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「流れに従って生きる」⑧ー再独立編ーACT66:大どんでん返し
私の携帯電話に佐藤様から突然の電話が入りました。
江原氏からの話を聞いての電話だろうと思い、私はすぐに「もしもし白鳥です。お世話様です」と電話を取りました。
佐藤さま「ちょっといいかな...」と意味深な言葉から話し始めました。
私「今回は、せっかくお知り合いになったのに申し訳ございません。」
佐藤さま「今日、江原さんから電話があっていろいろと事情を聞きました。近いうち会って直接お話をしたい
「流れに従って生きる」⑦ー仙台スタート編ーACT53:「項羽」と「劉邦」
私は仙台の(株)木の香の家に合流しました。その数日前に、私たち4人の株主(3人+ ホンダ建材の木戸社長(仮称))と、ホンダ建材の三浦部長さんたちを交えて、景気づけ決起集会(飲み会)を開きました。
そのときの飲み会の席で、三浦部長さんからこんな話をされました。
三浦部長「白鳥さんは、この新会社はうまく成長していくと思っていますか?」
私 「ん~、そうですねぇ。ここまでの流れは間違っていないから
「流れに従って生きる」⑥ー独立準備~編ーACT47:独立準備
長い間 心の中に抱いていた恐怖心は、奇跡の出来事によってすっかり打ち消され、
「独立する」という腹は決まりました。
まず、「立つ鳥あとを濁さず」として、きちんとローコスト住宅の手法をまとめて、上司にレポートとして作成することにしました。
そして、正月中、じっくりと本格的にどう進めていくか考えました。
「どういう家」を「どういう価格」で「どういう営業方法」でやれば市場に受け入れてもらえる
「流れに従って生きる」⑤ーCホーム編ーACT40:Cホーム入社
こうして提案書を送った半月後の10月1日、私は、ほどなくCホームに入社しました。
入社前に提案書を送るという前代未聞の行動を取ったので、どういう目で見られているのか気にはなりましたが、その会社の器の大きさも知れるかな・・と開き直り感もあっての出社となりました。
しょっぱなから、またサプライズがありました・・。
私の配属は営業ではなくなっていたのです。なんと、開発室になっていました。もっとやっ
「流れに従って生きる」④ー転職準備編ーACT37:HAさんとの不思議な縁
N建設を退社する1ヶ月くらい前(4月)だったと思います。
私は、4ヶ月(6~9月)の充電期間をとって、岩手県北上市のCホームという会社に行くことが決まっていました。
これは、新住協の会沢さんからの紹介された会社さんだったのです。
次の人生をどう進もうか…とも決めておらず、ワールドカップ勢いで退社を決めたので、声が掛かるならこれも「流れ」なのだろう…と思い、あっさり決めました。
「流れに従って生きる」③ーフランスワールドカップ編ーACT31:不思議な出会いその①
1998年6月・・私は、無事にイギリス経由でフランス入りして、ワールドカップモードに入りました(^^)。
初戦のアルゼンチン戦はトゥールーズというパリから400㎞も南にある都市で行われました。(東京ー仙台みたいな距離感ですね)
私はチケットを持っていなかったので、多くの日本サポーターと一緒にスタジアムの外でモニターで見たような記憶があります。
初めてのワールドカップ・・ということもあり
「流れに従って生きる」②ーN建設編ーACT13:ここに居る意味がある
「九死に一生を得る」形の追試でようやく大学を卒業した私は、ほどなく仙台の地方小ゼネコンであるN建設(株)に入りました。
学生時代にアルバイトをしていた会社です。
ここでは、しょっぱなからカルチャーショックを受けました。
アルバイトしていた頃の 製図室(専務室) とは違い、配属された工事部は、完全な「縦割り社会」で、3人の工事長を筆頭に、「入社した順番」に前から机が並んでいる・・というスタイル
「流れに従って生きる」①ー大学生活編ー ACT1:大学受験勉強
私は、高校3年の大学受験の頃から、「流れに従って生きる」という感覚を身につけるようになり・・ず~っと、その信念で生きてきました。
高校3年のとき、
「大学に進学する」・・というだけで、それ以外の明確な目標のないまま、日々「受験勉強」・・に時間を費やしていました。
多分、休みの日は1日12~13時間、起きてから寝るまで勉強していたと思います。
しかし、あまりの猛勉強のため・・疲れはててしまい
「流れに従って生きる」ー再独立編ーACT83: (第1幕 最終話)オンリーワン
いろいろな試練を乗り越えながらも、2001年 私は本当の意味で独立することができました。
Ho建材の社長はじめ多くの方のご協力もあり、多くの困難を乗り越えることが出来ました。
新会社のスタートダッシュには菅原さん(現かみさん)の人脈営業力という幸運にも恵まれました。
新会社のスタートは順調と言えるものだったと思います。
不思議なテレビ番組
そんな穏やかな気持ちで仕事
「流れに従って生きる」ー再独立編ーACT82: 人間、楽しようとすると、その分苦労する
私は、30歳で本当の独立をすることになりましたが、いろんな会社の失敗例、人の失敗例を間近で見てきました。その多くに共通することとして、ある哲学者の言葉を思い出します。
「人間、楽しようとすると、その分、苦労する」
多くの人は、机に座っているだけで自分の懐にお金が入ればいいのになぁ・・と考えるかもしれません。
〇 一番最初に勤めたN建設は、役所工事にべったりだったため、名刺配りの
「流れに従って生きる」ー再独立編ーACT81: ものすごい偶然・・そして終焉
2人だけの株主総会の翌日、STさま邸の建て方の日がやってきました。
㈱木の香の家を改革する一連の行動の最終日に、STさまの建て方という日が重なったことも不思議な感じでありました。
しかし、この日はそれだけではなかったのでした。
建て方開始前の 私 と T大工さんとのやり取りから
それは始まります。
その日は、少し早めの7時半に現場に着いて、コーヒーを飲みながら
「流れに従って生きる」ー再独立編ーACT80: 運命の株主総会
株主総会まであと1~2時間となったとき、牧田から電話ありました。
電話の内容は、E氏からの「株主総会の開催方法について」の意見だと気づきました。
私はE氏と株主総会の日まで一度も顔を合わせることなく、電話やメールも無視し続けていました。
どんな揺さぶりにも耐えて無視し続けました。
そんな怒りを買うような関係の上、よりによって株主総会の日にST様邸の土台敷を見に
「流れに従って生きる」ー再独立編ーACT79: 株主総会の日
2002年1月下旬。
とうとう株主総会の日が来てしまいました。
株主総会の日は、なんとST様邸(仙台市青葉区)の土台敷きの日に重なりました。
これも不思議な縁なのでしょうか・・。
株主総会は、その日の夕方からでした。
私は朝から緊張しており、朝ごはんも喉を通りませんでした。
その日は11時頃にST様の現場に行き、土台敷きで時間を潰しながら、気持ちの整理をして夕
「流れに従って生きる」ー再独立編ーACT78:WGさまの家づくり
話は変わりますが、牧田との作戦会議のなかで、塩釜市のクレーン屋さんWGさまの現場の話にもなりました。
私「そういえばWGさまの現場、T大工さんがダメになったじゃん。
結局WGさんのお勧めする大工さんで建築できたの?」
牧田「それが、WGさまのお勧め大工さんも忙しいということで、結局、こっちの伝手で紹介してもらった大工さんで施工したんだ」
私「そっか、いずれにせよ完成してよか
「流れに従って生きる」ー再独立編ーACT77:株主総会のシミュレーション
株主総会の「議決権60%」を密かに持つことになった私は、『不安感』と『恐怖感』も持ちつつ牧田にHo建材社長の考え方を説明しました。
その話を聞いた牧田は腹をくくったようでした。
牧田が代表取締役を継いだあとの「拠点となる事務所」の事や、「株主総会のタイミング」などの調整に入りました。
社長解任が決まったら、早々に今の事務所を出なければならないためです。
その後、数回の打ち
「流れに従って生きる」ー再独立編ーACT76:株主総会前のHo建材社長の指示
牧田が重い腰を上げて「㈱木の香の家の社長をしてもいいよ」と言ってくれたので、私は早速Ho建材の社長のところに相談に行きました。株主総会の開催時期の話もあったので、タイミングの良い訪問になりました。
私は、簡単なあいさつを終えて、すぐに本題に入りました。
私「株主総会のお話もあるのですが、牧田が社長をやっても良いと言ってくれました。今後どう進めるのがよろしいでしょうか」