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ワンランク上の怒り

#32

北京オリンピック、スノーボードハーフパイプでの平野歩夢選手。

2回目、ヤバかった!そして3回目はもっとヤバかった。

写真: AP

2回目を終えて、クールな歩夢選手には珍しく「怒り」という言葉が出た。

そして、私が参加しているビジョナリーカンファレンスでのミニセミナー、高木講師の「喜怒哀楽」シリーズの「怒り」の回を思い出した。

「私憤」
「公憤」「義憤」

歩夢選手の「怒り」は単なる「私憤」 を超えて、採点への「義憤」、いや、オリンピックのメダルを期待して応援してくれているみんなを巻き込んだ「公憤」かもしれない。

そう言えば、この前読み返した本で、
あの稲盛和夫氏も、
新卒で入った会社で上司から
学歴を理由に差別されたり、
手柄を横取りされたりしたのが
相当悔しかったらしく、
怒りを綴った父親宛ての手紙が残っているらしい。

ちょっと変調するが、以下その本から引用。

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たとえ上司や部下がどうしようもないバカに見えたとしても、「いやいや、もしかしたら自分が気づいていないだけで、本当は優れた能力の持ち主かもしれないぞ」と、自分の目を疑ってみるのである。

私自身も銀行員時代、この人はあまり出来がよくないと見くびっていた上司が、後にたいへんな人間力の持ち主で、多くの人から信頼されていたことを知り、自分の不明を恥じたことがある。

「バカだからやる気が出ない」と嘆いても仕方ない

そもそも上司となる人は、その能力を会社から評価されているのである。
必ずどこか光るところがあるはずで、たとえバカにしか見えなくても、まずは謙虚に観察してみることだ。

そして、その上司のよさをひとつでも吸収したほうが、バカだからやる気が出ないとただ嘆いているよりはあなたにとってタメになる。

いくら観察しても、どうしてもいいところが見つからないということもあるかもしれない。

そういうときは、「自分はこうはならない、自分が上司になったらこの逆をやろう」という反面教師の役割を担ってもらえばいい。

バカでも優秀でも自分を磨く鑑になるのである。

理不尽さに耐えるのは忍耐力を養う訓練になるが、人格を否定されたり、これだけは許せないという部分を蔑ろにされたりしたら、辞めるのも致し方ないだろう。
悔しさをバネに新たな世界で花開くケースももちろんあるだろう。

いずれの場合も、他人の欠点を嘆くだけでなく、自分で道を切り開く力があるかどうか、その方がより重要なのである。
自分一人だけの力で道を切り開く...という意味ではない。
他人の力を信用し、協力を求め、時に助けを求め、感謝しあいながら、動かしていく力。
周囲があなたを助けてくれるのである。
<<<<<(引用おわり)

歩夢選手も「怒り」という感情に向き合い、
そこから自分で道を道を切り開いたからこそ、
あの3回目につながったのだろうと思った。

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