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上に気をつかいつつも、野心を持ち続けたリーダー

6月11日(火)に『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)を出版いたしますが、出版までに本書で取り上げている歴史上の人物について、なぜ取り上げたのかを簡単にご紹介していきます。
 
第4回目は、伊達政宗(1567年~1636年)です。現代に続く東北の中心、仙台を築いた武将として知られています。私のような世代には、1987年の大河ドラマ「独眼竜政宗」が印象的でしょうか。渡辺謙さんの出世作でした。
 
私が本書で伊達政宗を取り上げた理由は、かつて自由奔放であった若者・政宗が歳を経て、世間にもまれるなかで上に気をつかうような成熟をみせつつ、それでも上昇志向の野心は生涯持ち続けたところに、「独眼竜政宗」の真の魅力があると考えたからです。
 
政宗といえば、東北地方で暴れ馬のごとく自由に戦っていたイメージがあるかもしれませんが、実はそれは20代前半まででした。天下統一を果たした豊臣秀吉に服従してからは、さながら現代の中間管理職のような苦労を味わうこととなります。様々な負担を強いられるうえに、豊臣家の内紛に巻き込まれ、罪に問われそうになったこともありました。
 
そんな苦労を味わった政宗は、徳川家康が天下を取ったのちは、江戸幕府に対して忠義をつくします。そのなかでは、時には過剰かと思えるほどの気のつかいようもありました。
 
しかし、政宗は江戸幕府に気をつかうだけのおべっかになったわけではありませんでした。領国である仙台藩では着実に新田開発を進めたことにより、表向きは62万石の石高を実質は100万石としました。
江戸幕府とは良好な関係を築きつつ、徳川家康から与えられなかった100万石を自分の力で実現したのです。
人間として成熟しつつ、若いころから持ち続けた野心は生涯色あせることはなかったことにこそ、「独眼竜政宗」の魅力があると考えます。
 
現代に生きる私たちも、若いころは野心をもち、時には上に対して反発を感じることもあるかもしれません。それもエネルギーの発露ではあるのですが、その状態が長じても続いては、物事を進めることはできません。物事を進めるには、相応の成熟も必要です。
しかし、成熟が過ぎる時、若いころに抱いた野心が失われている、ということも多々あるところです。
成熟と野心。この両立も、リーダーとして求められる素質の一つだと考えるのです。
 
そんなことを伝えたくて、伊達政宗を本書では取り上げてみました。

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伊達政宗

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