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友だちのために泣いたことはあるかい?

一回り以上年も離れているし、僕と彼は世間的に見れば「上司と部下」だ。
小さな広告会社ではあるが、いちおう僕はリーダーという役割を拝命しているし、実務的に彼にWeb広告のイロハを教えたのも僕だ。
僕が彼を一人前にしたという自負はある。

彼はひとことで言うと「困った奴」だ。
入社一日目から驚かされたのが、席に着いている間じゅうの貧乏揺すり。オーバーでなく、一日じゅう体が揺れている。「よく疲れないね」と呆れると「これでも卓球でインターハイに出たんすよ」と、嫌味が通じない。

「すごいね」と言われたら「そうでしょう」とドヤ顔。褒められて謙遜するということを知らない。おだてればいくらでも木に登る。気になることがあったら、忙しくてもそれを片付けないと次に進めない。

このあたりで、ライトに発達障害の僕はしっかり感じ取っていた。
「同類が来たな」と。

彼をお客に会わせるのも最初は迷った。
三十路を過ぎて服装があまりにだらしない。ハンガーに掛けないからスーツの上着はしわくちゃ、ときどきズボンの上からワイシャツがはみ出している。靴なんか磨いたこともないのだろう。ホコリまみれですすけているうえに、踵の下の空洞部分に小石が入り込んだのか、歩くとカラコロ音がする。幼児用の靴か。

そんな彼だが、会社には営業として雇われている。なので、お客に会わせないわけにはいかない。いちおうまともな会社でビジネスマナーを学んだ僕は、下唇を噛む思いで彼をお客に紹介した。取引停止とか言われないだろうか。そう心配していたはずなのに、なぜかお客と彼の話は弾んで、しばらくして広告予算は倍増した。人は見た目が9割とか言ったやつ出てこい!

彼には不思議な「愛され力」があった。もっとも「合わない」お客にはしっかり嫌われたので(僕はこっそりほっとした)、彼が担当できるお客は少なかった。でも、少ないお客からの売上を順調に伸ばした。
傾向としては、技術系の人とはウマが合ったようだ。エンジニアには彼のようなタイプは多そうなので分かる気がする。

そうこうしているうちに7年が過ぎた。
僕と彼はいいコンビになっていた。態度や身なりはさておき、もはや彼の仕事のスキルは僕を軽く抜き去り、業界レベルでもそこそこのところにいる。過去に在籍した会社では散々周囲をイラつかせた彼だが、僕は同類なので扱い方を知っている。常識人の感覚で「噛み合わない」会話に腹を立てず、とりあえずおだてればいい。

しかし、彼もうちの会社が窮屈になってきたようだ。
そのことに気づいていた僕は、会社帰りに彼をサシ飲みに誘った。
「今のキミなら、たいていの同業社の面接を受けたら受かる。でも、たいていの会社で入社後に苦労するだろうな」。
なぜなら、よその会社には僕がいないのだから。彼もそのことは理解していたと見える。
「もう就職はしません。自分でやろうと思って」
聞くと、友だちと事業を始めると言う。
「一緒にどうですか?」と誘われたが遠慮した。僕がいたのではきっと甘えが出る。物語の第二章は、主人公以外はまったく違うキャスティングのほうが好ましい。

祝杯をあげた。なあに、キミの「愛され力」をもってすれば何とかなる。独立すれば苦労はするだろうけど、思い通りにいかなくて自信をなくすことがあったら、電話してこいよ。キミをおだてて機嫌よくさせるのは僕の特技だから、とっておきのおだて文句を披露してやる。
それでも足りなかったらすぐ行くから呼んでくれ。
地球の裏側にいたって飛んでくぜ。

僕が「成長したな」と褒めると「こんなに長く一つの会社に勤めたのは初めてです。いい上司に恵まれました」ときた。
おいおい、いつの間にか謙遜できるようになっているじゃないか。
鼻の奥がツンとした。

でもちょっと待て、上司って何だ。
僕は友だちのつもりだったのに。
酔っぱらってろれつが回らない。
その上、嬉しいのか悲しいのか分からない涙があふれてきて参った。
キミは友だちのために泣いたことはあるか?
意外に悪くないぞ。


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