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最初の授業は「ゆで卵」だった

料理教室に通ったことがある。別に料理が特別好きなわけじゃないし、女性にもてたかったわけでもない。女房との賭けに負けたのだ。

なぜそういう話になったのか、記憶は曖昧である。何年か前のドラマの主演俳優は吉田栄作だったか唐沢寿明だったかという実にどうでもいいことで意見が分かれ、互いに主張を曲げなかったので、「調べて違っていたほうは相手の言うことをきく」となった(ような気がする)。それで、僕が負けて女房のオーダーは「料理教室の半年コースに行け」だった。恨むぞ栄作。

今はオリックス劇場と名を変えている、かつての大阪厚生年金ホール。その1階の隅に料理教室があった。会議室を流用しているとかでなく、専門学校で使うような調理台のあるちゃんとした教室だった。そこに通った。主催しているのは、もう名前は忘れてしまったがちゃんとした料理教室だった。

最初の授業は「ゆで卵」だった。と言えば、超初心者のクラスであることが分かってもらえるだろう。生徒は20人くらいだったか。想像どおりほとんど女性だった。こういう環境に僕は強い。高校時代の美術部も女の子ばかりだったし、職場も事務系だったので女性が半数以上だったからだ。

ここに、男は僕ともう一人いた。東京03の角田晃広みたいな男で、授業が始まるや頭にバンダナを巻き「俺はデキるぜ」感をアピールしていた(見た目も何となく似ていた)。料理ができるならこんなところに来るな。僕は持参したエプロンを付けた。女房がアルバイト先のお好み焼き屋から失敬してきた店名がプリントされたエプロンだ。ちょっとしたウケ狙いである。

授業では、その日の出席者が適当に4~5人の班に分けられて一緒に料理を作る。班の中での役割分担は自由なので、一人でたくさん仕事をする生徒がいれば、自信がないのか皿洗いばかりしている女の子もいた。僕は払ったお金の元は取りたい性格なので積極的に動いた。そんなわけで、卒業の頃にはそれなりに料理もできるようになっていた。

卒業して「なんで料理学校だったのよ?」と女房に聞くと、「私は体が弱いから早く死ぬ。だからアンタは一人で生きていくスキルを身に付けておかなあかんやろ」と言われた。罰ゲームではなく教育だった。
「うちで私が料理を教えてもいいけど、それでは甘えが出るから絶対身に付かへん。教室に通ったら、アンタの性格からして授業料の元を取ろうとするやろ。そのほうが確実やん」。ぐぬぬ、その通りだ。

その後、女房とまだ死別はしていないが、多少でも料理ができることがその後の人生で地味に役に立っている。今、昼ご飯の支度でキャベツを洗いながら、自分の中に生きている女房の何かを感じている。


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