四季「ウィキッド」東京公演 真瀬グリンダの破壊力
日本では10年ぶりのウィキッドである。最後に東京で観たのが2013年。
その後2016年にブロードウェイで観ており、最初に観たのも2006年のニューヨークだった。
この7年ほどの間に数えきれないほど味わった作品。こんな若気のイタリーな写真が残っているほど。
そういえば2012年の年末にはバックステージツアーにも参加した。楽しかったなア。
そこまで大好きなウィキッドを長いことオアズケにされていたわけで、今回の東京公演に胸が躍らないわけがない。なのにわずか3カ月ほどの公演。激しいチケット争奪戦を経て、なんとか1公演だけ参加してきた。
この日のキャスト。
さて、心ズキズキワクワクで幕を開けた10年ぶりの東京ウィキッドはどうだったか。
最も印象に残ったのは、真瀬はるかのグリンダである。この人、宝塚を退団して活動の後に四季に参加した、ということは知っていたが、ほぼ初見。大劇場で観た2011年の花組「ファントム」(蘭寿とむ)に小さい役で出演していたはずだが、さすがにそこまで宝塚に詳しくなく、記憶に残っていない。
自分はもともとグリンダガチ勢なので、どうしてもまずグリンダに目が行ってしまうわけだが、その贔屓目を除外して考えても、このグリンダの圧倒的な破壊力は特筆に値する。
何というか、演技が大きい。クドいと言ってもいい。そして容赦なく観客を笑わせてくる。苫田亜沙子の関西系グリンダを彷彿とさせるが、苫田亜沙子がセクシーダイナマイトなナイスバディだったのに対し、真瀬はるかはすらりと伸びた手足が目をひくまぶしさだ。そして時折見せる、宝塚仕込みのシュッとした身のこなしが隠し味になっている。
このグリンダは、クセになる。いつの間にか視線がグリンダを追ってしまう。いやいや舞台全体を見渡そうじゃないか、と思ったところで、フィエロじゃないが「そんなの無理だよ・・・」と言いたくなる。
真瀬グリンダはネット上でもかなりの評判を呼んでいるが、面白いことにその性格やキャラクターについての解釈はだいぶ幅があるようだ。このあたりも話題になる要素かもしれない。なのでこれは自分なりの見方に過ぎないのだが、このグリンダがどういうグリンダかというと。
日本のグリンダ史上、最バカのグリンダである(褒めてる)。
だいたいどのグリンダも、二幕になると少し落ち着いて小賢しくなるのだが、真瀬グリンダは二幕に入ってもずっと馬鹿である。それは同時に過剰なまでのピュアさを感じさせる。だから彼女の感じる孤独、悲しみが痛いほど観客に突き刺さる。そしてその馬鹿なグリンダが、最後の最後に来て一気に覚醒する。その落差の大きさにまた心を奪われる。
ウーム、また観たい。大阪にも出て欲しい。
というわけでグリンダばっかり観てしまったが、他のキャストについてもちょっとだけ。
小林美沙希のエルファバも当然ながら初見。2019年に研究所入所というから大抜擢だが、突き抜けた力強いボーカルはまさにエルファバにふさわしい。印象としては真面目ないい子の長女エルフィー、という雰囲気で、グリンダとは真逆の方向性ながらやはりピュアな側面を感じさせる。なので真瀬グリンダとの相性がぴったりで、この2人の友情が薄汚れたオズの世界で悲しいまでの尊さを発揮している。
そしてお久しぶりの飯野おさみオズ陛下。抜群の安定感で、いいやつか悪いやつか分からない不安定な役を演じる。安定の不安定さ、という存在がウィキッドという作品のテーマにも通底する。しかし御年77であの歌、あのステップ、あの艶のあるセリフ回し。本当に頭が下がる。
それにしても、ウィキッドという作品は決して明るく単純な話ではなく、出てくる人物もみなどこか屈折している。それなのに観終わってとても元気になる不思議な作品だ。そういうところもまた、この作品が人を惹きつけてやまない理由なのだろう。
四季『ウィキッド』のウェブサイト
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?