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「流れに従って生きる」ー転職準備編ーACT36:すかさず新しい「流れ」

N建設を退社する1ヶ月くらい前(4月)だったと思います。

 


 私は、4ヶ月(6~9月)の充電期間をとって、岩手県北上市のCホームという会社に行くことが決まっていました。

 これは、新住協の会沢さんからの紹介された会社さんだったのです。


 次の人生をどう進もうか…とも決めておらず、ワールドカップ勢いで退社を決めたので、声が掛かるならこれも「流れ」なのだろう…と思い、あっさり決めました。


 Cホームは創業して1年前後の会社と言うことで、「技術指導という立場で来てほしい」という話もあり、面白そうな予感がしました。

 

これからの会社なら、いろんな提案を受け入れてくれるかな・・


自分の力が試せるかな・・

 

そんなワクワクする感覚も持ったのも入社を決める理由の1つでした。





落ち武者気分(当時の正直な気持ち)



 それにしても、10年間も百万都市仙台に暮らして、28年間宮城県で育った私にとっては、実家の栗原市を越えて北へ移動するのは、正直言って「落ち武者」のような気分でもありました。


 しかし、そのころ三国志を愛読していた私は、「そういえば、劉備も一度、野に下ることを選択して力をつけたなぁ・・」などと、勝手に重ね合わせることで自分の中で納得させていました。


 その後、岩手のCホームに会社訪問にいったとき、あまりにも美人さんの数が多いことに驚き、すぐに「岩手っていいなぁ」・・と思うことになるのですが・・(^^;)。


 

 それはさておき、実は不思議な流れがここでも起きることになります。





「囲碁の布石」のような不思議な流れ が始まる



 N建設の退社3日くらい前だったと思います。

 突然、建築学科時代のドンケツ対抗馬の牧田から電話があり、「アルバイトで住宅の設計しないか?」と誘われたのです。

 「えぇ!なんで都市計画設計事務所(牧田の勤めている会社)に住宅設計の仕事があるの?」と驚きましたが、事務所を訪ねて事情を聞くことにしました。
  


 なんでも、某牧場のオーナーさんが仙台でのアンテナショップの事業展開について相談しているなかで、「家も建てたいんだが、住宅設計もしてるのですか?」という話になったのだそうです。

 


 当時、仙台市長や宮城県知事が汚職で捕まっていた時期でもあり、都市計画の公共仕事が減っていたので、都市計画事務所の所長がすかさず「当然やってます!」と引き受けたのでした。

 


 しかし、その後「誰がやるのか?」ということで社内会議になり、N建設を辞める予定だった私を牧田が推薦した・・といういきさつでありました。

 



 私も、退社後の収入源をどうしようかと考えていたので、これも「流れ」かな・・と思い、ふたつ返事で引き受け、N建設を退社した翌日に住宅設計の仕事で都市計画事務所にいたのです。


不思議と食いっぱぐれない人生です(^^;)

 


 1ヵ月後にはフランスワールドカップに行く、10月にはCホームに就職・・ということで実質3ヶ月間の設計期間しかありませんでした。現場監理は当然できないので、牧田が担当することに決めたのですが・・、

 


実は・・、

 


 牧田も10ヶ月後くらいには、当時勤めていた都市計画事務所を退社して、ワーキングホリデーのビザでカナダに1年間行くということを腹の中で決めていたのでした(30歳がビザのリミットなのでこれは動かせないということでした)。



両者ともにそんなタイムリミットのある仕事でした。



「囲碁の布石」のような不思議な会話



 話はちょっとかわりますが、アルバイトのときに牧田とランチを食べてながら、こういう話を何気なくしていました。

 

「(牧田が)ワーキングホリデーから帰ってきたら、
いっしょに住宅会社でもやりたいね・・」。

 

何のことはない普通の夢物語のような会話なのですが、まさか、これが後々・・運命を左右する言葉になろうとは・・。

 



しかも、この時点では予想だにしなかったことなのですが・・、

 



この某牧場のオーナーさん(HAさん)が私たちの人生に大きく関わってきて、見えない複雑に絡まった糸が、ひとつひとつほどけるように驚くような展開が待っているのです。

 

 




事実は小説よりも奇なり・・


お天道様は見ています。 

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