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なぜ診断名は医師に聞かないと教えてくれないのか?

受診をしても診断名がどこにも書かれていない?

こんにちは、株式会社CureAppでデザイナーをしています、精神科医師の小林です。

先日友人と話していたときに「どうして病院を受診しても病名の記録は患者にもらえないのか?」という質問されました。たしかに。
どの病院を受診しても薬に関する説明書や診療内容の明細書はもらえますが、その根拠となる診断名はどこにも書かれていません。自分が病気かどうかを知りたくて病院を受診したのに、自分の病気の記録は渡してもらえない。依頼すれば診断書は書いてもらえますが、診断書は基本的に患者以外の人間に渡すためのものであり、書くための理由と別料金を求められます。

実際に診断名を知らされていないことのデメリットはあり、たとえば生命保険の加入時にはこれまでにかかったすべての病気について尋ねられ、保険設定の重要な材料になります。また、インターネットで自分の病気について調べようと思っても、病名を知らなければ正確な情報に辿りつけません。

「私は絶対に診断名は伝えないようにしている!」と断固として決めている医師はほとんどいないと思いますが、診断名を伝えるかどうかはケースバイケースなのが現状でしょう。
どうしてこんな大事なことがフワッとしているのか?考えてみましょう。

診断名が常には教えてもらえない理由

毎回正確な診断がつくわけではない

おそらくこれが一番大きな原因ですが、受診→即診断ではありません。たとえば自転車で転んで手首を負傷し、X線検査で橈骨に骨折があれば明らかな診断は下せます。しかし、昨日からなんとなくお腹が痛くて吐き気があって受診し、検査をしても特に異常はありませんでした、では腹痛の明らかな原因は分からず診断には至りません。

診察や検査で異常の原因がすべてわかるわけではなく、医師は経験と知識を頼りにさらに精査が必要かを判断します。症状が重くない場合、無理に暫定的な診断名を患者に伝えず「とりあえず様子を見ましょうか」ということも立派な治療選択肢のひとつです。

伝えないことに治療的意義がある

世の中には伝えることでその先の人生が変わる病名がいくつもあります。
「うつ病」「自閉症スペクトラム障害」「パーソナリティ障害」といった精神科病名は精神科医の裁量で診断がつけられ、診断名を告げられることで本人の精神状態や社会的な状況に確実な変化が生じます。また、がんや筋萎縮性側索硬化症といった治療が難しいまたはできない病名についても、早く告げることが必ずしも正しいわけではないとされています。
告知の仕方も含めて医療の一環であり、事務的に伝えてしまうことのデメリットも確実に存在するのです。

医学用語を伝えても分からないと医師も患者も思い込んでいる

従来の医療はパターナリズムが基本であり、患者は医学的知識を持つ必要がなく、医師の指示に従うのが当然と考えられていました。現在はインフォームドコンセントの考え方が主流となり、患者にできるだけ正確に情報を伝え、選択肢を共に検討することがよしとされています。
とはいえ難しい医学用語を積極的に知りたいと思わない患者も多く、医師側もあらゆる病気の可能性について丁寧に説明する時間的余裕はありません。そのため詳細な説明を前提とした診察よりも、お互いに必要な情報を簡潔にやりとりするスタイルにまだまだニーズがあると考えられます。

このままでいいのか?

ここまで患者に気軽に診断名を伝えることのデメリットから、医療側が積極的に伝えない理由について考察しました。しかしさまざまな情報へのアクセスが劇的に変化していく中で、今のままでいいのか?という疑問はわいてきます。

ひと昔であれば、患者は正確な医学的知識を得ることができない、インターネットはいい加減なことしか書いていない、という感覚が常識でした。しかし、テクノロジーの発達と発信者の研鑽により情報の質と量は大きく改善され、今では自分の診断名を正確に知らずに情報を漁ることの不利益の方が大きくなっています。

「医学的なことは医師しかわからない」という情報の非対称性のバランスが変化しているという事実は、医療者も患者ももっと自覚し、有効活用していくべきです。自分の病状と生活について最も把握している患者自身が自分の病気について自ら理解し、客観的な情報と専門的な知識を持つ医師と互いの立場から議論ができれば、互いの治療モチベーションを上げることができます。

また、繊細な病名の告知についても、本当は「伝えることの不利益」がバイアスである可能性もあります。ある調査では「自分が重大な病気にかかった場合、早期に告知してほしいですか?」という質問にほとんどの人がYESと答えた一方、「家族が重大な病気にかかった場合、早期に告知してほしいですか?」という質問にはNOという回答が多かったと報告されています(文献1)。
伝えないことを望むのは社会的な願望であり、個人の願望ではないのかもしれません。個人の心理に踏み込む大きな問題なので軽率なことは言えませんが、最初から「診断名を伝えることが普通の社会」であったなら、考え方は大きく違っていた気もします。

とはいえ変化は簡単ではない

システム上、診察のたびに診断名を伝えることはおそらく簡単で、カルテの暫定病名を受診後の書類のどこかに印字すれば済む話です。しかし、それが簡単にできない事情は複雑であることがわかります。

診断名を伝えることをシステムとして常識化するためには、医師や患者のメンタルモデルを教育のレベルで変えていく必要があり、すぐに実現できるデザインではなさそうです。

しかし、患者が自分の病気について知ろうとし、考えることは今後の医療にとって大切なアクションです。自分の診断名について知りたい患者は医師に遠慮なく尋ね、医師も誠実に答えることがもっと普通になってほしいです。患者から医師にはたらきかけることは何も悪いことではなく、このアクションの心理的ハードルを下げることが課題です。

「そんなこと勧められても患者さんの質問に悠長に答えている時間はないよ」と多くの医師は感じるでしょう。しかしaiが凄まじい勢いで生活に入り込んでいる昨今、患者を長時間待たせて一方的に見立てて高圧的に薬を出すだけの医師の価値は大きく下がり、「患者との質の高い対話」が重要なキーワードになると考えられます。

既存の診療スタイルにとらわれることなく、診断名や生活習慣を含め、積極的に対話できる医療の価値は、医師と患者双方にとって必ず新しい価値を生み出せます。

資料

  1. 宗像恒次, がん告知の研究の国際的動向と課題, ヘルスプロモーションと行動科学, 1990 https://www.jahbs.info/journal/pdf/vol05/vol05_14.pdf

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