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はじめに:筆者と京葉線


1969年(昭和44年)生まれ(男)。
千葉県船橋市の新京成線沿いにある団地で生まれ育ち、小6になった1981年(昭和56年)に千葉市海浜ニュータウンエリア(現:千葉市美浜区)に転居。以来、現在まで40年以上にわたってほぼずっと美浜区民として過ごしています。
ええ、2024年3月のダイヤ改正でニュースにもなった「JR京葉線」を開業以来、地元で見てきたひとりです。

引っ越し当初、地元から東京方面へ向かうには、海浜ニュータウンのためにつくられた千葉海浜交通バスに乗って、一度内陸を走る国鉄(当時)総武線 幕張・新検見川・稲毛の各駅に向かう必要がありました。

その状況が大きく変わったのは1986年(昭和61年)3月。国鉄京葉線が部分的(西船橋~南船橋~千葉港:現千葉みなと間)に開業したのです。
その後、1988年(昭和63年)12月には千葉港~蘇我間、新木場~市川塩浜~二俣新町~南船橋間及び二俣新町~西船橋間が開業し、新木場駅で接続する営団(当時)有楽町線(こちらの新木場開業は1988年6月)に乗り換えることで、海浜ニュータウン民にとっても待望の都心直結が可能に!

そして1990年(平成2年)3月、いよいよ東京~新木場間がつながり、ついに京葉線全線開通&「京葉快速/通勤快速」運転開始となったのです。
さらに翌1991年(平成3年)3月のダイヤ改正で、総武快速線を走り始めた空港特急「成田エクスプレス」に押し出される格好で、房総特急「わかしお」「さざなみ」号も京葉線経由となりました。

思えば、京葉線がキラキラと輝いていたのは、バブルも真っ只中なこの時期がピークだったように思えてなりません。
冒頭に書きましたが、2024年3月ダイヤ改正で京葉線の通勤快速が廃止となり、地元自治体も巻き込んだ大騒ぎとなった件は、この1991年時点のダイヤがその後30余年を経てどう変化していったかを検証する必要があると考えました。

と、まあ堅苦しいハナシは追々していくとして。
本noteでは、千葉市美浜区民から見た交通事情(主に京葉線)について、つらつらと書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。

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