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【海外生活で思うこと①】不遇男の自由

  ぼくは自分のことを特別不運だとは思わないけれど、かといって運がいい男だとは思わない。思えない。
 まず、人生で最初の彼女には「あれ、一緒にいるといつも信号が赤になるね」と言われた。たしかに、思い返せば信号はことごとく赤になって止まらなくてはいけないことばかりな気がした。
 とはいっても、基本的にはそれくらいなもので、これといって不運なことは見当たらなかった。探しても親の才能が下りてこなかったことくらいしか見当たらない。

 でも、人生の不運がはじまったのはコロナ禍以降のことだ。


アイルランドの町

 当時コロナが荒れ狂ってい、在宅勤務を余儀なくされている中、アイルランドで働いていた会社から、日本マーケットを日本に移す計画のメールが届いた。それによると、12月前後に日本マーケットの移転を計画しているようで、つまりそれは退職か日本への異動を選択しなければいけないというものだった。
 当然、ほかの同僚と同じく大混乱、というのも誰も日本に会社と一緒に行きたい人などいなかったからだ。2020年の夏になると、仕事を探し始めたものの、そう簡単に見つけることができなかった。そんななか、会社に最後まで働いていた人には退職金が出るということを聞かされた。でも、それがいつかはわからないということだった。レイオフされたら、6カ月以内に仕事を見つけなければならない。もちろん、退職金をもらっても徐々に減っていくのを見るのはストレスのほかなんでもないだろう。そんな状況で、ぼくはプレッシャーに負けた。
 たまたまCVをあげたサイトを通して、リクルーターから連絡が来て、マルタで働かないかということだった。
 2019年にマルタに友達を訪ねていたこともあって、その状況下でマルタに行くことを決心した。退職金を捨てて。それくらいプレッシャーのなかでの職探しは怖かった。
 2020年の年末、マルタに引っ越し、年収は無事80万以上の下落、家の賃貸でトラブルなどを経て、無事に働き始めたものの、そのサポートの仕事はやることが本当になかった。なさすぎて、それまで読んでこなかった古典小説「ジキルとハイド」「フランケンシュタイン」「老人と海」が仕事中に余裕で読めてしまう有様だった。

マルタの首都


 そんなわけで、翌年の2021年6月その会社の退職を決意。この会社は自分が勤めた会社の中で唯一現在も変わらずだ。
 つぎの会社は前回の会社より30万くらい年収も高かったが、なによりよかったのは同僚に非常に恵まれていて、職場環境は最高。チーム内の空気も信じられないほどよかった。いまでもそのうちの何人かと親交がある。同じ業界だが前の会社と比較してだいぶ忙しく様々なことを学びいい時間を過ごしていたが、10カ月ほどしたある日、HRからお呼びがかかった。

「いいニュースと悪いニュースがあります。どっちから先に聞きたいですか?」

悪いニュースとは、「残念だけど日本マーケットが閉まるからビザの更新ができない。」で、いいニュースは「リクルーターがあなたのために仕事を探してあげる」ということだった。そして同年、2021年年末、その会社はクリスマスイブ、そこでまだ働いていた同僚たちの12月分の給料を踏み倒して倒産した。

 つぎに働いた会社はそこより年収15万円くらい低かった。それは不満だったが、可もなく不可もなくという感じだった。ただ、日本マーケットの不振は体感していることもあって、上司に相談しても「大丈夫だ心配しすぎだ」の1点張りだった。同時に働いていた同僚はナンパが趣味で、それ以外にもトレーニング中に突然怒鳴ってきたり、カスタマーをわざと煽るような異常な人間だった。オフィスで「最近は女に人権がありすぎる」といってみるのみならず、たとえば女の子に好かれるためなら、行ったことのない場所にも行ったことがあるといえるような、呼吸をするように嘘がつけるというに。
 その方は業務中の奇行など悪事が上司によって摘発、無事に解雇され(本人は理由がわからないというから驚きだ)、その数か月後、無事日本マーケット終了を告げられた。同時にほかの部署の人たちも解雇を告げられたので、会社自体が傾き気味だったことは間違いない。ランチを作っていたシェフのひとりも解雇を告げられたというから、その惨状はひどいものだったんだろう。
 その次の会社は大手だったものの、さらに年収15万下落、日本マーケットはそれほど大きくない。2023年の6月から働きはじめたものの、同僚はほぼみんなイタリア語かマルタ語で話すのみで、オフィス環境は好きではなかった。でも、12月になると日本マーケットの不振で、マーケティングの人が離脱。カスタマーサポートの人も英語マーケットと合併吸収、日本マーケットは開店休業状態に。これによって、いままでに勤めた5社のうち4社が日本マーケットを閉鎖したことになる。
 これはちょっとなかなかないようで、マルタの知ってる限りの日本人でもここまで不運な人はなかなかいないようで、こうなってくると1年に1度はリストラ対象になる覚悟はあるが、それを極端に恐れることもなくなってくる。むしろ、またか……っていう悪いクリスマスみたいな感じになってくる。
 そんなわけであわてて仕事を探し、現在の会社に勤めているわけだが、いちばんの心配は毎年の恒例イベントのマーケット閉鎖についてである。

 これによって今まで勤務した5社のうち4社がマーケット閉鎖をしたことになる。
 ここまでくると、「おまえが働くとマーケットが傾く!」というジョークを方々で言われるようになる。

最近LinkedInなどを見ているとXやamazonをはじめとする大手でも大規模リストラされたなどのニュースが目立つ。こんなのを目にしては、これはつまり大手に働いていようと会社がリストラをするときはする。安全地帯など存在しないのだ。

 でも逆にここまで何度もこういう殴られ方をすると、強制的に何本もワクチンを撃ち込まれたようなもので、まったくびっくりしないようになる。たとえば、こういうイベントが発生すると多くの人は驚き困惑し、落ち込み、日本に帰っちゃう人まで現れる。でも、何度もリストラ対象のプロになると、急いでつぎを探すというプレッシャーのほか、何もない。驚かない。必死で動くのみである。ここで、火事場の底力的な運なのか、現在まではリストラのたびに次の仕事にありつけている。

 こういう経験から学んだことは、平穏な、波のない生活こそ、代えがたいしあわせだということ。普通のことはしあわせだとは気づかない人が多いけれど、何もないことがしあわせなんだと気づくイベントが、コロナ以降連続して発生している事、それは人間として成長する時間なんだ、そう自分では信じている。

 結果がすべて。自由な外資系などで働くの代償はそこだ。これは自由に生きるということに似ていり・海外で働いている人は、自由に生きているように見られる。たしかに、日本で働く人たちと比べて、自由に生きていることは間違いないだろう。でもヨーロッパで働く知り合いの多くは、自由に生きる代償として日々プレッシャーに晒されている。仕事がなくなれば、ビザを出してくれる会社を見つけなければいけない。仕事もそれほど選べない。次の仕事を見つけるまでの時間も限られている。

 自由っていうのは何なんだろう。楽しそうにヨーロッパで暮らしている身の回りの人のほとんどは、自由を謳歌していると同時に色々つらい経験をしている。

 ぼくの大好きなお笑い芸人のバナナマンのコントの一節を思い出した。

『鳥は自由でいいですね。自由気まま。自由気ままに生きる。むずかしいことですね。まあ、もしかしたら鳥も自由気ままではないのかもしれません』

 自由に生きる。それはある意味、自由に縛られていることなのかもしれない。

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