだけなのに、怪しまれたり怪訝に扱われる。
組織の壁を越えて深く純粋な祈りでつながれば、宗教界の癒しと開きがおこる。
どんなに理性と科学が発展しようと、それを扱う人の意識と心こそが大事なのだから宗教と科学は今こそ仲直りして欲しいと切に願う。

職員を交えての祈りと対話の場を七人でホストする


信頼できるほど繊細になれる

僕は今回のリトリートを通して「信頼」がいかに大切かをあらためて知ることになる。
自分自身を信頼すること、他者を信頼すること、場を信頼すること、宇宙を信頼すること。
信頼すればするほど自分の魂の源にかえっていくことができる。
そこには純粋な音が響き合う世界がある。

信頼して繊細になれる場をつくり続けていけば、きっと世界はより穏やかになる気がする。
リトリートというカタチを持って、ご縁が風のように運んでくれる参加者の心を癒し、その場所を土のように守ってくれる人の心を癒し、そして背後にある祖先や土地の記憶を癒すことにコミットメントしたいんだなとあらためて感じている。

このnoteもまた繊細な部分を勇気をシェアしている挑戦でもあります。
愛をもって受けとってくれると嬉しいです。

我が家の近くにあるピースポール


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