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問題は私個人ではなく家族にあった

こんばんは!

ケミオです。


自分のアダルトチルドレンについて、これまでとはちょっと見方が変わるような考えが浮かびました。


問題のありかです。

私のアダルトチルドレンは、そもそも家族に問題があった結果なのだと。

はじめから私が、問題を抱えていたわけではないということです。


とはいえ、アダルトチルドレン関係をネタにした話の中では、このことは何も真新しい理屈ではないと思います。

しかし私は、ずっと自分が生まれて此の方、問題を抱えているように考えていました。

実際には意識してまで考えてはいませんが、私の思考や行動はすべて、それを前提としていたことは間違いありません。


それが、「問題があったのは家族だ」となれば、過去の自分についての見方も、考えうる今後についても、だいぶ変わってくる気がします。

前提条件が変わってしまったので、その後の展開も必定、変わってしまうようなものでしょう。

まだほとんど、新しい考えのもとでの過去も未来も、考えられていないですが。


昨日、三連休に親戚と久々の交流を楽しんだことを書きました。

最も身近な親戚でありながら(距離は遠いけど)、その姿形と雰囲気が、私の実家とはあまりにも異なっていたからではないでしょうか。

私の生まれ育った環境の問題がまざまざと炙り出されて、「問題は家族にあった」という考えが、強い実感を伴って生まれたものと思います。


もちろん、その親戚だって、過去に問題が何もなかったわけではないでしょう。

でも今の事実は、目の前の通り。

ハッキリ見てきましたのは、私の家族では絶対に無理な姿でした。


今、「絶対に無理」と書きました。

それは私の家族の問題は、話し合いや工夫などで解決するのは不可能であるという意味も含めてです。

無理なのですが、それでも解決しようと頑張っていたのが、子どもの頃の私でした。

結果、アダルトチルドレンになったわけです。

「話し合えば解決する」みたいに考える人もいるかもしれませんが、これは話し合って何とかなるなら、そもそも問題は起きないといった類の話だと考えます。


問題は私個人ではなく家族にあったことと、それが解決され得ないことであること。

ならば、家族の問題に頭を抱える必要はありません。

そう考えると、「俺は自由に生きていいんだ」とか「これからどうしていこうか」みたいなことが、少しだけ頭に浮かんできました。


まだ、少しです。

しっかり身についてはいませんので、これからの思考の展開も待つ必要があるとは思いますが、今日浮かんだ考えにより、少し心が軽くなった気がしました。


今日もお疲れさまでした!

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