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スペインのミニ手帳もしくはトリビア

スペインのミニ手帳もしくはトリビア

国立近代美術館「ガウディとサグラダファミリア展」(2023年6月13日~9月10日)を観てきた。なかなかいい展覧会であった。そこで今回は、いつかは行きたいと思っているスペインを取上げる。スペインに詳しい方、スペイン旅行に行かれた方には釈迦に説法である事柄があるのは承知している。

1.スペインの言語
他にもあるかもしれえないが、スペインには①カスティーリャ語、②カタルーニャ語、③ガリシア語、④バスク語がある。一般にスペイン語と言っているのは①カスティーリャ語である(日本でカステラ(ポルトガル語)の語源として有名)。

<カタルーニャ州>
州都のバルセロナは日本でもお馴染み。経緯は非常に複雑なので省略するが、ずっとスペインからの独立、或いは自治権獲得運動があることでも知られる。ここは有名な芸術家を輩出している。ゴヤ、ピカソ、ダリ、ミロの他、ガウディ、カザルス(チェロの大家)など。

<バスク州>
バスク語は孤立語(どの語族に属さない)でインド・ヨーロッパ語族ではない。日本では美食の宝庫として最近人気。バスクは独立したいという意向が非常に強く、嘗ては過激派セタのテロ活動がよくニュースになった。最大の都市ビルバオは、往年の地理の教化書で鉄工業都市(鉄鉱山、製鉄所の街)として紹介されていた。尚、バスク語ではビルバオではなくビルボである。

バスクで有名なのはピカソの「ゲルニカ」あろう。フランコ将軍を支援したナチスドイツが新開発の軍用機試用のためバスクを爆撃したものを描いた。因みにフランシスコ・ザビエルもバスク出身である。

<ガリシア州>
聖地巡礼でお馴染みのサンティアゴ・デ・コンポステーラがあるところ。

<オマケ:サンタンデール>
バスク州の西隣りのカンタブリア州の州都。人口は20万に満たないよう乍ら何故かここにスペイン最大で欧州でトップクラスのサンタンデール銀行本部がある。偶々、私が銀行員でリサーチャーもやっていたので知っていだけ。一般の人には馴染みが薄いであろう。

日本語の地図は岩根圀和(2002)『物語スペインの歴史』中公新書より
スペイン語の地図はWikipedia「スペインの行政区画より」

2.イベリアの由来
スペインとポルトガルがある欧州大陸西端をイベリア半島と呼ぶのは周知のとおり。イベリア航空もある。イベリアというのはこの地に住む住民をイベリスとギリシア人が呼んだことによるとされる。
ジョージア(旧グルジア)の歴史の講座で、古代のカフカス=コーカサスにイベリア王国というのがあったことを知り関係があるか調べたが不明。カフカスからイベリア半島に移住した人々が作ったのがバスクという説もある。私は眉唾だと思う(バスクは北部である。ギリシア人が接した南部のはずだから)。

3.ゲルマン民族占領前の古代イベリア
アルタミラの洞窟・壁画があったようクロマニヨン人がいた。その後、南、東から来たイベリア人、フェニキア人、ピレネー山脈を超えてきたケルト人が共存していた模様。イベリア人とケルト人が混交してケルティベリア人、ケルティベリア文化ともいわれる。

古代ローマと戦ったフェニキア人の国カルタゴはイベリア半島の一部も支配しており、名将ハンニバルが象を連れてイベリア半島を経由してアルプスを越えローマに攻め入ったことは有名な話である。カルタゴがイベリア半島に造った都市はローマ帝国に征服されて以降、カルタゴ・ノウァ(新しいカルタゴ)と名付けられた。今のカルタヘナである

カルタゴ滅亡後、ローマの属州(実際は複数州から成る)としてヒスパニアと呼ばれたのは塩野七生『ローマ人の物語』等でよく出てくる。ヒスパニアの語源はフェニキア語かギリシア語のイスパンから来ている模様(「兎の島」という意味?)。スペインの「スペイン語」での呼称はヒスパニアが転じたエスパーニャである(スペインは英語である)。

4.ゲルマン民族の進出
ゲルマン民族の大移動でイベリア半島にヴァンダル族、スエビ族、アラン族が進出してくるが、ヴァンダル族が最大の勢力。その後、西ゴート族が統一して王国を建てた。最初は異端キリスト教のアリウス派だったがカトリックの王国となる。西ゴート王国の首都はトレド。キリスト教(カトリック教)による国土回復運動=レコンキスタはイスラム教徒から西ゴート王国の領土を取り戻すことを標榜していた

西ゴート王国がイスラム国家のウマイア朝(首都はシリアのダマスクス)に征服された際に、イベリア半島の大半は「アル・アンダルス」と呼ばれた。これは「ヴァンダル人の土地」という意味ある。この名残の地名がアンダルシア州である。
<フラメンコ>
フラメンコは本来、アンダルシア地方の芸能とされる。アンダルシアに住み着いたジプシー=ロマ人が初めたとか。一方でインドに由来するという説もある。フラメンコの語源は多数の説があり定説無し。

5. 変な飛び地(ジブラルタルとセウタ)
「1.スペイン語の言語」に付けている地図参照

【ジブラルタル】
ヘラクレスの柱、地中海~大西洋の出入口である、イベリア半島南端のジブラルタルが英国領であることはご存じの方が多いだろう。これは、ハプスブルク家→ブルボン家に王朝交代する時の「スペイン継承戦争」で英国に割譲されたものがそのまま継続しているもの。スペインは返還を要求しているが英国は応じず、現在も続いているものとしては記録上、最も古い領土問題とされている。

ジブラルタルの地名はアフリカからイスラムが西ゴート王国に攻め込んだ時のウマイア朝の将軍ターリックに因んでいる。ジャバル・アル・ターリック(ターリックの岩)が変化したもの。

【北アフリカのセウタ】
一方、スペインもアフリカ北岸、モロッコの土地が妥当な地域に領土(制度上は自治州)を持っている。セウタである(他にメリリャもある)。ここはポルトガル王国で著名なエンリケ航海王子が1415年にイスラム勢から奪取しポルトガル王国領となった。その後、1668年のリスボン条約でポルトガルの独立が再び認められた際、セウタはポルトガルからスペインに割譲された。
<ポルトガル併合と独立>
ポルトガルは1580年スペインに併合(形式は同君連合)され1668年に再度独立した。

6.イスラム建築はスペインの華
ハプスブルク朝フェリペⅡ世が建てたエル・エスコリアル修道はスペインで「見るべき」建築物と言われている(アル・ハンブラ宮殿と共に世界遺産。フェリペⅡ世の夏の離宮でもあった)。  これ以外で称賛されているのは、イスラム・アラビア様式の建築物であろう。細かいことを捨象すれば、イベリア半島のイスラム国の歴史は以下のとおり。
①ウマイア朝(首都はシリアのダマスクス)による征服
②後ウマイア朝(首都はコルドバ)
・・コルドバ・アミール国、コルドバ・カリフ国ともいう
③ムラービト朝、ムワッヒド朝(首都はモロッコのマラケシュ)
・・北アフリカのマグリブ地方のベルベル人(ムーア人)の国が進出
④ナスール朝グラナダ王国(首都はグラナダ)  
・・最後に残ったイスラム国

有名なグラナダのアル・ハンブラ宮殿の名は、アル・カルア・アルハムラ(赤い城、英語ならThe red castleか)から来ている。ハプスブルク朝初代のカルロスⅠ世(神聖ローマ帝国カール5世)がキリスト教向けに一部を改修したが、後に「世界にまたとないものを世界のどこにでもあるもので変えてしまった」と後悔したという逸話もある

ところで、スペインは、トレド、セビーリャ、サラゴーサ、コルドバ、バルセロナなどの古代からの都市がきら星の如く残り観光地であるけれど、マドリッドが栄えたのはハプスブルク朝第2代フェリペⅡ世が首都に定めてからで、それほど長い歴史を持っているとは言えない。
<フェリペⅡ世>
無敵艦隊の対英国海戦の敗北で損をしている。実際は名君と言われている。「慎重王」と言われ、何事も慎重、且つ、殆ど王宮から出なかったそうだ。フィリピンの国名の由来であることはよく知られている。マニラもこの王の時に建設された。日本では宣教師、修道士、日本人使途の処刑、秀吉のキリスト教禁教令の元になったサン・フェリペ号事件でも関係がある。

7.最後に簡単なトリビア
長くなったので簡単なものを幾つか
(1)スペイン国歌には歌詞がない(1997年制定)
(2)パエリアはバレンシア料理。バレンシア語で「フライパン」という意味
(3)イベリコ豚は「イベリアの豚」という意味
(4)スペインのワインでは「リオハ」がお薦めのようだ。スペイン語地図のLa Rioja州。
(5)シエスタで実際に昼寝をする人は20%位らしい。但し、猛暑の夏は昼寝率が上がる。


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