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仕事に活かせる中国古典

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数千年の風雪に耐え、今なお世界中で評価されている中国古典。現代を生きる私達が「よい仕事」を取組むにあたり、どのような中国古典の教えが活きるのかご紹介できればと思います。
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彼らと比べて有利な点が一つある。彼らの前例があるという点だ。

先週、「ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか-民主主義が死ぬ日」という本を読んでみました。本書は、「ヒトラーはなぜ戦争を始めることができたのか-民主主義国の誤算」と合わせてドイツ・ナチスの歴史を語っているものであり、本書はその前半史になります。そのテーマのイメージからは読みにくそうですが、意に反して読みやすい本でした。 なぜヒトラー、そしてナチスは政権が取れたのか。第一次大戦に敗れはしたものの、その当時でも世界有数の工業国であり、かつカントやヘーゲルなどの哲学者を生みだした

ビジネスの本流(正兵)ではない奇兵にフォーカスをあてる

しばしばビジネスにおいては、ビジネスモデルの本流でないところがビジネスの勝敗を決することがあります。 例えば機械販売。機械本体の販売が本流でしょうが、実は販売後のメンテナンスや部品供給が大きな収益源だったりします。身の回りだと、コピー販売後のメンテナンスサービスやトナー販売が分かりやすいでしょう。 例えばカミソリ販売。ジレット社はカミソリ本体販売後の付け刃が収益源です。 例えばシステム業界。システム開発が本流のように見えますが、その後の保守・メンテナンスが大きな収

「孫子」から考える組織力を比較する軸

会社などの組織を比較する軸として何があるのでしょうか。売上や利益とか、社員数とかいった指標で比較されることはあります。しかし、これは事業の結果を比較したものであって、組織の力を比較できる軸とは言えません。 そんな時、中国の兵法書、孫子の「七計」というのは組織を比較する軸として興味深いものです。 「七計」というのは次の7つになります。 ・主:君主、組織のリーダーがどちらが優れているか ・将:どちらの将軍がすぐれているか ・天地:自然条件はどちらが有利か ・法令:どちらがきち

孫子から考える、危機感、緊張感がない理由

こんな人は周りにいないでしょうか。このままでは大変厳しい状況になるのに、のんびりしている。計画を立てて、実行しないといけないのに、計画を立てない。一緒に計画を立てても、時間が経って「あの計画やっている?」と聞いたら、「まだやっていない」と涼しい顔。 こんな光景に出くわすと、「孫子」の次のような一節を思い出すのです。 「孫子いわく、兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。故にこれをはかるに五事をもってし、これをくらぶるに計をもってして、その情をも

方向が明確だと経営はなぜうまくいくのか

経営の中で、「とにかくまずはやってみよう」と見切り発車していることはありませんか。そんな時には、中国の昔の兵法書「孫子」のこんな一節を思い出して欲しいのです。 「勝兵はまず勝ちてしかる後に戦いを求め、敗兵はまず戦いてしかる後に勝ちを求む。」 (勝利の軍隊というのは、まず開戦前の検討段階で勝ち、その上で実際の戦争に勝つ。逆に、敗北の軍隊というのは、入念な事前計画もなく、とりあえず戦ってみて勝ちを求めようとする。) この一節、大河ドラマ「どうする家康」の三方ヶ原の戦いでも

逃げるは恥でもなく、役に立つ

こんなことはありませんか。自分と比較してあまりにも大きなライバルと戦い、その結果として価格競争などに陥り、疲弊するということが。 そんな時には、中国の昔の兵法書「孫子」のこんな一節を思い出して欲しいのです。 「故に用兵の法は、十なればすなわち之を囲み、五なればすなわち之を攻め、倍すればすなわち之を分かち、敵すればすなわちよく之と戦い、少なければすなわちよく之を逃れ、しかざればすなわちよく之を避く」(「孫子」) (兵力運用の法則は、自軍の兵力が敵の十倍であれば、敵を

欲しい人材に来て欲しい人だけ読んでください

中国の戦国時代(紀元前5世紀-紀元前221年)に学者、政治家として活躍した郭隗(かくかい)の言葉として次のようなものがありました(ちなみに、郭隗は小さなことから始める「隗(かい)より始めよ」の由来となった人です)。欲しい人材に来てもらう為の心構えとして書かれているもので、本を読んでいる中で目を引いたので、解説なく紹介したいと思います。 「礼をつくして相手に仕え、つつしんで教えを受ける。これなら自分より百倍すぐれた人材がまいります。 相手に敬意を表し、その意見にじっと耳

意見を伝えてもらう為に必要なリーダーの姿勢、発言

「わたしの下す詔勅(※皇帝が出す命令)に、もし妥当適切を欠く点があれば、遠慮なく意見を申し述べるべきだ。・・・指示したことをはいはいと受け入れるばかりで、いっこうに諫言してくれる者が見当たらぬ。まことに嘆かわしいことだ。たんにわたしの下した詔勅に署名をし、下部に文書を流してやるだけのことなら、どんな人間にもできる。」(貞観政要、政体編) 中国古典のリーダーの在り方について書かれた貞観政要の一節です。長文の為、現代語訳の一部抜粋になります。この一節は中国・唐の太宗が政治の中

事業を創るよりも、守ることの方が難しい?

「帝王の事業のなかで、創業と守成といずれが困難であろうか」・・・「一旦、天下を手中に収めてしまえば、気持ちがゆるんで、自分勝手な欲望を抑えることができなくなります。・・・・国家の衰退を招くのは、つねにこれが原因になっています。このような理由で、わたしは守成こそ困難であると申し上げたい」(貞観政要、君道編) 中国古典のリーダーの在り方について書かれた貞観政要の一節です。長文の為、現代語訳の一部抜粋になります。 この一節は、創業と、創業後の事業を守ることのどちらが難しいの

麦飯を食べ、風に飛ばされた紙を追いかけた徳川家康

「君主たる者はなによりもまず人民の生活の安定を心掛けねばならない。人民を搾取(さくしゅ)してぜいたくな生活にふけるのは、あたかも自分の股の肉を切り取って食らうようなもの、満腹したときには体のほうがまいってしまう。 (中略)わたしはいつもこう考えている。身の破滅を招くのは、ほかでもない、その者自身の欲望が原因なのだ、と。いつも山海の珍味を食し、音楽や女色にふけるなら、欲望の対象は果てしなく広がり、それに要する費用も莫大なものになる。そんなことをしていたのでは、肝心な政治に身

になうものは重く、道は遠い

曾氏いわく、「子はもって弘毅(こうき)ならざるべからず。任重くして道遠し。仁もっておのれが任となす。また重からずや。死してしかして後やむ。また遠からずや。」(論語、奏伯第八) 「学に志す士は心がひろくつよくなければならない。になうものは重く道は遠い。仁を自分の荷として負うのだ、重くならないはずがあろうか。仁を背負って死ぬまで道を行くのだ。なんと遠い道であろうか。」 この一節は、戦後の東京裁判で唯一、文官として絞首刑となった広田弘毅元首相の名前のゆらいとなっているものです。

リーダーに求められるのは「AもBも」

子はおだやかにしてしかもはげし。威あってしかもたけからず。うやうやしくもしかも安し。(論語、述而第七) (先生は温和できびしさがあり、威厳はあるがたけだけしいところはなく、礼儀正しく丁寧だが安らかできゅうくつなところがない) リーダーにもとめられる素質ってなんなのでしょうか。なにが必要だとおもいますか。 温和なことなのか。 きびしいことなのか。 威厳があることなのか。 たけだけしいことなのか。 礼儀正しいことなのか。 堅苦しくなく、おおらかなことなのか。

目につく人のよくない所は、自分にもあると考える

子いわく、「三人あゆめば、必ず我が師有り。その善き者をえらんでこれに従う。その善からざる者にしてこれをあらたむ」(論語、述而第七) (先生がいわれた。「私は三人で行動したら、必ずそこに自分の師を見つける。他の二人のうち一人が善い者でもう一人が悪い者だとすると、善い者からはその善いところをならい、悪い者についてはその悪いところが自分にはないか反省して修正する(どこにいても師はいる。我以外皆師である)。」) どうしても人間なので、人のよくない所を見てしまうと、そこに目が行き、

始めから好きや楽しい学びはないのでは

子いわく、「これを知る者はこれを好む者にしかず。これを好む者はこれを楽しむ者にしかず」(論語、雍正也第六) (先生がいわれた。「学ぶにおいて、知っているというのは好むには及ばない。学問を好む者は、学問を楽しむ者には及ばない。」) 論語の中でも、有名な一節の一つです。 確かに、ここに書かれている通りで、学ぶことは、好き、好きよりも楽しむくらいでないと入ってこないかなと感じます。私は歴史を学ぶことが好きなのですが、就寝前に歴史の本を読むことは、もはや楽しみになっています。