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なぜ武藤は引退試合の相手に内藤を指名したのか(試合後追記あり)

2023年1月21日、横浜アリーナで行われたロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(L・I・J)金剛による対抗戦のメインイベントは26分57秒に渡る激戦の末に内藤が拳王を下し、試合後は内藤と5,533人の観衆による「デ・ハポン」の大合唱で幕を閉じ…無かった

それまで解説席にいた武藤敬司が突如リングに上がると、「俺の引退試合の相手、おまえに決めた!」と2月21日に東京ドームで行われる自身の引退試合の相手に内藤を指名したのだ。

これには驚いたファンも多かったのではないだろうか。
新日本プロレスにて蝶野橋本と闘魂三銃士として名を馳せ、アメリカでグレート・ムタとして伝説を作り、その他も数々の話題を作り上げた天才武藤が引退試合の相手として誰を指名するかはプロレスファンの感心の的だった。

平成のプロレスを象徴する「新日本対Uインター」でメインの相手であった高田延彦、現新日本プロレスの王者オカダ・カズチカ、NOAHのダイヤの原石清宮海斗、果てはWWEのザ・ロックなどがファンの間では名前が上がっていた。(ちなみに私の予想は現在休業中の飯伏幸太だった)

元旦にはWWEで活躍中の中邑真輔、1月22日はAEWで活躍中のスティングが駆けつけるなど、リビングレジェンドの最後の日に向けて続々と大物との試合が組まれる中、ファンの期待値も最高潮に上がっていた中での内藤の指名である。

内藤哲也が現在の日本のプロレス界を代表する選手であることは疑いようがない。L・I・J旋風を作った張本人であり、いまの新日本プロレスでもトップオブトップだ。ただ、「薄い」のだ。内藤はプロレスファン時代に武藤に憧れていたと言うが、それだけでは武藤が最後に闘う理由として薄すぎる。

プロレスファンは「強さ」と同じくらい「物語」を重視する。どんなに肉体的な強さがあっても、物語を作れないレスラーでは客は呼べないのだ。
これは引退試合も例外ではない。むしろ引退試合はその物語の集大成なのである。

だからこそ、自分と因縁があった選手や名勝負を繰り広げた選手と闘い、プロレスラーとしての物語を終えるのである。
しかし、内藤と武藤の間には、少なくとも引退試合を飾るほどに印象深い物語はない。(内藤側にはあるが)

ではなぜ、武藤は最後の相手に内藤を指名したのか。その答えはこの本にある。https://amzn.asia/d/2kEwZC7

この本には武藤敬司というレスラーの全てが記されていると言っても過言ではない。
この本を読了して思うのは、武藤敬司は徹頭徹尾、商人なのである。アントニオ猪木という絶対的なカリスマをトップに据える新日本プロレスにいながらも、自分を高く売るためなら猪木をも利用することも厭わない唯一無二の存在なのだ。

自己プロデュースのために常に周りを巻き込んできた根っからの商人が、自分の引退試合を思い出精算のような緩い試合にするだろうか?

武藤は引退ロードの試合について「プロレスの未来を見せなきゃダメだ。俺は未来を作りたい」と話した。それは本心だろう。
そう考えると、武藤敬司としての最後の相手は過去のライバルや現役王者ではなく、いまのプロレスをこれから支えるレスラーと言うことになる。
しかし、あまりに若い選手だと自分の格に合わない。

そう言う意味では内藤は最後の対戦相手としての条件をすべて満たしている。

ただし、商人武藤は相手に華をもたせるなんて甘ったれたことはしない。最後の最後に完全に内藤を喰ってしまい、武藤敬司というレスラーの商品価値を最高に高めた状態で、いつまでも語り継がれるレスラーとなることを狙っているのではないか。

この答えは2月21日に分かるが、内藤哲也は十分に気を付けるべきである。

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現時刻は2023年2月22日の午前零時半である。
武藤の引退試合が終わっておよそ四時間が経過した。

さて、私は本稿を記した1月時点において商人武藤はただ内藤と闘うなんてことはせずに、最後の最後に内藤を喰ってしまうと予言したが、その予言は見事に当たったと言えるのではないだろうか?

武藤と内藤の試合は確かに熱いものであった。
引退試合の数週前に肉離れを起こすというハプニングに見舞われてしまったにも関わらず、まるで膝の痛みなんて大したこと無かったかのように機敏に動く武藤を久しぶりに見ることが出来た。(きっと裏では痛み止めを多用していたのだろうが) 
一方で、内藤は武藤のムーヴをところどころに取り入れて武藤へのリスペクトを示しつつも、執拗に武藤の膝を攻め、武藤に引導を渡すという重大な役割を果たそうとしていた。

お互いにドラゴン・スクリューを出しあう

さらに武藤は蝶野のSTF、橋本の袈裟斬りチョップ、三沢のエメラルド・フロウジョンを次々と繰り出し、武藤の歴史の総決算を見守る会場は熱気に包まれ、ムーンサルトプレスを出すためにコーナーポストに登った際には「行けー!」と「もうやめてくれー」と両方の悲鳴が会場に響き渡っていた。

ロープに登る武藤
何度も膝を叩いたが飛ぶことは出来なかった

25分を越える熱闘の末、試合は内藤の勝利で終わった…しかし、本番はここからであった。

試合後、武藤は内藤に「早く行け」とばかりにさっさと場外へ促すと、そのまま解説席にいる蝶野に向かって試合を申し込んだのだ。

内藤と目も合わさない武藤
若干内藤も困惑していたように見えた

蝶野にとっても青天の霹靂であったのだろう。暫く躊躇したのちにリングに上がった蝶野だが、腕時計を外すことも忘れ、そのまま試合に突入することとなる。

杖を使わないとまともに歩くことも出来ない蝶野が、武藤とぶつかり合ううちにどんどん生気を取り戻す様に、2016年のマサ斎藤と武藤との絡みを思い出したファンも多かったのではないだろうか?
当時、パーキンソン病を患っており一人で立ち上がることもままならないマサ斎藤に対して、海賊男に扮した武藤が襲い掛かると、まるで病気が嘘のようにマサ斎藤がイキイキと応戦したあの試合である。

プロレスの力を信じている武藤は「リングにあげちまえば、あいつならやれるさ」と確信していたのだ。最初から武藤の中では、最後の相手は蝶野だと心にきめていたのだ。

つまり、内藤は当て馬だったのである。しかし、これに怒るプロレスファンよりも、「武藤らしい」と思ったファンの方が多いのではないだろうか?

昭和末の新日本プロレスを支えた闘魂三銃士は、橋本が道半ばでこの世を去ってしまい、蝶野も怪我の影響で徐々に表舞台からフェードアウトしてしまった。
それが今日、武藤がまとめて引退に持っていってくれたことで、昭和のプロレスに対して大きな区切りを迎えることが出来たことに感謝したい。
(蝶野はまだ自分の引退試合をやる気のようだが)

このシーンで涙腺崩壊したのは私だけではないだろう

引退試合と言えばしんみりするものだが、これほど胸がスッキリした引退試合は初めてだ。
また、引退試合は次世代への橋渡し的な内容になることも多いが、武藤の場合は最初から最後まで自分のための引退試合であった。
そして、そんな引退試合をファンが望んでいたのを武藤は知っていたからこそ、このような形になったのだ。やはり武藤は天才と言わざるを得ないだろう。

最後に、武藤の引退が発表されてから当日まで、NOAHスタッフによる演出は最高のものであったことを申し添えたい。
アメリカンプロレスの要素を所々に交えた演出は、武藤を見送るのに最高の演出であった。僕はこの日を一生忘れないだろう。