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「100 YEARS TRAIN」に想いを馳せてたら、馳せこじらせて関西から相鉄線に乗りに行ってしまった話

相鉄・JR直通線の開業に阪神なんば線の開業が重なって見えた。

11月30日に開業した相鉄・JR直通線。

ただの地元の電車が都内に進出するという夢みたいな話だったのが、開業に向けて駅や電車がネイビーブルーを纏い、新しい電車も入ってどんどん垢抜けていく。

ドラスティックな変化が「実現に向けて動いているんだ」と実感をもたらしてくれるから、相鉄沿線の人たちもワクワクしてたんじゃないかなと。

僕は関西に住んでいて阪神沿線育ちだけど、2009年に阪神なんば線ができた時が同じ感じだった。

その当時沿線には住んでなかったものの、駅表記の文字が小洒落たフォントに変わり、新しい電車が入った。

▼小洒落た「ロゴG」のフォントになった阪神西宮駅の案内板

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▼阪神なんば線開通時に導入された1000系車両

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大阪の2大繁華街である梅田となんばの両方をカバーして、なおかつ奈良まで直通、1度の乗り換えで名古屋へも行けちゃう。

そりゃワクワクもするし、誇らしくもなりますよ。

だいたい阪神沿線は下町で、阪急やJRよりも格下に見られがちだったので、「梅田となんば、両方押さえてるんやぞ!」という優越感を感じられたところは「横浜だけど横浜じゃない」みたいなことを言われていた相鉄沿線とどことなく似ている気がしました。

阪神なんば線は構想から長い期間、延伸部分の反対運動などを乗り越えてようやく開通しており、阪神九条駅のNTTビルにある出入り口は作られて40年経って日の目を見ることになり、そのことを「ようやく会えましたね」というさりげない案内書きがされてたりするのを見ると、グッとくるものがあります。

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 この出入り口は 昭和43年に竣工した当ビル(旧電電公社ビル)の一角に設けられました
 40年余りの歳月を経て この度 阪神なんば線の開通により「交流の出入り口」としてようやく皆様に出会えました
 当時の面影を残す白いタイルは この記憶の継承と皆様の安全で快適な旅を見守る役目を果たし続けていきます
                             平成21年3月

そこを大きくプロモーションすることはせず、順当に当時タイガースの監督であった真弓監督に「新戦力」と言わしめたところに阪神らしさがあるわけで、そこで「やっぱりな…」と思わせるところもこれまさに阪神らしさ、ひいてはタイガースらしさやなぁと思えるのは自然の摂理なんでしょうか。。
(別バージョンのCMもありましたが)

都心直通記念ムービー「100 YEARS TRAIN」が素晴らしすぎて、9年ぶりに相鉄に乗る

「10年ひと昔」と言うくらいなので、時代が変わったのかもしれないですけれど、相鉄が開業記念に作ったムービー「100 YEARS TRAIN」には本当心揺さぶられました。

もちろんくるりもサカナクションも好きってこともあるけど、それ差っ引いても相鉄の心意気…いや想いとか願いなんですかね?いろんなものがこれでもかと伝わってきました。

「100 YEARS TRAIN」をヘビロテで見た後に、相鉄(正式名称相模鉄道)の歴史を紐解いてみたところ、もともと今のJR相模線を作った会社だったのに、戦時中にその相模線が国に持っていかれる。

残った現在の本線部分の乗客が急増するも相鉄だけでは対応できず、鉄道事業の一切を東急に委託。

東急から独立したものの横浜駅西口の土地を買収したことから目をつけられ、東急から小田急経由で再買収かけられそうになったり、その後も小田急から経営に干渉されたりと紆余曲折を乗り越えてきたんですね。

相模線を奪った旧国鉄を引き継いだJRと間に何も介さずにダイレクトにつながること、これらの歴史を知った上で相鉄が「100 YEARS TRAIN」という名前でつくったあのムービーをあらためて見るともう胸熱以外の言葉が見つからず、乗らずにおれなくなってしまったのです。

準大手私鉄だったとは思えない横浜駅自動改札の圧巻さ

相鉄は準大手私鉄と言われてましたが、今や大手私鉄の一社。

海老名から大和、二俣川で湘南台・いずみ中央方面からの乗客を集めて8両から10両の列車が横浜駅に到着。

大量の乗客を捌くのに設けられた自動改札の数がすごい。

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今後、相鉄・JR直通線や2022年開業予定の相鉄・東急直通線が開業すると減っちゃうんでしょうね。

ちなみに改札機にもしっかり「100 YEARS TRAIN」の案内が。

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個人的にはネイビーブルー前の9000系が好き

相鉄線は今新しい電車を中心にネイビーブルーに統一されつつあり、これはこれでカッコよくて全然いいんですが、昔からある電車は前の色のほうが好きだったりします。

僕が相鉄で好きなのは、9000系で関西とはまた違う四角い中に丸さがあるデザインが好みでした。 

▼リニューアル前の9000系(9年前に撮影)

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新しいのは、ライトの位置も変わっちゃってちょっとさびしくなっちゃってます。 

▼リニューアル後の9000系

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たまたま9年前に乗ったのと同じ車両が、横浜駅で特急として待っていてくれるとか何の因果なんですかね…。こいつはこの色で残って欲しい。

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山側、海側の親近感

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西宮から神戸あたりに住んでいる人は方角を示すのに北とか南を使いません。山側と海側(浜側)と呼ぶことが多く、元町にある百貨店大丸の店内にもその案内がかかっています。

横浜駅で特急に乗り、運転席のモニターを見ていると、ドア開閉を示す表示機に「山側」「海側」の表示があって妙に親近感を覚えました。

相鉄沿線の人は方角を山と海で判別してるんだろうか?

乗ってみると阪急宝塚線ぽさがある相鉄本線

相鉄・JR直通線の開業で運行ダイヤは大きく変わったものの、もともと特急がなく急行がメインであったこと。
カーブが多くて速度があまり出せないこと。
キロ数がほぼ同じ。
これらの理由から阪急宝塚線っぽいなと思いました。(相鉄本線24.6km、阪急宝塚線24.5km)

大和から海老名の間のアップダウンを行く感じも、雲雀丘花屋敷から宝塚の間の感じと似ている感じがしました。 

▼さがみ野駅すぐのカーブしながらの踏切。阪急宝塚線の売布神社とか清荒神あたりっぽい感じ

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線路脇のすすき

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関東の路線で他にもあるかもしれないんですが、線路脇にすすきがいっぱいあったのがすごく印象的でした。 

関西では線路際にすすきが生えてるのを見た記憶がない。
時間があれば、沿線で降りてすすきと相鉄線の電車絡めたいい写真が撮れそうだなと思いました。

相鉄・JR直通線を甘く見てた

横浜から特急で海老名まで行って、一旦出てから折り返して直通線に行こうとしてたのですが、次の列車が30分後…。

甘く見てました…。おかげで羽沢横浜国大駅はただ通過するだけに…。
また来よう。

三味線と小唄が聞こえるホーム

海老名での待ち時間があまりに長過ぎるので、直通線の列車を待たずに横浜行きの特急に乗って西谷まで行き、先頭車両あたりで列車を待っていると三味線と小唄が聞こえてきました。

ホームの向かいに民謡教室があるようで、そこから聞こえてくる三味線と小唄と「100 YEARS TRAIN」の相鉄。 

いろんなものがリンクして不思議な感じがしました。

羽沢横浜国大駅からワープして武蔵小杉で現実世界に戻る

羽沢横浜国大駅からJRの東海道貨物線に入り長いトンネルを抜けて、鶴見駅あたりで外に。

相鉄からの直通電車で、京急と並走するとか不思議だし、貨物線上を小刻みに転線していきながら武蔵小杉に着くまではただただワープ感でした。

西谷駅で三味線と小唄を聞いて、長いトンネルを抜けてタワマンが建つ武蔵小杉へ。

まるでタイムスリップのような相鉄線の旅。みなさまもぜひ。

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