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英語成績1の男が海外に在住するまで

 はい、というわけで、今回は英語1で見事中学のテストでクラス最低2点を叩き出したバカが海外に在住するに至るまでについて書こうと思います。
 中学ではクラス最低のバカだったわけですが、なぜ海外に住むことになったのか。それは元をたどれば最近amazon Primeでシリーズ化もされているロード・オブ・ザ・リング三部作を映画館で見たところまで遡ります。ロード・オブ・ザ・リングが幼少より大好きで、立川の映画館に王の帰還をもう一度ひとりで観に行った記憶があります(これは計算すると当時8歳になってしまうので、親がそんなことをさせたのかちょっと真偽は不明)。
 もちろん映画は原作からいろんな要素を削ったものなのですが、親がそれを読んでいてカットされている部分などにも詳しかったこともあって中学生の時、このシーンとこのシーンの間の話も知りたいと思い、読んでみたわけです。
 これをきっかけに「グリーンマイル」で知られるスティーヴン・キングや、「アイ・アム・レジェンド」のリチャード・マシスンなど海外の翻訳小説を色々読むようになりました。もともと小学生の頃父親が毎週金曜日に映画2本(大抵はハリウッド映画とゴジラの組み合わせ)借りてきてくれていたこともあってか、まったく翻訳小説などにも違和感を感じず、自然に好きになることができました。

 英語と日本語の会話は話し方やジョーク、構成まで何もかも違うので、翻訳小説や映画のキャラクターは日本人のように話しません。そんなものばかり見ていたことが高じてか、自分で言うのもあれですが、普通の日本人より英語っぽい会話スタイル(日本語を英語にして話すようなスタイルではなく、そもそも日本語で会話するときと英語で会話するときは全く別のスタイル)で話すみたいなことが違和感なくできるようになったと思います。

 そして引き続きバカのまま高校に行き、高校1年で親から高校のプランで3学期留学するというのがあり、その機会にニュージーランドに行かないかと言われ、でも当初は英語も喋れないバカだからということで取りやめにしたんですが、2年の時、今回が最後のチャンスだからということで、まぁロード・オブ・ザ・リングの撮影地でもあるということで、とりあえず行くこと決めたというのが留学地獄の入り口になってしまいました。

ニュージーランド🇳🇿


 留学中にはどうにも英語力の圧倒的欠如は嫌という程自覚していたましたし、逆にバカすぎてどんなに考えたところでそもそも文法も単語も知らないので、とりあえず伝えようとしてみる、ここからスタートしました。最初にちょっと自信がついたのは、ウケ狙いのことを言ったらそれが通じてみんなが笑ってくれた時でした。これ以降ほんのすこし自信がつきましたが、やはり通じなくても文法も何もめちゃくちゃなのはわかっていたので、挫折などという経験はしませんでした。これって実は大切なんじゃないかと思います。変に自信がある人は挫折してそのまま留学が終わってしまうなんていう事例も聞いたことがあります。自信がない人は通じないのが当然というスタンスなので強いです。

 その留学を経て最大の利点は英語を通じて友達ができたことで、英語は「
勉強しないといけない難しいもの」から「誰とでも話せるようになる武器」に変わったことです。

 その後紆余曲折あり、大学を中退。そのための書類を出す際は「あなたは高い山に登ろうとしています」みたいな脅し文句をくらいながらも無事、ほとんどTシャツ一枚みたいな状態のまま登山を決行、アイルランドに語学留学しました。

語学学校の友達

 語学学校では常に新しい人が入ってくるので、もともとシャイなのですが、誰も自分を知らないということで場数を重ねて、シャイでないふりができるようになるまでになりました。これはいまでも獲得できてよかった能力ではないかなと思います。そんなことをしていると、英語の会話力もそこそこついてきて、すくなくとも自分の意思を伝えるには不自由ない程度の自信は、留学中にスイス人、イタリア人、スペイン人、ブラジル人の友達たちと行ったパブなどでついたと言えると思います。

 そしてそんなアイルランド留学も終わりに差し掛かり、となく仕事を探し始めたところ、なんとなく履歴書を送った場所から連絡が来て無事面接を通過し、仕事をはじめることになったわけです。これが海外在住に至る始まりでした。

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