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ブロガー界隈の緩慢な地獄記①-トチ狂ってフリーランスになった人たち

「ブロガー」という響きは、蠱惑的だった。

2016年、世は空前のブログブーム。その年に大学を卒業した僕は、「ブロガーとして食っていくぜ!」とワケの分からない抱負を掲げて、無職になった。

「個で生きていけるだけのインフラが整った時代に、わざわざ就職するなんてバカらしくない?」とイキり散らかして、肥大しきった自意識に振り回される。

肥大していたのは自意識だけで、売上は痩せ細っていた。初月の売上は4万円ぐらいだったように思う。限りなく無職である。自称フリーランスの半分は、「個人事業主開業届を出しただけの無職」と言い換えても構わない。

売上は4万円しかないくせに、月額3980円のブロガー向けオンラインサロンに入った。「ブログカレッジ」という、権威付けのために「大学」を関する類のオンラインサロンだ。今の僕が最も毛嫌いする類の集団に、あの頃の僕は当事者として参加していた。

ある意味では、被害者と言えるかもしれない。軽薄なブログブームに踊らされ、「自己実現しながら理想的なライフスタイルで生きよう!」なんて空虚な言説を真に受けてしまった。慶應でコンピュータサイエンスをやった新卒カードを、これ以上ない形でムダにしてしまった。

かといって、被害者面をする気はない。虚無の言説を虚無だと見抜けなかった僕に問題がある。自分の人生は自分で舵を取らねばならない。誰かのデマに惑わされて進路を誤ったなら、それは船長が愚かなのだ。


「ブロガーとして食っていく」は、幻想だったと言わざるを得ない。当時ブロガー界隈で目立っていた人間は、もうほとんど生き残っていない。マトモな職に着くか、詐欺師になるか、失踪するか。進路が3パターンくらいしかない。田舎の専門学校みたいだ。

当時ブロガー界隈にいた僕たちは、ひどく軽薄なブームの中で、もがき苦しみながら、馴れ合い喜びながら、緩慢な地獄を謳歌していた。

ブログで上手くいっている人はほとんどおらず、将来の見通しを誰も提出できず、でも大言壮語を繰り広げる飲み会だけは頻繁に行なわれていた。虚無の人たちが虚空に集まり、大挙して太虚に遊ぶ。

当時のブロガーコミュニティは、経済性も創造性もなかったけれど、孤独を癒やし自意識を慰めるコミュニティとしては一級品の価値があった。「オレ今こんなブログ書いてるんだよね」「こんな企画始めようと思ってるんだよね」と誇らしげに語る時、みんな楽しそうだった。「クリエイター仲間とクリエイターをやっているオレ」をやることは、何にも代えがたい喜びだったのだろう。ごっこ遊びは楽しい。いくつになっても。

ブログで食えてる人間がほとんどいないのに、あのコミュニティが存続していた理由はそこにある。何かを生み出すための場所ではなく、臆病な自尊心と尊大な羞恥心を抱えた虎のためのコミュニティとして、価値を持ち続けたのだ。


ブロガー界隈は暴力的なまでに歪な集団だったので、暴力的なまでに大量の事件が起きた。それは金銭トラブルだったり、痴情のもつれだったり、単なる不仲や派閥闘争だったりした。

にもかかわらず、誰もまとまった記録として書き残していない。当然だ。ブロガー界隈にマトモな物書きはいなかったし、もはや誰も生き残っていないのだから。

だけど、書き残されずに終わっていいはずがない。

特殊な界隈で起こった特殊な事象には、価値がある。後進が人間を研究するために、資料として残しておかなければならない。スタンフォード監獄実験の記録と同じように、ブロガー地獄実験の記録も残しておかなければならないのだ。

この仕事ができるとしたら、僕しかいない。当時ブロガー界隈に出入りしていた人間で、文筆の世界でマトモに生き残ったのは僕だけだから。

だから、これから何本かにわたって書いていく。僕が見た3年ほどの期間のブロガー界隈について。誰もが狂奔していたあの時代の、あまりにもくだらない緩慢な地獄の、愚かな人間たちの数々の事件簿を。


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それでは見ていこう。まずは僕がブロガー界隈に入る前史から。そのためには、あのカリスマについて語らざるを得ない。


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