見出し画像

秋晴れに消された記憶掻き集め

神戸連続児童殺人事件のことを考えている。

訳あって過去の悪行をカラビヤウという高次元時間構造体に保存されている訳だけれど、そのお陰で家族や知人が迷惑しているという。

なので、神戸連続児童殺人事件の犯人となった酒鬼薔薇聖斗という殺人鬼の所業を参考にして、彼が少年院を出所した後に書き上げた絶歌という書籍で彼が殺した児童の遺族に慰謝料という形でぼくの友人たちが我が子を殺された遺族と同程度の補償を受けるべきだと七つの大罪を管理する花電車の社長が率先して協力をしているらしい。

まぁ、殺人鬼に我が子を殺された恨みとぼくの過去の悪行で迷惑を被っている連中の対価を等価に見ることは出来ないけれど、言ってみれば彼らは他人である。

過去の悲惨な出来事を掘り起こされたところでぼくの友人知人たちは気にも止めないだろう。

で、あるならば、ぼくが彼らに迷惑をかけたことを同じように気に留める必要性があるだろうか。

神戸連続児童殺人事件の犯人は慰謝料という形で印税のほぼ全てを殺された遺族に補填したようだけれど、遺族は受け取りさえ拒んでいた。

子供の命をたとえ莫大な金額であっても受け取りたくないと遺族は考えたのである。

にも関わらずぼくの家族や知人は慰謝料が欲しいとすら願い、慰謝料を受け取る理由を嬉々として語っている。

絶歌の状況とどのように見比べるべきなのかはわからないけれど、なぜ彼らの状況をわざわざ利用する必要性があるのだろうか。

聞くところによると、この一件にはぼくがかつて在籍した企業の社長が関わっているという。

記録には残さない方法なのでもし興味があれば、この一件を自分で調べて関わっている企業の人間の名前などを調べてみるといい。

意外にも大規模だが、利用する対象が非常に悪質だ。

絶歌の件だけではなく、過去に起きた殺人事件や強姦事件の犯人側をぼくに仕立て上げて、遺族や被害者の感情を蹂躙する手口を繰り返している。

ぼくらには聞こえているはずだ。

決して無視など出来ない形で伝えられている。

確かにぼくは悪行を犯した。

だが、このことを理由に法的概念とは違う枠組みでかつてぼくが在籍した企業は補填を受け取る方法を社会に訴えかけている。

出汁という考えがあるが、問題は相手との関係性による。

もちろん、日本食には欠かせない調理法であり、味噌汁だけではなく煮物にも使われている。

昆布であれ鰹であれ透明になるまで何度も濾されて出汁は利用される。

今回の一件は絶歌を通して遺族が保証された慰謝料をまるで自らに起きた悲劇であるかのように利用している。

解決まで導きたいが彼らは彼らの返答に応える人間しか聞いていないと思い込んでいる。

今電車でこの文を書いている、

目の前で携帯を触っているおじさんもまた聞いている。

社会的公平性から考えれば、イヤホンで聴いている音は彼らの耳には届かないし、彼らもまたそうであると主張する。

悪事には加担したくないからだ。

ただ黙っている盲目の羊は声を上げるハイエナの所業に耐えている。

まぁ、どちらにせよ、権力と闘っているのだという上京を手に入れようとしても誰もみていないYoutubeと同じ程度の、価値観でしかないだろう。

まいにちは覇王の道筋と白き魔女の我儘が相殺されている。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?