見出し画像

異常の正常化、正常の異常化に振り回されない

異常と感じる事、正常と感じる事、それは人それぞれ。

育った環境や親の教育方針、付き合っている人間関係や取り巻きが持つ価値観など、どのような常識を常識として受け入れたかによって異なる。

そして価値観の異なる異文化の人が接触する事で初めて自分自身が考えていた事が当たり前でないことを知る。

その瞬間に常識が異常であることを初めて認識することもあるかもしれない。

逆に自身が思っていた異常と考える事が、周囲に話してみると実は同じ考えであるということもあったりする。

それは自分自身が異常な考え方かと思っていたら実は違うという事。

考えを表に出してみて初めて気がつく考えの位置付けというものもある。

こうして気がついたら非常識としていたことすらも常識の範囲内であるということがわかったりする。

このように、常識と思った事が非常識、非常識と思った事が常識の範囲内ということは気がついていないだけで沢山あるのかもしれない。



世の中における異常とされる出来事が正常になる事はよくあること。

コロナ関連のものについても、メディアの報道一つでころっと異常が正常になり、正常が異常となる。

何を正常とするのか、何を異常とするのかの価値観が自分の中の軸として持てていない状態である人は、世の中の意見にいくらでも振り回される。

その結果、昨日までの常識が明日は非常識になること、そして明後日においてはまた正常になることもたくさんある。

これは前提とする根拠があまりにも多く変わることや、都合の良い一部が切り取られたという認識がないことから生じること。

激動の時代において自分軸がないために価値観が変わり続ける事は、ある意味その内容に脳のパワーのかなりの部分を割かれることになることにつながる。

どこまでも人に振り回され続けて、最後まで落ち着く事ができずに、中途半端になる。

だからこそ、激動で価値観が変わり続ける時代においてはしっかりとした根拠と価値観を持って地に足をつけ続ける事はとても重要な事。

ものごとに振り回されない分だけ、本当に自分が使いたいように時間を割く事が出来る。

結果として、そのような人の方がしっかりと人生を生きているということにつながるに違いない。



もちろん考え方に致命的な面を見つけたのならば、今までの考えややり方を手放すのも一つやり方。

ただ、出来るだけそうならないように、より確度の高い情報と知識でいかに自分自身を武装できるかどうか大切。

どのような物事に対してもあてはまる共通する考え方の枠組みをしっかりと持つこと、まずはその部分から固めていくのが良いのかもしれない。

それが出来れば、どのような出来事も枠に当てはめてシンプルに理解が出来るようになるかもしれない。

そしてそれが結果として急に起きたトラブル事例に対しても振り回される事なく、良い方向に向かわせてくれるようになるかもしれない。



ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?