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没後12年、三浦和義氏―メディアが黙殺した弁護人の告発「検察はロス疑惑の真犯人を隠していた」

 10月11日。今日は、あのロス疑惑の三浦和義さんの命日である。三浦さんが米国で逮捕勾留中、自ら生命を絶ったのは2008年10月11日(米国時間では10月10日)だから、三浦さんが亡くなって今日で12年ということになる。

 そこで今日は、三浦さんに関する「ある重大証言」を紹介したいと思う。が、その前に、三浦さんがどういう人だったのか、ロス疑惑とはどういう事件だったのかを簡単に振り返っておきたい。

きっかけは週刊文春だった

 

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 三浦さんは、1984年に週刊文春の短期集中連載「疑惑の銃弾」(※上掲の誌面は、同誌1984年1月26日号に掲載された連載第1回目のもの)をきっかけに、日本全国のあらゆるメディアから保険金目的で妻・一美さんを殺害した疑惑を大々的に報道されるようになった。これが「ロス疑惑」と呼ばれるようになったのは、事件の現場がアメリカのロサンゼルスだっためである。

 その後、三浦さんは逮捕、起訴され、裁判でも一審では、一美さん殺害の容疑で有罪判決を受けたが、控訴審で逆転無罪判決を勝ち取り、2003年に最高裁で無罪が確定している。もっとも、メディア総出の洪水のような犯人視報道の影響もあり、今も世間では三浦さんのことをクロだと思い込んでいる人は少なくないのが実情だ。

 三浦さんは2008年2月にサイパンを旅行中、日本では無罪確定した一美さん殺害の容疑で米国捜査当局に逮捕された。この時、日本国内に同情したり、怒りの声をあげる人が少なかったのも、「三浦=クロ」という偏見が根強いせいだろう。

 米国捜査当局による三浦さんの逮捕は、日本の司法を軽んじるものにほかならなかったが、このことを批判的に報じたメディアも皆無だった。そして2008年10月11日、三浦さんが異国の地の獄中で自ら生命を絶つと、三浦さんが刑罰を免れるために自死したかのように伝えるメディアや報道関係者が散見された。

 だが、実際のところ、裁判では、三浦さんが冤罪であることは動かしがたく明らかになっていたのである。

 何しろ、検察は裁判において、三浦さんを有罪とする確たる証拠を何も示せなかった。そればかりか、裁判では、そもそも三浦さんには、妻の一美さんを殺害してまで保険金を手にしなければならない動機が何もなかったことが判明していたのだ。それは、大きな図書館の判例データベースで判決文を入手して一読すれば、容易にわかることである。

 また、三浦さんが逮捕される前、メディアでは、犯人が至近距離から一美さんの頭部を銃撃しているのに対し、三浦さんが足を撃たれただけの「軽傷」で済んでいるのは、「自作自演の事件」だったからであるようにまことしやかに報じられていた。しかし実際には、三浦さんは足の付け根、すなわち陰部のすぐ近くに、ホローポイント弾という殺傷力の高い銃弾を浴びていた。そのケガは重傷であるばかりか、一歩間違えば、自分の陰部が吹き飛んでいたかもしれない危険な状態で、およそ「自作自演」の犯行とは認めがたい撃たれ方だったのだ。

検察は「真犯人の目撃証人」から供述調書もとっていた

 そして実を言うと、この事件では、現場で「真犯人」を目撃した人物が存在したことも裁判で明らかになっている。検察は渡米し、その目撃証人に話を聞き、調書まで作成しておきながら、この証人の存在を隠していたのである。

 このことは、メディアがほとんど報じていないため、世間には知る人が少ない。しかし、冤罪や報道の問題にある程度関心がある人の間では、わりとよく知られた話である。

 ここで紹介する「ある重大な証言」とは、そのことについて、三浦さんの弁護人を務めていた「無罪請負人」こと弘中惇一郎弁護士が語った音声及びその書き起こしである。

 これは、三浦さんが2008年に米国で逮捕されたのをうけ、有識者たちが東京・水道橋で「三浦和義氏の逮捕に怒る緊急集会」を開き、米国捜査当局を批判すると共に「一事不再理」を訴える中、弘中弁護士が多数の報道陣の前で語ったものだ。

 どう考えても非常に重要な話なのだが、この弘中弁護士の話を報じたメディアは当時皆無だった。この弘中弁護士の話に触れれば、報道がいかにアテにならないものであるかということは、よくわかって頂けると思う。

 とくに、報道の情報をもとになんとなく三浦さんをクロだと思い込んでいる人には、これを機会に、ロス疑惑や三浦さんに関する報道が何も真実など伝えていないことに気づいて頂けたら幸いだ。 

 なお、ここからは余談だが、三浦さんは生前、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚が冤罪だと訴え、「林眞須美さんを支援する会」を立ち上げ、その会長として活動していた。ここに掲載した写真は2008年7月、南海和歌山市駅前で林死刑囚(当時は裁判中で、立場は被告人だった)の無実をマイクで訴えたり、チラシを配ったりしているところを撮影したものだ。

 この当時、林死刑囚は世間から「平成の毒婦」と呼ばれ、そのイメージは真っ黒で、林死刑囚の冤罪を疑うようなことを口にすれば、頭のおかしい人間だと思われるような状況だった。実際、三浦さんや一緒にチラシをまいていた支援者らは、通行人から罵声を浴びており、はたから見ていた私は「よくやっているな」と、ただ感心させられた。

 あれから10年余りの年月が流れ、林死刑囚の冤罪を疑う声もあちこちで聞かれるようになってきた。そんな中、三浦さんはこの林さんに関する活動も再評価されるべきだと私は思っている。

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弘中惇一郎弁護士の話

では、前置きが長くなった弘中弁護士の話の音声及び書き起こしを紹介しよう。

* * * 以下、書き起こし * * *

 弘中です。

 私は一事不再理とか、そういう話ではなくてですね、その前提として、そもそもロス疑惑事件で日米の捜査官がいかにダーティーだったか、汚い手を使ってきたかを少々お話させてもらいたいと思います。その問題を抜きにしては、この問題(※今回の三浦さんの逮捕)は考えられないと思うんですね。

検察は医師の調書も隠していた

(※話すべきことは)いっぱいあるんですけど、まず、殴打事件(※こちらは有罪が確定)でもこういうことがあったんです。殴打事件と言われてますけど(※一美さんは殴打されたのではなく、転倒して頭をケガした、というのが弁護側の主張)、問題のハンマー、凶器はついに見つからなかったんですね。出てこなかった。

 そこでですね、(※捜査機関が)どういうことをしたかというと、(※一美さんは転倒した)直後にFさんという医師の診察を受けてるんですが、そのカルテを証拠として検察は裁判所に出しまして、そのカルテの頭のところに三日月の絵が描いてあるんですが、「これはハンマーで叩いた時のハンマーの円弧にあたる、そういう時にできた傷だ」と、こういう主張をしてですね、一審の裁判所はこれが円弧状の傷だということで、有罪判決を下したんですよ。

 ところが、我々は一審が終わってからアメリカに行って、当の医師に会って話を聞いたらですね、その医師は一審に(※証人として)出てないんですが、「そうじゃない」と。「その三日月は、真っ直ぐの傷なんだ。真っ直ぐの傷なんだけど、傷口が開いていたので、傷口が開いていたことを自分の記憶に留めるために、三日月を描いた」と言うんです。「そんな丸い傷じゃなかった」とハッキリ言ってくれたんですね。これは宣誓供述書に録ってありますし、ビデオにも撮ってあります。

 当然のことながら、この医師はそういうことを(※捜査段階で日本の検察官にも)説明して、日本の検察官も調書に録っているんです。でも、そういう調書は無いんですよ。(※検察は)調書を隠して出さなかったんですね。

 で、(※検察は)そういう調書を隠してですね、(※三日月の)絵だけ出して、「これは半円状の傷である」と。(※検察が)そうやって、有罪判決をとったのが殴打事件なんです。他にも、Y(※殴打事件の実行犯とされる元女優)証言とかあって、有罪になりましたけどね。(※検察は)こういう汚い手をやったわけです。

「真犯人の目撃証人」の出廷を妨害したロス市警

 もう1つ。銃撃事件なんですけどね、よく水道局の目撃者(※がいた)ということが言われてますけどね、そんなんじゃなくて、もっと直接ですね、犯人なり、犯人の車を見たという人がいたんですね。

(※事件現場となった)駐車場の(※仕事をしていた)Sという人ですが、当然検察はこれ(※=Sさんの目撃証言)を証拠に出しませんでしたから、その(※犯人を目撃したというSさんの)調書がアメリカの警察にあるということを見つけて、我々はたどり着いたんですが、我々弁護団は大変苦労してですね、その人に会って、日本の法廷に出てもらうということまでこぎつけたんです。日本の裁判所に証人決定までしてもらったんですよ。

 ところがですね、ロス市警が、ロスでそのSさんに圧力をかけましてですね、「いま日本に行くと、三浦というのはマフィアだからね、お前、生きて帰れないぞ」と、こういう脅しをロス市警はやってですね、証人の出廷を妨害して、そのSさんは証人決定までされていたのに、結局、日本に来なかったんですね。証人が決まった後に、ロス市警は(※証人の出廷の妨害を)やったんですよ。

 その、なんて言いますかね、日米の捜査官は真っ向勝負じゃないんですよ。そういう汚い手を何でもやるという、それでも無罪判決をとったのが、この事件(※ロス疑惑の銃撃事件)なんですね。

裁判に来ずに逃げた人が「事件を見た」と言い出した

 最後にもう1つ考えて頂きたいんですがね、あの事件から20何年、30年近い年月が経ってるわけですよ。で、裁判をやっている過程でも、重要な証人が亡くなっている例があります。

 たとえば、銃撃現場に最初にたどり着いたですね、Mさんという職人も証人決定の後、日本に来る前に心臓発作で亡くなりました。 そのように重要証人もこの間、亡くなってますし、それから、今から「(※当時のことを)覚えてる」と言ってもですね、最近、Nさんという、あの時は(※日本の裁判に)来なかった人が話をしてますけどね、20何年前に「(※事件を)見た」という人がですね、日本の裁判所にも来ずに逃れた人がですね、今から20何年前の記憶を思い出してしゃべるということに、どれだけの信用性があるんですか?

 それから、現場も(※事件当時とは)全然変わってますよ。ビルが立ってますから、水道局から現場は見えなくなってます。

 ですから、一事不再理を考える時にですね、考えて頂きたいのは、20何年も経って、重要な証拠が次々に消失し、変容している中で、一体、どういうマトモな裁判ができるのか、と。そういうことを踏まえた上で、一事不再理を考えて頂きたい、と思います。

 以上です。

* * * 以上、書き起こし * * *

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