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姉弟喧嘩の顛末

姉弟の仲が悪いと言っても、裁判まで起こして法廷で罵り合うというのはなかなかないと思う。

数年前、姉の代理人と名乗る弁護士から連絡があった。父の死後、母が死んで遺産を相続するにあたり、僕には相続する権利がないと言う。なぜなら僕は母親に心配をかけ通しで、まったく世話もせず、母親に散々嫌われていたからだと。何だそれ?母親とは仲良くしていたぞ。それと、この国の法律では故人に嫌われていたら相続の権利を失うのだろうか。

言いたいことは山ほどあったが、弁護士が出てきたら姉と直接話はできない。仕方なく揉め事は法廷に持ち込まれ、そこで僕は多分に脚色された自分の親不孝エピソードをさんざん聞かされる。姉の意図は、僕の人間性を貶めて遺産の取り分を多くしようということかと思ったが、裁判が進むにつれ、そうでないような気がしてきた。なんだかんだと僕の行状にケチをつけるが、姉の主張は結局、ひたすら自分のほうが母親に愛されていたと言っているだけだったからだ。それを公の場で明らかにして記録に残してやる。そう言ってはいないが、そう聞こえた。

驚いた。それまで、正月など実家で姉と会えばけっこう和気あいあいとやっていたからだ。大人になってからケンカをした記憶もない。なのに笑顔の裏でそこまで僕を憎んでいたとは。たしかに母の日など、僕が母にプレゼントを贈ると、張り合うようにワンランク上のプレゼントを贈ったりしていたが。いったい母に対して姉はどんな思いを持っていたのだろう。それを聞く機会は、おそらくもうない。

一年半の時間と多大な費用をかけて、意味の分からない訴訟は和解した。(弁護士に「ワケ分かんないでしょう?」と聞いたら、「民事はそういうのばかりです」と言ってくれた)。僕の相続は認められ(当り前だ)たが、実家は姉のものになり、僕は足を踏み入れることができなくなった。後日、実家に置いてあった僕の私物の10分の1ほどが僕の弁護士の事務所に送られてきた。僕は故郷を失った。

和解条件を記した書類にサインした後、弁護士と一緒に裁判所の小部屋を出る後ろ姿が、今のところ姉を見た最後である。