陰陽の片割れであることを前提に生きる
僕は物事を二項対立で物事を捉えることが考えることが多い。
男と女、太陽と月、左脳と右脳、破壊と再生、終わりと始まり、、。
それらの体系は大昔に陰陽思想として大成している。
自分が個人としては陰陽の統合を目指しながらも、全体としては陰陽の部分であることを自覚することが在り方が大事だと最近は思っている。
2022年の振り返りとしてそんな話をしてみたい。
父性原理による近代化
個人としての陰陽の統合とは、自分は男性性が強いのだとしたら(実際僕は強いのだけども)自分の中に女性性をいかに育めるかということに意図を持つことだ。
僕で言えば、拡張家族Ciftにおいては目の前の人を家族として受け入れることに挑戦をしたり、ウェルビーイングコミュニティNestoにおいては日常のリズムを尊く過ごすことに重きをおいてみたりしていた。
陰陽思想において男と女の違いは重要である。
それはそのまま父性原理と母性原理という話に繋がってくる。
父性原理とは、厳しい父のように子供たちに優劣をつけて鼓舞すること。
母性原理とは、優しい母のように子供たちを分け隔てなく受け入れること。
父性原理の本質は分けることだ。
その結果、分かるようになる。
つまり、未知を既知に変える力。
自分と他者を区別する力。
近代化とはすなわち父性性の民主化だった。
人々は、自分の自由・人権・所有を意識するようになった。
その結果、個人の生活は豊かになったが、それを包み込む全体の地域コミュニティや地球環境は危機状況に置かれるようになった。
私たちの大きな方針は陰陽のリバランスであろう。
そのことを意識して実験的にCiftもNestoもつくってきた。
それは同時に僕自身への課題意識でもあった。
大乗仏教との出会い
話は変わるが最近は大乗仏教と本格的にご縁をいただいた。
僕は今まで過去に三回ほどプログラムを受けるくらいにはヴィパッサナー子なので、上座部仏教の世界観には馴染ませてきた。
上座部は生前の釈迦の言葉をそのまま素直に継承しているのに対して、大乗は死後の釈迦の言葉を独自に解釈し超編集することで多岐に渡り発展していった歴史を僕は初めてきちんと認識した。
多岐にわたる大乗仏教でも本質は中観哲学と唯識思想であるらしい。
この世界は「空」であることを前提としながら、あなたの世界はあなたの「認識」が作り出していることを論理的に説いていると大枠として僕は理解した。
あなたという存在はあなた以外の存在との相対によって確定される。
ゆえに、あなたが幸福になるためにはあなた以外もまた幸福になる必要があり、幸福の全体量を上げることにコミットしようということを論理的に説いている。
この世界観においてゼロサム的な他者を蹴落として自分が幸福なるという発想は出てきにくくなる。
それらの哲学が教科書的に短くまとめられているのが般若経典だ。
この世界が空であることを前提とすると、私という境界線が溶けていくという自己認知をハックされるような感覚がある。
この辺りはご縁があって通わせていただいた京都にある実験寺院寳幢寺にて松波龍源さんから教えていただいている。
大乗仏教との出会いを持って、今までの自分がどこかで上座部的な発想を前提にしていたことに気付かされる。
それは自分が父性的な性質であることとも紐づいてる感覚がある。
自分と他者を分けがちで、修行することで個人的な解脱にコミットする性質。
大乗仏教における「わたし = わたし以外のすべてのもの」という世界観は母性原理的であり、この在り方において自分は部分として全体のバランスをとりにいくという発想が生まれる。
それが冒頭に述べた、自分が全体における陰陽の部分的存在であることを自覚へとつながっていく。
自分を受け入れて部分として生きる
近いタイミングで算命学にも出会う。
算命学では自分の生まれた年月日によって天命とは予め決められているという考え方をとる陰陽五行を土台とした中国占星術である。
算命学が教えてくれるのは天命との付き合い方だ。
自ずと与えられた天命と自ら選択する使命の共創によって人生が開拓されていく在り方は、これからの時代の人生哲学として他力と自力のバランスの重心があるように思える。
しかし僕が感銘を受けたのは、その土台となる生まれた時点で一人一人の個性も性質も全く違うものであるという当たり前の事実だ。
上座部的に個人として自己変容をし続ける道を選ぶと、自我を削ぎ落とし続けて、全ての人類が一つの同じ完全体へと向かうイメージがどことなくあった。それは究極の形としてあっていいと思う。
しかし占星術的な世界観に出会い、生まれた時点から個性も天命も違うのであれば、個性が違う個人が同じ究極の形をそれぞれがこの短い一生の中で目指すことにリアリティを感じなくなる気もする。
もっと自分の天命を受けいれて、ご縁のある人たちと集合体的生命体としてバランスをとっていけばいいのではないだろうか。
自分の性質を受け入れること、ご縁を待つような他力的な発想は力を抜かせてくれる。
それが生命的ティール組織なのではないか。
CiftもNestoも家族やご近所という人間的なメタファーである以上、それは家族的グリーン組織を目指しているようにも思えてくる。
ティールとは大乗仏教だった。
CiftでもNestoでも上座部と大乗は思想としてハイブリッドなコンセプトとして掲げていたが、自分の在り方が無自覚的に上座部だったことに気づく。
上座部的な個人主義的な解脱を否定するつもりはないが(むしろ大好きです)、大乗的なそれぞれが自ずと与えられた天命を生きた上で、全体としてコレクティブに一つの生命体として陰陽バランスをとっていく在り方がある。
2022年は、
そんなことを考えるきっかけになる先人の知恵と出会うことができた。
今まで孤独に考えていたことに対して繋がれたことに安心感を感じている。
2023年からは、
自分の与えられた天命的な性質を尊重して生きていきたい。
自分の欠けを埋めるパートナーたちと共創していきたい。
先人たちが築き上げてきた智慧を自分の中に取り入れていきたい。
そのスタートラインに立つことができたような気がする2022年でした。
みなさま、良いお年をお過ごしください。
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