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苗字と革靴

妻の苗字で暮らした時期がある。結婚して、僕が苗字を変えたわけだ。
「暮らした」と過去形にしているので、もうその婚姻関係が終わっていることは分かってもらえるだろう。ちなみに、養子ではない。養子でもないのに夫が妻の苗字を選択するというのは、なかなかレアではないか。そこで、男が苗字を変えるというのは実際のところどんな心理なのか、忘れないうちに書いておこうと思う。

妻の苗字を選ぶことに決めたのは、入籍する前日だった。婚姻届を前に、妻になる女性にこんなことを言われたのだ。
「男はいいよね。なんで結婚って女が苗字を変えないといけないんだろう」
「絶対に男の苗字を取らないといけないわけではないけどね」
「じゃあ、あなたが私の苗字になってくれる?」
彼女は本気で言ったのではなかっただろう。でも2、3秒考えて僕は「いいよ」と答えた。「ほんとに?」と彼女が目を丸くした。

深い理由などなく、言ってみれば「はずみ」である。あえて理由を探すとすれば、人がやらないことをやってみたかった。それと、当時の僕はいくつかゴタゴタを抱えていて、少々やけっぱちな気持ちになっていた。そして、これは大事なことだが、彼女の苗字がカッコよかった。どれも軽薄だが、三つ目が理由としては一番大きかったと思う。こんな理由で実家の苗字を捨てて、ご先祖様に叱られるだろうか。

諸々の手続きを経て妻の苗字になった僕だが、勤務先では「旧姓」を使うことにした。名刺も今まで通り。なので、仕事に関しては何の変化もなかった。が、僕が二十数年間名乗ってきた苗字ではない健康保険証を受け取ったときは、さすがに胸がざわついた。「もうこれまでの自分はいなくなった」宣告のように感じたからだ。もしかしたらえらいことをしてしまったのではないかと、その日一日だけ、苗字を変えたことを後悔した。

苗字が変わる。人それぞれだと思うが、そのとき僕は、オーバーに言えば自分の人生が初期化されてしまったような気持ちになった。結婚して苗字が変わった(おもに)女性の皆さん、そんなことはなかったですか?
過去を捨てて、新しい人生を生きようという人ならば嬉しいかもしれない。そうではない僕は、これまでの苗字を名乗っていない自分に、ひたすら心細さを覚えた。そう、このときの元の苗字に対する喪失感は「故郷を失った」に近いのではないかと思う。

とはいえ、人は慣れる。違和感を持ち続けることのほうが難しい。入籍して一ヵ月もたてば、僕は生まれてこのかたずっと妻の苗字で生きてきたような感覚になっていた。
「それって、新しいPCとかメガネがなじむようなもの?」
妻に聞かれた。PCやメガネを新調すると、最初の数日はギクシャクするものの、ある日を境に抵抗感がなくなって自分と一体化したようになる。妻め、なかなかうまいことを言うじゃないかと思ったが、「うん」と答えかけて言葉を飲み込んだ。もっとしっくりくる喩えがあると思ったのだ。

何だろう。そうだ、感覚的なものなので共感してもらえるかどうか分からないが、革靴のほうが近いのではないか。PCやメガネは変わらない。あくまで人間が機器に自分の体を適応させる。けれども革靴は、最初は硬くてかかとやつま先が痛いものの、人間の動きに合わせて柔らかくなり、いつしかフィットする。人も靴も互いに受け入れ合って、時間をかけて一体化していくわけで、苗字もそういう感じではないかと僕は説明した。

「だったらなおさらPCやメガネじゃん。苗字は変わらないんだよ」と妻。
「だから感覚的なものって言ったのさ。もちろん僕が君の苗字になじんでいってるんだけど、君の苗字もまた、少しずつ僕を受け入れてくれているような気がしてる」
「名前なんて記号じゃないの?」
「記号なもんか、生き物だよ」
半分あきれたような顔をしながら、妻が目の前で微笑んでいる。
「ふふ、よく分かんない。でも、私の苗字を選んでくれてありがとね」
「いえいえ、楽しませてもらってます」

冒頭に記したように、最終的に僕たちは婚姻関係を解消した。それなりに理由はあるが、苗字は一切関係ない。別れて僕は元の苗字に戻り(また手続きが面倒だった)、次の相手には僕の苗字を選んでもらった。「元妻」も次は相手の苗字に変えたが、英語の名前だったので驚いた。

再婚を知らせる彼女のメールに「お互い、何やってるんだろうね」と書いてあって、僕は「まったく」と返信した。それで終わりと思ったら返信の返信が来て、ただ一行「追伸 革靴理論、理解できました」とあった。
思わず笑った。

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