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「流れに従って生きる」②ーN建設編ーACT13:ここに居る意味がある

「九死に一生を得る」形の追試でようやく大学を卒業した私は、ほどなく仙台の地方小ゼネコンであるN建設(株)に入りました。
 学生時代にアルバイトをしていた会社です。

ここでは、しょっぱなからカルチャーショックを受けました。


アルバイトしていた頃の 製図室(専務室) とは違い、配属された工事部は、完全な「縦割り社会」で、3人の工事長を筆頭に、「入社した順番」に前から机が並んでいる・・というスタイルでした。
 「今どきの社会でも、一般企業ってこんなシキタリなのかなぁ・・??」・・と面を食らいました。
 なにせ、大学という自由な空気の中で4年間も過ごした私には、高校の体育会系の部活に戻ったこの雰囲気には、時代を巻き戻したような感覚さえ覚えたからです。

おまけに、私は白い目で見られる存在でした。

 私より年下でも2~3年間も現場でバリバリやっていた人から見れば、「ちょっと有名な大学出てきたからって、いい気になるなよ。お前に何が出来るってや?」・・という思いもあるのでしょうか・・、私は、完全に冷たい視線を送られる存在でした(@@;)。

 さらに、給料、ボーナスとも想像していたよりかなり安く、入社した初めの頃は、「選択ミスだったかな」・・と正直がっかりしました。


 自慢ではないですが、N建設に努めた5年間、ボーナスで20万円もらったことがありません・・。スーパーゼネコンに行った同級生の金額を聞けば、心底惨めでした・・(;_;)。
(同級生の飲み会では、よくバカにされました・・(^^;)。親にも・・)

 そんな中でも、N建設でがんばろうと思ったのは、いろいろ流れを感じたからでした・・。



「ここにいっしょに存在する意味がある」



 新入社員歓迎会の基調講演で、協力業者T電気㈱の会長さんのご挨拶で、記憶に残っている言葉があります。

「今はまだ分からないだろうが、ここにあなたや周囲の人が居て、こういう関係になったのは、見えない糸でつながっていた運命だったと気づくときがくるだろう。

ここにいっしょに存在する意味があるのだ。

だから、その環境を否定するのではなく、その環境で一生懸命がんばりなさい。きっと、いいことがあるはずです」。


 70過ぎの人生観から語った言葉ではあると思いますが、私が「流れ」と呼んでいたニュアンスと非常に近いものを感じ・・、ここで、こういう話を聞くのも「流れ」なのだろう・・。
 会社を巣立つ時期だ・・という「流れ」を感じるまでは、N建設に居ようと心に決めました。




その選択が結果としては良く・・

N建設の濃縮された5年間に、これから私の人生を決めるいくいろいろな出来事が展開していくことになります。

 

事実は小説よりも奇なり

神様は見ています。

 
 
 

「流れに従って生きる」ーN建設編ーACT14:漫画のチャンス

 

N建設に入社して初めての現場は、会社を飛び出して現場事務所へ出勤するという鉄筋コンクリート造(RC造)の小学校建築でした。初めての現場でしたが、大きくてわくわくした記憶があります。

その現場では、毎日たくさんの職人さんが作業に来ました。

1日30人~50人という数の職人さんが来る日もあり、にぎやかな毎日を過ごしましたし、私はいろんな職人さんと仲良くなりました。



 その日々の中で、職人さんの数人から言われて「記憶に残る言葉」があります。
「白鳥君・・、最初の上司が【遠藤工事長(仮称)】でよかったな・・」。


遠藤工事長



 遠藤工事長(仮称)はトップダウンでなく、職人さんや部下の意見をよく聞いてくれました。また、指示待ちを期待せず、「考えること」「アイデアを出すこと」を重要視していました。おかげさまで、初めての現場にもかかわらず、いろいろと遠慮することなく聞けましたし、遠慮なくいろいろなアイデアを提案することもできました。

 予算がなくて2人で現場を切り盛りしなければならなかったことも、逆に色々と役割をあたえられる環境となり、私自身のその後のステップアップには、恵まれた環境だったと思います。


この現場で、まさかの面白い展開が起きました。


ある日、N建設の専務に呼び出され、次のように言われました。
「俺(専務)が執筆している建築雑誌の1ページに現場マンガを連載してみないか?」

思わぬ提案で喜びたい・・というかビックリ過ぎるお話でした。

・・が、

初めての建築現場の上に2人で切り盛りしており、毎日毎日忙しい・・

とても時間が取れない・・(ーー;)。

現場で描こうにも、新入社員の私がそんなことをお願いできるはずもない・・。

でも、何かのチャンスのような気もする・・。

ん~・・どうしよう・・(ーー;)


ここからまさかの展開に続くのでした・・。


事実は小説よりも奇なり。



遠藤工事長

「流れに従って生きる」ーN建設編ーACT15:遠藤工事長の返事


建築業界の専門雑誌(全国版)に、社会人1年目のペーペーがマンガを掲載できる・・こんなチャンスは数万人に1人・・いや・・数十万人に1人・・という確率だと思います。
 これは、なにか「ヤレヤレ」という神様のお告げだろうか・・と思い、勇気を出して、現場の遠藤工事長に相談してみました。

私:「専務から、1か月に1回、専務が連載しているページの一角を使って、1ページ漫画を連載してみないか・・と提案が有ったのですが、今後の現場の忙しさがどれ程のものか経験したことないのでご相談でした。」

ここで、遠藤工事長から驚きの答えが返ってきました・・。


遠藤工事長:「白鳥君・・マンガを現場で描いていい。そのかわり、出来上がったら一番最初に俺に見せろ。面白くなかったら、描き直させるから」。


私:「え・・!いいんですか!?・・(@@;)」

予想外の返事に、正直、驚きました・・。


こんなことをすぐに快諾してくれる上司って居るのだろうか・・

それとも、かなり稀なことなのだろうか・・

その後わかったのですが、遠藤工事長は、若いころ映画監督に本気でなりたかったらしく、こういう創作活動には理解力があったのです。
 これもあとでわかったことなのですが、遠藤工事長以外の上司の方であれば、規律正しい性格上・・誰一人OKを出さなかっただろう・・ということは明らかでした。

そのほうが普通なのですが・・。当たり前です・・(^^;)

現場の職人さんが言っていた「遠藤工事長の下についてよかったな」・・が、ますます身に染みて理解できてきました。



 こんなラッキーな偶然も重なり、すっかりあきらめていた漫画のペンを2年ぶりに握ることになりました。これも、「流れ」なのだろうか・・。偶然の重なりとはすごいものです。まさか、それから20年たった今でも描き続けることになり、間接的にも仕事になるとは、その時はもちろん思いませんでした。


事実は小説よりも奇なり。


神様は見ています。




「流れに従って生きる」ーN建設編ーACT16:一流になるには一流を真似ろ①


「面白い専務」 と 「理解力のあるE工事長」 のおかげで2年ぶりにマンガのペンを持ち出した私でしたが、初めて「本に載る」漫画を描くことになったということで、大学のサークルで描いていた漫画とは、あきらかに意識が違ってきました。



わずか1ページ漫画でありましたが、その1ページの中で、読み手の立場になって笑わせなければならないという責任を感じました。サークルでの漫画は、いわゆる自己満足の世界なのです。



客観的な視点に立って面白い



これに慣れるまでは、かなり創作に苦しんだ覚えがあります。たった1ページの漫画が1ヶ月考えてもまとまらない。締め切り間近になってもまとまらない。そんな悶え苦しんだ中で、原稿ができるのはいつも締め切り前日なのでした。


意図的ではなかったのですが、何故かそうなってしまうのです。



締め切りの日に・・


こんなこともありました。



第2作目だったかと思います・・。




締め切り日だったので、夕方までに仕上げて提出する予定の まとまりかけの原稿を、朝一で、遠藤工事長に見せました。

 


自分の心の中にも、どこか妥協した点はあったのですが・・、

 


遠藤工事長から言われた言葉は・・


 
 
 

    「面白くない。描き直しなさい」 




私:「えぇ!今日の夕方が締め切りなので無理ですよォ・・」





遠藤工事長:「白鳥君。今日は、現場に出なくていい。現場は俺が全部やるから、ここ(現場事務所)で今日中に仕上げなさい」・・。





こんな上司って世の中にいるだろうか?





私はその日、本当に現場に出ないで昼飯も食わず、ものすごい集中力でストーリーを考え、漫画を仕上げました。







そのマンガ原稿を見た遠藤工事長の評価は・・




 
 


つづく・・



「流れに従って生きる」ーN建設編ーACT17:一流になるには一流を真似ろ②

平日の工事現場で、遠藤工事長の計らいで、仕事をそっちのけで1日中現場事務所内でマンガを描いていた第2作・・





遠藤工事長の評価は・・




おもしろい・・。





「合格」・・でした。


作:白鳥けんし こんなマンガを実際描いてました



そこは漫画家のオフィスではありません。鉄筋コンクリート造の小学校の工事現場・・現場事務所なのです・・。


 本当に日本中探してもこんな現場所長は居ません!



この漫画づくりは、数ヶ月続きました。私が、遠藤工事長から「もう俺に見せなくても大丈夫だな・・」と言われたのは、6作目くらいだっただろうかと思います。(ホームページには、この初期のシリーズは掲載していません)



この漫画を描くということを続けていて、現在の設計に役立っていることがあります。




○ ひとつは、お客様の視点に立って、面白いプランかどうか・・という見方ができるようになったこと。



感動させれるプランか?もしくはストーリー性は持っているか?自己満足ではないか?など・・。





○ 二つ目は、締め切りが長くても駄目だということです。漫画もプランも2週間の時間をもらっても駄目なこともあります。もちろん、初期的なイメージ創作を考えれば時間は必要です。ただ・・「明後日までに仕上げないとアウト」・・という状況で、集中して創り出されるのが、実は一番面白かったりするのです。



大切なのは、『ものすごい集中力』なのです。





○ 三つ目は、「期待以上のものになっているか?」という見方です。漫画を描いてて感じたのは、相手が期待しているレベルを超えると、笑いや評価が格段に違うということです。



それに伴って、またハードルの高い「期待」と「依頼」がやってくるのです。逆に、期待した以下の出来上がりだと、手抜きを見透かされたり、話が冷ややかになったりします。下手すると仕事自体が消えますので、家づくりも同じだな・・と感じます。予算を把握しつつ、その中で相手が期待している以上の内容を提案できているかが、仕事に結びつくかどうかに大きく影響しているような気がします。




○ そして、漫画づくりを通して得たもので、住宅設計をする際に、私に何よりも大きな力を与えてくれているのは、遠藤工事長の言葉でした。





遠藤工事長からの忘れられない明言



漫画のアイデアに行き詰ったとき、遠藤工事長は私にこう話してくれました。




遠藤工事長 「白鳥君の描いている漫画のタッチは、誰かの真似か?」




私 「まぁ・・そうですねぇ・・。」と私はバツの悪そうな声で言いました。



遠藤工事長 「それを、恥ずかしいと思うか?」



私「ん~・・・」




遠藤工事長 「白鳥君・・



『一流になるには一流を真似ろ』


という言葉がある。



真似することが一流への近道なんだぞ!



真似することを恥ずかしいと思ったらだめだ!



どんどん真似しなさい!そのうち自分なりのオリジナルも生まれるから!」




私は、この言葉に目からうろこが落ちる思いをしました。それまでは、やはり真似することを避けたいという意識が働き、それが、創作の幅を狭めていました。しかし、この言葉を聞いてからは、真似ることを恥と思わず、むしろ、自分の肥やしにする・・という意識が働いています。


住宅の設計をしていくときも同じ意識です。雑誌や、実物を見て、いいと思う設計要素は、遠慮なくどんどん真似してみます。不思議なもので、真似してみると意外とすんなり自分の設計力のUPにつながりますし、そこから+αの独自性のアイデアも浮かんでくるのです。漫画も住宅設計もその点は同じで、真似をどんどんしていくと、必ず、そこから真似た要素+αのものが生まれてくるのです。多分、遠藤工事長が言っていた「一流になるには一流を真似ろ」の真髄はここにあるのだろうと思います。




私の人生の格言の一つです。




『一流になるには一流を真似ろ』




事実は小説よりも奇なり


お天道様は見ています(^^)。



「流れに従って生きる」ーN建設編ーACT18:「住宅事業部」へ配属


鉄筋コンクリート造の小学校の現場も、「マンガを描くというエピソード」と「多くの人との関り」という思い出を残して、無事に竣工しました。


 その年、N建設は「公共工事に頼りすぎている体質」を改善する目的で「住宅事業部(民間工事)」を立ち上げる方針を打ち出しました。


私は、大きな「箱もの建築(小学校や体育館など)」よりも住宅をやりたいなぁ・・という思いもあり、その住宅事業部に希望を出して配属させてもらいました。


しかし、ゼネコンに家づくりを依頼する・・というのは敷居が高いのか、新築の受注の見込みもない前途多難な船出でした。数ヶ月間小さな改修工事やリフォームの経験をしたのち、運命の展開がまたも訪れてきたのです。


 その年の秋ごろに、内田さんという方から 「ご実家が家を建てる」といことで、N建設に相談があったのです。

 これも、偶然なのですが、内田さんは私がN建設でアルバイトする直前まで、そこでアルバイトをしていた「N建設アルバイト組 腐れ縁」の1人なのです。
 しかも、内田さんは、東北大学建築学科という私の先輩でもあり「東北大学建築学科の腐れ縁」でもありました。


 その内田さんが設計事務所として独立することとなり、その第1号の住宅がご両親の家で、その工法が「在来木造構法」だったのです。


在来木造構法=在来木造で全室暖房可能な高断熱住宅

実際の新在来木造構法(新住協)


 内田さんが建築予定の説明にN建設に来たとき、私と内田さんとは実は初顔合わせでした。腐れ縁がいろいろあり、名前とエピソードは5年ほど前から聞くことはありましたが・・、機が熟したのか・・ようやくの顔合わせ・・となりました。


内田さんは、これから始まるご実家の家づくりについて、「構造」や「高断熱高気密」の説明を詳しくして、「これからの時代の住宅だと思います」と力説しました。私は、その住宅の説明を聞いているうち、無性に「この現場をやりたい」という思いに駆られました。



強烈な「流れ」を感じたのです。



内田邸の現場担当・・


 翌日の住宅事業部でのミーティングで、私は、この現場をやりたいという「やる気」と「オーラ」と「目ぢから」を、当時の上司である斎藤工事長(仮称)に出しました。誰が見ても、「私がやりたい」という・・・

やる気満々」の雰囲気を醸し出しながら・・(^^;)。



ところが・・、



数日後の斎藤工事長(仮称)から言われたのは・・、


別のTさんが、内田さま邸の現場担当で・・

私は・・小さい改修工事担当という指示でした。




2年目という経験値を考えられたのか・・
あまりにもあからさまに「やりたいオーラ」を出し過ぎたからなのか・・
理由はわかりませんでしたが、肩透かしをくらった感じになり大きなショックを受けました


遠藤工事長だったら・・やる気を尊重して、違う判断をくだしてくれただろう・・と思うほど、そのときのショックは何故か今でも覚えているほどでした(;_;)。




私は数日間、腑抜けた状態で、次の改修工事の準備をすることとなり、未練たらたらで悶々と日々を過ごしていました(--;)





つづく・・




「流れに従って生きる」ーN建設編ーACT19:内田邸の現場担当は・・


「これからの時代の家づくり」という「新しい技術」の内田邸を絶対に担当したい・・という思いとは裏腹に、斎藤工事長が指示した「白鳥君は内田邸ではなく・・改修工事の担当」・・の言葉に


私は数日間、腑抜けた状態で、未練たらたらで悶々と日々を過ごしていました(--;)


内田さんとは「東北大学の先輩後輩の中」・・という「」から考えても、私がもし上司なら「先輩といっしょに新しい技術を学んで来い」と、迷わず私を担当にするだろう・・と想像していました。



斎藤工事長の性格が悪いのか・・とも疑って、日々を過ごしていました。




・・ところがどっこい・・

「捨てる神あれば拾う神あり」です。




内田さま邸(内田さんおご実家)新築工事の「地鎮祭2日前」のことです。



私が担当するはずだった小さい改修工事が、なんとドタキャン!



・・と同時に、内田さま邸を担当する予定だった人の現場で、「重大なトラブル発生」で、

その処理に数週間は掛かる!


・・という事件が、なんと「同じ日」に起きたのです。



このびっくりするような「大どんでん返し」で・・、



内田さま邸の「地鎮祭」に立っていたのは・・



なんと、私なのでした・・(^^;)。



やっぱり、感じた「流れ」は正しかった・・。

私は、そのとき、強く思いました。

これが、在来木造構法、そして「新住協(新木造住宅技術研究協議会)」との長い付き合いになろうとは・・。


事実は小説よりも奇なり


お天道様は見ています(^^)





「流れに従って生きる」ーN建設編ーACT20:この現場での私の存在意義は・・①?


 内田様邸新築工事は、設計の内田先輩・大工さん・そして私も含めて、高断熱高気密住宅というのが初めてでした。
 そのため、技術指導として鎌田先生はじめ、会沢さんや多くの新住協(新木造住宅技術研究協議会)のメンバーが足を運んでくれました。

 私は、木造すら初めてだったので、完全におんぶにだっこ状態でした(^^;)。そんな状況になるのは、着工のときには薄々感じてました。
 技術的には勉強させてもらえる「たんなる手配屋の現場管理者」・・になると・・。



そんなつまらない役回りは、性格上、嫌なので・・、私は、自分なりにその現場での自分の存在意義を考えました。


いろいろ考えて、出した結論は・・、



技術の根幹」を身に着け、それを一般の方にわかりやすく伝えるような、
今までにないアピール度抜群「断熱構造見学会」をする
ということでした。


 何故、そのような結論に至ったかと言いますと、その見学会には多くのメリットがあると考えたためです。


① 一般の方に理解してもらうには、私自身がきちんと理解しないといけない・・という使命感が出来る。


② 新住協は、フランチャイズのように多額のお金を積んだ工務店だけに技術を教えるのではなく、広く世の中に正しい技術を広めたい・・という理念がありました。
 そこで、工務店に技術の取得を促すには、まずは一般の方に、こういう高性能住宅が出来るんですよ!・・と情報を広めるのがいいのでは・・と考えました。



③ 当時のN建設(会社)視点からのメリットとしては、内田さまの建築現場周辺が25年ほど前の分譲住宅地で・・ちょうど建て替えラッシュの時期になっていましたので、ここで、猛アピールできれば次の家づくりにつながる可能性が高い。



④ ちょうど2~3組の見込みのお客様がおり、別会社と競合していましたので、良いアピールになる。



⑤ N建設として有無を言わさず新在来木造構法を継続せざるをえない状況になる。



実は、この現場が終わったら、ポリシートを使った工法(新在来木造構法)は、N建設ではやらない方向で話が進んでいました。新しい技術を嫌がる上司の方がいたため、ポリシートを貼ることに抵抗感を示し、「いままでの隙間だらけの在来木造でいいのでは」・・という意見も出ていたのでした。



ただ、アピール性に乏しい住宅を造っていて、先々見通しの悪かったN建設にとって、この新在来木造構法で家づくりをやらせてもらっているのは「天がくれたチャンス」だと、私は勝手に判断したのでした。



会社には、表向き、③・④の目的で見学会を開催しましょう!提案しましたが、実際の大きな狙いは⑤にありました。


 


 見学会を成功させるのに、どうしたらいいか?私は、いろいろ考えて、まず現場を知ってもらう活動をすることを考えました。




そして、思いついた仕掛け(作戦)は「上棟式」でした。





事実は小説よりも奇なり


お天道様は見ています。



「流れに従って生きる」ーN建設編ーACT21:この現場での私の存在意義は・・② 上棟式


私は「断熱構造見学会」を成功させるため、「上棟式」に作戦ポイントを絞りました。



私「100人以上集めますから餅まきしましょう」


・・と、お施主様(内田さまのご両親)にお願いして、最近、仙台ではやらなくなった餅まき上棟式を計画しました。
お施主様の息子さんにあたる内田先輩からは、「100人なんて集らないよ」・・と言われましたが、「何とかして、にぎやかな上棟式にしますから」・・と無理にお願いをして、何とか了承をいただきました。

 もちろん、見学会成功へ、現場の認知度を上げる意図もお話ししました。内田さんの設計受注にも可能性を上げる効果があるためです。



ちょうど目の前が幼稚園だったので、園児さんの思い出づくりにもなるだろうと思い、幼稚園の先生にお願いして、ご父兄の方に事前に餅まき上棟式の案内(かわいいイラスト入り)を配布してもらいました。



また、近隣の方々への現場へ関心をもってもらうため、餅まき上棟式のチラシを訪問して回りました。手渡ししながら、「ちょっと、この辺では見られない面白い住宅なんですよ・・」の一言も付け加えて。


通学路にあたる道端には数日前から、餅まき上棟式の看板を立てたり、とにかく人を集められる方法は色々考え、実行しました。
 
 とはいえ・・、まずは、この上棟式にどれくらいの人が来てくれるのか・・正直、不安でした。10人くらいだったら、せっかく上棟式を了承してくれたお施主様にも申し訳ない状況になりますし、見学会開催への会社の意欲にもマイナス影響がでてしまうのでは・・と考えていたのです。



ー 上棟式前日 ー


上棟式の前日の天気は、最悪の雪・・しかも・・大雪・・(@@;)・・・    ガーン(;_;)・・・。


しかも・・めっちゃ寒っ・・(--;)


明日も、こんな天気だったら、上棟式すら出来ず、もちろん誰も来ない・・


当時は携帯電話で細かい天気予報などなく、


テレビの天気予報もざっくりとした確率の低いものでしたので、


雪と寒さに、私の心もドドーン・・と沈んでしまいました(--)。


その夜は、翌日の最悪のパターンを想像して寝つきが悪かった記憶があります。



ー 上棟式の日 ー



上棟式当日の朝・・、


私はカーテンを開けて、目を疑いました。



快晴!快晴! しかも、暖かそう!


なんと・・前日の雪がうそのように、その日の天候は大急展開して、小春日和の快晴になったのでした。しかも、あったかい・・(^^)b。


上棟式の準備をしているときも、大工さんはじめ、内田さん、お施主さま、会社の面々とも、「昨日の天気がウソのようだ!」と口々に言うほど、天気の違いに話が盛り上がるほどでした(^^)。



上棟式が始まる3時ころ・・、


どこからともなく子供たちや親御さんが集まりだしてきました。
そして餅まきをする時間・・、道路には、ゆうに100人を超えたご近所の方がいました。

こんな運にも恵まれて、大風呂敷を広げて言った「100人以上集めますから・・」の言葉は、無事に達成することが出来ました(^^;)



餅まきは、盛大に・・にぎやかに・・大成功のうちに終了しました。
現場のアピール云々を跳び越して、そのときは、にぎやかだった上棟式、喜んでいただいたお施主さまに、ただただうれしく感じていました。



前日までは天気にヒヤヒヤしていましたが、その日は、お天気サマサマでした。



まだまだ私の運も終わっていないと感じる一日でもありました。



事実は小説よりも奇なり



「流れに従って生きる」ーN建設編ーACT22:高断熱高気密住宅の初の見学会


上棟式を強運で終えることができ、内田さま邸の現場は肝心の「断熱施工&気密施工」に進んでいきました。近隣の方とも仲良くなり、「なにやら普通の家ではないそうだ」・・という認識もしてもらうこともできました。

 

そして、いよいよ「断熱構造見学会」の日が近づいてきました。


この見学会には、せっかく来ていただいたお客様に、さらに断熱性能について理解してもらおうと思い、いろいろなアイデアをもりこんで斬新な見学会にしようと考えました。


「気密測定器」の設置と実演。


ガラスの違いによる断熱性能を体験する「実験道具」

 

透湿防水シートの「実験器具」

 

輻射熱「測定器」

 


その他にも工法理論を証明する
「実験道具」各種を準備。

 


いろいろな「データーパネル」や「写真パネル」。

 


各建材のメーカーさんの担当者を呼んでの商品アピール。

(当時の写真が見つかりません・・)

 



現場の外部足場(道路沿い)には、

「なぜ、小さい暖房機で家中暖かくなるのか?」

「なぜ、脳梗塞になりづらい家なのか?」

「なぜ、・・なのか?」

 


という横看板を並べて、
「これからの時代の家づくり」に
興味を持ってもらおうと考えました。

 


気分を盛り上げる花やBGM。

 


見学会に「起承転結のストーリー性」をつけて、「すごい」と思ってもらえる工夫を凝らしました。

 


もちろん、事前に近隣への案内状配布も数百件、会社のみんなで頑張りました。

 

 

ー 大盛況の見学会 ー



そんな努力の甲斐あって・・

 

 


 2日間の見学会の結果は予想をはるかに超える大盛況で、来場していただいた方が、他の友人を連れてくる・・という現象まで起き・・来場者は2日間で100組は超えたと思います。



インパクトの強い見学会になり、アンケートも50~60枚は取れて・・「数年以内に家づくりを考えいる」・・という方のアンケートも20数件はあったと思います。

 その時点で他社と競合していたお2組の方は、この見学会で当社に決めてもらいました。


 


そういう意味では、この構造見学会は、
異例の大成功だったと思います(^^)。

 

 


・・・

 

 

ー しかし・・ ー




このあとに・・天国から地獄に落ちるような展開が待っているとは・・

この時点では思いませんでした(--;)。






事実は小説よりも奇なり




「流れに従って生きる」ーN建設編ーACT23:「良い住宅を造っている」では「売れない」


見学会が終わって、建て替えを間近に考えてらっしゃる方のアンケート20数枚は、N建設にとって、宝物みたいな資料でした。

 私も住宅事業部のスタッフも、その時点で住宅営業の経験はなかったので、そのアンケートのフォローは当時のN建設の営業部にゆだねられました。



ここで、ゼネコン営業の限界を痛感します。


 2週間~3週間ほど経っても、「家づくりについて打ち合わせをしたい」・・という、お客様のお話がなかなかあがってこないので、営業フォローについてミーティングが開かれました。



そこで、はじめて営業方法を聞いてびっくり・・。

 

不在の方には「名刺のポスティング」・・ご在宅の方には「家づくりどうですかぁ?」という感じの話をするだけなのだそうです。


 

「公共事業」のための「役所まわり営業」と全く同じで、事務的な手法しかやらないうことを その時、はじめて知りました。

 


私自身も、住宅の営業って実際どうやっているのか頭を悩ませましたが、結局、良い営業方法がひらめく前に、そのアンケートはゴミと化してしまいま
した。




役所工事べったりのゼネコンにいると、「技術がしっかりしていれば仕事はむこうからやってくる」・・という感覚ができるみたいです。

 

 

よく上司から、「現場の近所の人で、うちも家づくりをお願いします・・という人は出てこないか?」と聞かれることがありました。


 

一生に一度の大事業を、知名度もない会社の現場をちょっと見ただけで、「どうぞ、うちも建ててください。」という人がいるのだろうか?

そう信じている技術屋中心の会社の自信体質に寒気を感じました。



「良い住宅を造っている」は「必要条件」であり、仕事を受注する「十分条件」ではない・・とこの時点ではそう感じました。

 


そんな、営業を全くしらないN建設の状況に、その後、念願の大手ハウスメーカーの営業マンが登場することになります。


 

事態は好転するのか・・




「流れに従って生きる」ーN建設編ーACT24:大手ハウスメーカー営業マン就社


月日は流れ、私も新在来木造構法で家づくりする機会が何度もあり、それなりに、理論や技術は理解できるようになってきました。

 内田様邸では、おんぶにだっこながら、「省エネルギー住宅賞」をいただけることにもなり、その後のアピールにさせてもらう「後ろ盾」を棚ボタでGETしました。

 

 その後に現場担当した旅館建築(鳴子の「宿みやま」)でも驚くような不思議は続出したのですが、脱線してどんどん深みにはまりそうなので、今回は書かないでおきます。
 



ー 大手ハウスメーカー営業マン「O君」ー



 N建設入社4年のころでしょうか・・、突然、大手ハウスメーカーの営業マンだった友人小田君(仮称)から電話がありました。

 

電話の内容は・・その大手ハウスメーカー(A工務店とします)の詐欺的な契約方法で被害届けが続出しており、住宅金融公庫からそのA工務店への「融資停止処分」が決定したという話・・。

 


当時の住宅営業にとって住宅金融公庫の融資を受けれないということは、住宅営業が出来ない・・ということになる大事件なのです。



そのため、食べていけなくなったので、N建設に入社できないか・・という相談だったのでした。
 

 
小田君は、A工務店のやり手営業マンだったので、営業ノウハウを教えてもらうには願ってもない話だと思い、すぐにN建設の専務に相談・・。


専務も住宅営業ノウハウを教えてもらえる・・ということで非常に喜び、小田君の希望する「年収」や「勤務条件」などを約束の上、入社してもらうことになりました。
 



 この小田君の入社は、いろんな意味で私の人生の方向付けを変えるきっかけとなるのでした。
 
 


ー 凄すぎる大手ハウスメーカーの営業手法 ー



 

小田君には入社直後に、早速、そのA工務店の営業実演を会議室でしてもらいました(まずは専務と私の前で)。


 

 
・・・・・・
 


 
背中に汗をかきました・・。
 
  


A工務店では、「1回の訪問で契約書に判子をつかせる」と言っており・・、最初は正直・・疑いました・・。
 
 
でも・・本当に判子をつきたくなる営業手法なのでした。
 


営業ツール・営業トークの流れ・どれをとっても背筋が寒くなるほど、そのときの私にとっては完璧な営業手法に思えました。
 

 

実は、「良い住宅を造っている」・・は仕事をとるための「必要条件にもならない」のである・・と気づかされてショックでした。
 
 


良い住宅でなくても、営業手法さえしっかりしていれば売れる・・と痛感させられました。
 
 


ただ、その営業手法に「良い家」がプラスされれば、「鬼に金棒」となる・・ということも同時に感じました。
 
 


ー 営業実践 ー


 その頃、ちょうどタイミングよく N建設に家づくりのご相談に来られたお客様がいましたので、小田君とはそのお客様の同行営業してもらい実際の営業を教えてもらいました。

 


 このたった1回の実際の営業で学んだものは多く、このたった1回の同行営業で、私自身・・「自分でも営業できる」という自信を持つことができました。
 
 

それは、私の今後の人生に大きな影響を与えてくる出来事でした。
 

 

友人小田君の言葉で記憶に強く残っている言葉があります。
 

 
「俺は、おめぇのように建築の技術や性能云々は分からねぇ・・。でも、俺は、おめぇより家は売れるぞ」
 
 


なぜ、営業がたった1回だったのか・・
 
 


それは、ここから、「私の人生に大きなうねり」が起きてくるのです。
 
 


事実は小説よりも奇なり



「流れに従って生きる」ーN建設編ーACT25:「勝者の論理と敗者の論理」


「勝者は問題解決に寄与する。敗者は問題点を指摘する」 

  

この言葉は、N建設の「格言」の1つです。

 
 そして、私の中でも今では「格言」の1つになっている言葉です。 


 N建設には社是のほかに、このような 「勝者の論理と敗者の論理」 という5つの文言がありまして、それを月に一度の全体会議のとき、社員全員で唱和するのです。


他の4つの言葉は忘れましたが、今でも肝に銘じているのはこの一文です。


よく、他人の意見に対して、代替案や改善案を持たずに問題点だけを指摘する人がいますが、私はそのたびにこの言葉を思い出します

 

この言葉を唱和していたわりには、N建設には「敗者」が多かったと思います。

 

ー 営業意識の違い ー


 心底がっかりしたのは・・、社員全員の前で小田君に「営業実演」をしてもらったときです。

 

 若い人は「すごいなぁ・・」と感動していたのですが、部長クラスの上司は、その営業手法の良い点を言わず、2~3か所くらいの問題点だけを見つけて冷やかすだけなのでした。
 中には鼻で笑って、「そんなにうまくいくか・・」と、まったく話を聞かない人も居るほどでした。


 他社の営業方法の良い点に目が行かず、「いままでのN建設のやり方が絶対なのだから、外様大名は余計なこと言うな」・・という感じにも見えるほどでした。

 結局、N建設は、せっかくの大手ハウスメーカーの営業手法に秘められた、契約までの大切な流れの真髄を吸収する前に、表面の一部分だけを茶化して終わってしまったのです。

 


ー 卒業という流れ ー



 小田君も、「これだけ説明してあの反応しかできない上司では、この会社の体質として根本から住宅営業は向かないのでは・・」と半ばあきらめムードになりました・・。

 私も、それまで、いろいろな提案やアイデアを出しては茶化されて潰されそうになったことが多かったので、小田君のそのときの気持ちはよく理解できました。
 

 私の運が良かったことは、そんなときに限って、「流れ」が味方してくれて結局は貫けることが多かったことです。

 

 このあたりから、私のN建設 「卒業」 という 「流れ」 は、ゆっくりと動き始めました・・。


 

ときは、1997年、フランスワールドカップのアジア予選が始まった頃です。

 

 

「勝者は問題解決に寄与する。敗者は問題点を指摘する」

  


私の人生の格言の1つです。

 



事実は小説よりも奇なり




「流れに従って生きる」ーN建設編ーACT26:N建設を卒業する「流れ」到来


N建設がこのように旧体質から抜け出せない状態で、小田君はホトホト嫌気がさしていました。こんな会社に誘い込んでしまった私も申し訳なく思い、これも「流れ」なら、俺もそろそろ潮時なのかなぁ・・と感じ始めました。


そんなとき決定的な事件がおきます。

 

 夏のボーナスの時にはっきりしたのですが、小田君の年収がどう計算しても約束した額よりはるかに低いのです。どこで話が伝わってないのか追求する気にもなれず、小田君は退社を決意。


  私も初めて営業した現場を終えたら退社することを決めました。

 

フランスワールドカップの予選の不思議


 ときは、1997年の秋。日本はサッカーワールドカップ予選で、ボロボロに状態に陥り、出場不可能とまで言われたときでした。

 

1997年は日本のサッカー界にとって重要な年でもありました。

 

 日本がワールドカップに初出場できるか・・。4年前の「ドーハの悲劇」を超えられるのか・・。次のワールドカップは日韓で開催されることは決まっており、「ワールドカップに出場したことのない国でワールドカップを開催するなど前代未聞」とまで言われ、そのときのフランスワールドカップへの出場は厳命みたいな状態でした。

 

 そんな使命を背負って臨んだ予選でしたが・・、


日本代表はホームスタジアムの国立競技場で、ライバル韓国に残り15分でまさかの逆転負け・・・。

そこから歯車がくるって、立て続けに勝てる試合を落とし続け、当時の監督であった加茂監督が更迭・・・。

代わって指揮を執るのが、監督経験の全くない「岡ちゃん」という、ボロボロの状態でした。 

 

10人に1人?・・20人に1人・・100人に1人?


1997年の暮れ...
日本は自力でのワールドカップ出場の可能性が無くなり、「他国の結果」と「日本は1敗もできない」・・という条件の中にいました。

その時点で、日本がワールドカップには出れると信じていた人は、10人に1人・・いや・・20人に1人だったかもしれません。 


私は・・そんな20人の中の1人・・・でした。


 作り話のように聞こえるかもしれませんが、当時の忘年会などで、
私は内田さんや会沢さんなど新住協メンバーとこんな会話をやり取りしていました。

 
内田さん・会沢さんなど・・「会社を辞めて次はどうするの?」

私「さぁ・・。とりあえずフランスにサッカーを観に行っていると思います。」

みんな 「はあ!? 無理だよ。今の状態から日本は絶対ワールドカップに出れないよ!」

私   「ん~・・。でも・・、多分・・・、日本はワールドカップに出れると思いますよ・・。」


みんな 「無理無理!絶対に無理! なんで、そんなに自信があるの?」

 

私 「だって・・、日本がワールドカップに出れて、4月に現場がちょうど終わって、俺が5月で退社し、6月にフランスにいる・・という「流れ」を感じるんですよねえ・・。」

 

みんな 「・・・(し~ん)・・・」

 
にわかには信じられない会話だと思うでしょうが、これが、本当の会話なのです。

 

退社を決意し、日程を計算すると不思議にいろんな事が一致していたのです。

 初めて営業して受注した現場は、翌年の4月に竣工予定。残業務を整理しても5月には退社・・。すると、6月に俺はフランスにいるのかな・・?と、勝手に日本はワールドカップに出れるという確信めいたものが脳裏に浮かんでいたのです。

 さらに流れは加速していました。かなり前に、棚上げになっていたリフォームのお客さまが、わざわざ会社の私を訪ねてきて、「やっぱりリフォームします」・・と言うのです。
「いつころの工事になりますか?」と尋ねると、「来年の4月くらいには終わらせたい」。

 

「偶然の一致」なのだろうか・・。「流れ」なのだろうか・・。

 

 初めて就職した会社を辞めるのは、精神的に大きなパワーが必要になります。このタイミングでワールドカップが開催されること自体、不思議な縁だと感じていましたし、そのワールドカップを観に行くんだ!
・・という「根拠のない自信」が、私に退社への勇気を与えてくれていました。

 


事実は小説よりも奇なり。


お天道様は見ています。



「流れに従って生きる」ーN建設編ーACT27:奇跡的な「流れ」


日本は初のワールドカップ出場に「赤信号が点滅」している状態でした。


しかし・・その後の日本は神がかり的な追い上げを見せました。

 
息の根がとまるかと思われた「負け試合」で、終了間際のまさかの三浦知良の「空振りシュート」が、そのままゴールに吸い込まれた「棚ぼたゴール」で首の皮1枚つながり・・。

 

ワールドカップ出場を競っていたUAEが格下チームにまさかの引き分け

 

 この試合も神がかり的で、当時の映像を見ると分かりますが、UAEのシュートがことごとくポストとクロスバーに当たって入らないという内容でした。
 多分、約10本・・通常ではありえない数のシュートがポストやクロスバーを叩いていました。

 

 そして、日本が強敵「韓国」にアウェーでまさかの勝利!。まさかまさかの韓国戦の勝利により、

日本はUAEに競り勝ち、「第3代表決定戦」へ駒を進めるという・・・
ありえないような展開で奇跡を起こそうとしていました。


 

⚽ジョホールバル⚽



 ワールドカップ予選、最後の試合。対イラン戦(当時はアリ・ダエイなどヨーロッパで活躍する選手が多くいる強敵中の強敵です)・・。


私は、実家のテレビで一人で見ていました。


深夜のキックオフです。


「それまでの流れが間違っていなければ、この試合は絶対勝つはず。俺に運とパワーをくれ」・・と祈って観ていました。

 



試合は、どちらも譲らず、2-2のまま
延長戦のVゴール方式に突入(ゴールした瞬間に試合終了方式)・・。

 

 日本は、東南アジアの暑さのため、足が止まりはじめ攻め込まれます。
アリダエイのゴール前3mくらいのシュートがポストすれすれで外れて、九死に一生を得る形で延長後半へ・・・。

 


ここで、岡ちゃんがまさかの采配!。



今までほとんど出場していなかった、超俊足、岡野を投入!。


高速で走る岡野に、当時の司令塔 中田が何度もスーパーパスを供給して、チャンスを演出!

足技がいまいちの岡野でも、ピッチ上で全員が疲労していると、こんなにも輝くものか・・と思わせるほど凄いスピード差!

 

  

 
・・・そして、あの歴史的な瞬間がおとずれました・・・

 


 中田のシュートをイランのキーパーがギリギリではじくビッグセーブ!。

 

 


 しかし、そのこぼれ球に、いち早く反応したのは・・・、ピッチ上で一番疲れていない岡野・・

 

 


 スライディングしながら、そのボールをイランのゴールマウスの中へ、ズドン!!

 

 



  

 


世の中の「時」が 一瞬 止まりました

 

 

 

 


次の瞬間

 

 


 私は、ありったけの声で「うぉぉぉぉぉおぉぉぉ」・・・おたけびをあげていました。

 

 


力いっぱいのガッツポーズを何度も何度もとっていました。

 

 


涙を流していました。

 

 


深夜の田舎で  です。

 

 


みっともない話ですが、サッカーに興味のない近所の人が、「何かあったのか?」と深夜に訪ねてきました。

 

 


私の感じた「流れ」は、間違っていなかった・・と強く思った瞬間でした。

 



事実は小説よりも奇なり


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「流れに従って生きる」ーN建設編ーACT28:「流れ」・・の「自信」は「確信」へ・・


4月、無事2つの現場が同時竣工し、いよいよ私は辞表の作成に入りました。

 数か月前まで抱いていた「不安」も、日本がフランスワールドカップ出場を決めたことで、4月の時点では不思議と「この流れは間違いない」・・という「自信」に変わっていました。

 


辞表を出すのはいいのですが、1つの不安がありました。


 

それは退職金のカット・・なのです。

 


以前に辞めた人が、「勤務期間中に会社に与えた損失の一部」として、若干の退職金をカットされた過去事例があったのです。

 



フランスワールドカップに旅行ローンを組んで行こうと思っていた私は、退職金は1円でも多く欲しい・・という、超貧乏状態でした。


 

 

 辞表を直属の上司に提出すると社長にたどり着くまで時間が掛かってしまい、6月のフランスに間に合わなくなるかもしれない・・と思い、私は、社長室まで行き、直接社長に辞表を提出しました。



 辞表の中身には、「退職金は値切らないでください」・・・と書いたのは覚えていますが、その他は何を書いたか忘れました・・。

 

 

 

想定外の展開



ここで、何やら不思議な状態が続くことになります・・。

 

 

 

 


辞表を出したのに1週間たっても、社長、そして上司からも・・何の呼び出しも無かったのです。

 

 



同僚からは「本当に辞表を出したのか?」「出してたら、2・3日で呼び出されて、退職金交渉になるはずだぞ」と言われるほど かなり異例なことでした。




私も「おっかしいなぁ・・忙しくて見てくれていない・・とかじゃないよなぁ・・辞表をわざわざ手渡ししたんだから」・・と、不思議な日々を送っていました。


 

 

 


 

 

 


 社長室に呼び出されたのは10日後くらいだったでしょうか・・。

 

 


 
 私は、緊張しながら社長室に入り、一礼しながらソファーに座りました。

 



 社長からは、何かを話されたとは思うのですが、緊張のあまり記憶には全くなく・・ただ、退社を了承することを伝えられました。

 

 



 そして・・次に言われた会話だけは記憶に鮮明に残っています。

 

 


社長から言われた話は・・

 

 

 

私が想定した数パターンの会話とは・・まったく次元の違う・・、

 

 

 


本当にありえないような 超びっくりするような話だったのです。

 

 

 



その話で 私の「自信」は「確信」に変わるのでした。

 

 



事実は小説よりも奇なり




お天道様は見ています。



「流れに従って生きる」ーN建設編ーACT29:創業40年にして「初」


辞表を出してから約10日後、私はようやく社長室で直接お話をさせていただいき、退社を認めてもらいました。

 

 
 次は退職金の算定についてのお話になるだろうという予想のもと、私は、「値切らないで」と心の中で祈ってました。

 
 たった5年なのでそんなに貰えないことも分かっていたので、フランスワールドカップの旅行代の半分にはなってほしい・・という切実な思いでした。

 

  



 しかし、社長から出た言葉は、
耳を疑うような信じられない話だったのです。

 

  




(N建設の社長の話)

 「この会社は私が創業してから40年経つ。その間、仙台市や宮城県の箱モノを中心に建設業界で頑張ってきた。

 

 


ただ、時代の流れもあり、そろそろこの会社の社会的役目も終わりなのかと感じている。

 

 


そこで相談なのだが...、

 

 


実は、創業40年の中で一度たりとも人員削減をしたことがなかった我が社だが、次回の全体会議で、社歴始まって以来、初めて・・「希望退職者」を募りたいと考えていたところだったんだ。
 


 

これは専務とも話をしていて、ゆくゆくは会社を閉めようと考えている。

 

 


 ・・・・・・・

 

 

 


そこでだ。

 

 

 

 


白鳥君、次の全体会議で、この発表をしたときに、即決できる人をその場で聞こうと思う。



そのときに率先して手を挙げてくれないか・・・。

 


そこから1週間以内に決めてもらった人には
退職金を予定の3倍支払うつもりだ。

 



もちろん白鳥君にもだ。」

 

 


 


私は、ぽかーん・・としてしまいました。

 

 


頭の中で事態を整理して、冷静さを保つのに必死だった記憶があります。

 

 



N建設が、創業以来、初めての人員削減を次の全体会議で発表する予定だったのです。

 


私は希望退職者を募る先導役という役目を任されて、退職金を値切られるどころか3倍もらうことになったのです。

(N建設は、その2年後に黒字のまま幕をおろしました。きれいな身の引き方だったと・・今は思います。従業員の次の就職先もほとんど斡旋したしたそうで。)



 

 

**茶番劇**


 

 翌週の全体会議のとき、予定通り社長からの緊急重大発表がされました。

 

 

 

当然ですが、社内全体が静まりかえりました。

 

 

 


「この時点で即決して手を挙げる人はいないか?」…の社長の問いかけに、

 

 

 

 私は、少し悩んだ演技をして、ゆっくり手を挙げました。

 

 


 


「おぉ、白鳥君は決断してくれたか・・。」

 

 


この、へたくそな茶番劇に若手社員からはニヤニヤという視線が私に降り注がれました。


 

  



そして、旅行ローンでフランスに行く予定だった私は、無借金でフランスワールドカップを見に行くことになったのです。




**N建設の5年間**



40年間という長い年月で初めての人員削減のタイミングが、私の退職願いとドンぴしゃりだったことで、私は、この「流れ」が間違いなかったと確信しました。


 N建設に居たのはたった5年間でしたが、なんだか10年以上居たと思うほどの経験をした気がしています。いい事もいやな事もありましたが、選択は間違っていなかっただろうということだけは思っています。


そして、5年間のN建設時代の仕事で私が自分なりに得た「哲学」は、

「10期待されたら、12で応える」


ということでした。この姿勢は今でも貫いているつもりですが、体力の衰えとともに「もっと頑張んなきゃ!」と反省もする日々です(^^;)。




この哲学は、自分に さらなる高いハードルを与えてくれます。

 


マンガでも、講演でも、執筆でも、もちろんプランニングでも、12で応えれれば、次のまたいろいろな高いレベルの依頼が来るのです。

 

そういう意味で、自分の実力を上げるには非常に便利な考え方だなぁと肝に銘じております。

 



事実は小説よりも奇なり


お天道様は見ています。



「ワールドカップ編」につづく・・



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★「流れに従って生きる」①ー大学生活編ーは下記より飛んでください。
歴史上初の出来事によって大逆転で志望校に合格!そして・・ありえない話の連続ストーリです(実話
10代の皆さんの勉強に臨むヒントになるかもしれせん。
「流れに従って生きる」ー①大学生活編ー ACT1:大学受験勉強|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」③ーフランスワールドカップ編ーは下記より飛んでください。日本が初めてワールドカップに出場した大会。会社を辞めて観戦に一人旅。そこでも起きる不思議な出来事…(実話)。なにかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」③ーフランスワールドカップ編ーACT31:不思議な出会いその①|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」④ー転職準備編ーは下記より飛んでください。
次の行き先を決めないままN建設を退社。
しかし、人生とはうまくつながるものです。人生の転換を考えているかたになにかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」④ー転職準備編ーACT37:HAさんとの不思議な縁|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」⑤ーCホーム編ーは下記より飛んでください。
Cホームでの経験が次の人生に大きく影響しました。
最後は宝くじで10億当たる以上の出来事で電流が流れます。
人生で岐路に立つ方になにかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」⑤ーCホーム編ーACT40:Cホーム入社|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」⑥ー独立準備編ーは下記より飛んでください。
独立することを決意したときから、巻き起こる信じられない偶然の出来事!これはなんなのか…引き寄せの法則とは本当にあるのか…?
信じられないストーリーは、人生の中で勇気ある一歩を踏み出した方になにかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」⑥ー独立準備~編ーACT47:独立準備|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」⑦ー仙台スタート編ーは下記より飛んでください。仙台でのスタートは衝撃の出来事の連続です。
まるでジェットコースターに乗ったような展開は、起業を目指している方へのなんらかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」⑦ー仙台スタート編ーACT53:「項羽」と「劉邦」|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」⑧ー再独立編ーは下記より飛んでください。
ついに最終章!。今まで仕込まれていた絡まった糸の数々が全てここにつながっていたのか・・と驚きます。
怒涛のラスト18話・・・是非読んで下さい!。
事実は小説よりも奇なり。お天道様は見ています。
「流れに従って生きる」⑧ー再独立編ーACT66:大どんでん返し|けんけん(白鳥けんし) (note.com)

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