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言語化しないこと

相手に自分の考えを伝えるとき、再現性を高めたいとき、言語化が必要です。それを前提として「言語化しないこと」について考えてみます。




1. 言語化し過ぎない

相手に自分の考えを伝えたいとき、思考プロセスを具体的な言葉として書き出します。自分の頭の中を的確に伝えるためには、言語化が必要です。

しかし、想いを説明しすぎると「本当に言いたいことが伝わらない」「やるべき事が限定的になる」という状況をつくり出してしまう。メッセージの本質を汲み取る作業を、相手が諦めてしまう可能性が高まります。

言語化し過ぎない、伝え過ぎないこと。伝える行為に余白を持たせること。概要のみを伝え、相手の考える領域を奪わない。相手を信じます。


2. 言葉以外のメッセージを拾う

逆に説明が少ない場合はどうでしょう。「あの人の言いたい事はこうだろうか」という解釈によって、相手が歩み寄ってくれるかもしれません。

そもそも「伝える」という行為は、投げたボールを相手に拾ってもらわなければ意味がありません。「拾う」という相手の行為が発動しない限り、伝わらないのです。

この「拾う」という行為は受け手の力、つまり読解力。「捉え方次第」という言葉はとても大きな意味を持っています。自分のボールとして捉えられるか。受け手としてはこの力を研磨し続ける必要があります。


3. 定義できない「美」の概念

デザインにも言語化が必要です。社内に説明しながら完成に近付いていきます。一方で、リリースされたデザインを見るであろう受け手側は、そのデザインを言語化することはないでしょう。

良いデザインは「素敵だ」という感情を生みます。つくり手はこの「素敵だ」という感情のみを、簡潔に表現することを選択します。シンプルな美意識を滑り込ませ、まずは視界に入る事を目指す。その後詳細に機能を説明していく仕掛けです。

「美意識」は言語化が難しい。「感度」ともいいます。共通認識は確かに存在しますが「美」の有無を定義することはできません。しかし、その領域を探究し続ける事こそが、デザイナーの宿命だと思うのです。


4. 言葉にできない感情

「言葉にできない」という表現があります。直面した状況に対して、適切な言葉が見つからない状態です。感情の振れ幅、事象の稀有性、緊迫感、開放感… そのような状況においては言葉を失います。

私の場合は、出産立会いで子どもが生まれた瞬間です。感動という言葉では足りない。適していない。そのような瞬間でした。言語化できないことは、必ずしも悪いことではないと思うのです。あくまでも「説明・再現」に必要なのが言語化です。

また、国を越えると言葉が無くなります。フィンランド語の「sisu(シス)」は、英語や日本語では表現不可能な言葉です。勇敢さ・忍耐強さ・諦めない姿勢や態度。内面の強さ・魂・生き方そのものを言い表す言葉として「在り方」をブランディングします。


まとめ

今回は「言語化しないこと」について書いてみました。しかし、結論としては、言語化が重要であると言わざるを得ません。なぜなら私たちは、1人で生きていくことはできないからです。

相手に想いを伝える。伝えてもらう。共感する。そこには必ず言葉が存在し、そして「信頼」が築かれていくのだと思います。

定義できない・言葉にできない想いや概念も大切にしながら、これからも言語化に向き合っていきたいです。




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