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「流れに従って生きる」ー仙台スタート編ーACT58:E氏と別れる気持ちになった2つの事件ーその①ー


 HAさまの葬儀が落ち着いた後、現場は再開しました。


会社は九死に一生を得る形となり、心からHAさまに頭の下がる思いでした。

 

今回のようなリスクを回避するために会社として次の物件の受注を決めて模索している中で、運よく早々に2軒目の物件の受注に成功しました。


 なんと、それも岩手県(北上市)なのです。
Cホーム時代の知人からの紹介だったのです。
 

 E氏は宮城県内でないことに不満を持ちましたが、1つの物件に
偏る怖さを経験したばかりだったので受注を選択しました。


 この北上市の現場のため、私も岩手県に通うようになり、鳥かごから
開放された感じがして気分がよくなっていきました。
 

 牧田もHAさんの敷地内に現場事務所を構えて常駐していたので、
かなり生き生きした目をしていました。
 

 それと反比例するように、E氏は自分の目の届かないところで自由に行動されるストレスでイライラしているようでチェックや縛りを強化してきました。
 


事件1


 そんな中、堪忍袋の緒が切れる事件が続けざまに起きたのです。


 
 1つ目は、私とE氏が仙台の事務所に居たときです。
 ちょうどそのタイミングで牧田から電話が入りました。

「材料の拾い出しミスで実行予算が20万円くらいオーバーしそうだ」という相談でした。



 それくらい日常茶飯事だと私は思いましたし、人の上に立って社長の器の大きさを見せるのであれば・・・
「初めての現場だから、それくらいのこと気にしないで頑張ってどっかで挽回しろ」・・とでも言うだろうと予想しました。
 


E氏は違いました。
 

牧田のせいで20万円損するかのような表現をして、事を大きくするかのような雰囲気で何度も話しました。



なんて器の小さい男なのだろう・・とがっかりしました。



そもそも牧田が居なければ、こんな大きな物件自体がスタート時点で無かったのですから・・。
 



そして・・

とんでもない・・似たような事件2が同じ日に起こるのです。








事実は小説よりも奇なり。





お天道様は見ています。








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