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好きなものとの距離

イタさとは、「好きな対象との健全な距離感が取れていない様。」とも言えそうだぞ、ということについて少し書いていきたいと思います。

音楽について


音楽は、自己紹介の様な場面でも、非常に一般的なトピックである。自分の好きなジャンルの音楽の話をして、共感してもらえれば嬉しいし、相手に対して、すぐに親近感が湧いてくるだろう。

別に、自分が楽曲の制作に関わっているわけでもないのに、自分の好きなジャンルの音楽に肯定的な意見を聞けば、まるで自分自身が肯定されたような感覚にもなるのだろう。

ブルデューが言うように、個人の好き嫌いは、その人のアイデンティティの核に非常に近いものであるに違いない。だから外に向けて、自分が何者であるかを語るときに音楽や芸術は非常に便利なツールとなる。

音楽を聴く時、人は自分自身が何者であるかを再確認をする。例えば、没入感を求め、わざわざ高価な音響で外音を遮断して、好きな音楽を聴く時、人は音楽とより密接な関係を求めているのだと思う。

好みの音楽を聴いている時に覚える、対象への全面的な肯定感や、音楽との一体感は、確かに人を贅沢な気持ちにさせてくれる。好きな音楽を聴くとき、人は無意識のうちに自分が何者であるかを再確認し、同時にそれは自分自身を肯定する作業でもあるのだ。

同時に、音楽に耽るという行為自体が、社会的存在としての個人のバランスを崩す恐れがある。一方で音楽は、言語で捉えきれない人間の感情を表現するのに適している。しかし、他方特定ジャンルやアーティストの偏りは、そのまま思想や考え方に反映される恐れがある。

熱狂的なファンは、信者と言われ、外から見る限りでは「イタい」人たちなのである。

故に、自分が最も心惹かれる対象こそ、実は最も注意深く関わるべき存在なのである。好きな音楽があって、アーティストがいることは結構なことだと思うが、対象と一定の距離を常に取り続けることは、精神の健康上必要なことなんだろうと思う。好きなものものこそ客観的視点から捉え、一定の距離を取ることが非常に大切なのだ。



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