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継母から養母へ

noteを書き始めてわりと早い段階で、私はツムギの継母ではなく養母なのだと気づきました。

私は父親が再婚してできた母親のことをすべて継母と言うのだと勘違いしていたのですが、養子縁組をしていないのが継母、養子縁組をしていたら養母と言うのだそうですね。
確かに、私の戸籍だか住民票だかには、ツムギは養子と書いてありました。

なるほど、と思いながら、noteではそのまま継母と言う言葉を使って来たのは、#継母で書き始めてしまったものの訂正をどうしようか悩んだことと、養母と言う言葉に僅かながらの抵抗感を持っていたからでした。

そもそも私が継母と養母の違いを勘違いしてしまったのも、養母には養うと言う字がしっかりと使われており、実親が何かしらの理由でこどもを養育できずに、別の大人が面倒を見ている状態を養父母と言うのだと思っていたからです。

だから、私と養子縁組したとて、実父が変わらず養っている娘に対して、養母です、と言うのはなんとなく憚られる思いがしていました。

ようぼやけいぼと違って、ままははと言う柔らかい響きを持っていることも、私がこの言葉を使い続けてきた理由のひとつです。
一般的には、継母と言えばシンデレラの話に代表されるイメージで、忌み嫌われる言葉なのかも知れませんが。


昨日は娘の個人面談でした。
夫が休みの日を希望し、私もその日は在宅勤務として、前回同様ふたりで出席するつもりでした。
朝になって夫にそのことを伝えると、普通はどちらかの親がひとりで行くものだよ。と諭されました。
ケイトは仕事だから自分が行こうか?そう言われたけれど、夫では、聞きたいことも聞いてきてくれないだろうと、私がひとりで行くから。と言うことでお互い納得しました。

教室の廊下にはこどもたちが国語の授業で書いた俳句が展示されていました。
夏休みがお題だったようです。
決して上手とは言えないツムギの俳句には、父と祖父母の四人で行った海の思い出が詠われていました。


夕方、約束を守らずに暗くなってから帰って来た娘は、謝るどころか不機嫌に私たちふたりに反抗的な言葉を投げつけてきました。

認められたい。

ここ数日感じていた娘の父親への溢れる愛を感じて、私たちは大きな思い違いをしていたのではないかと思いました。
夫も私も、新しく家族になった私に対して信頼を得るために大人を試しているのだと思っていましたが、私なんて、やっぱりおまけであったのです。

貴方はツムギの愛に対して、目に見える形で愛を返せていると思う?

夫には些か厳しい言い方になってしまったとは思うのですが、もう、夫には逃げてほしくないと思い切って伝えました。

貴方は、私とツムギの関係がギクシャクすることを恐れて、自分が憎まれ役を買って出てくれているけれど、私とツムギは大丈夫。派手な喧嘩をしながらも、お互いで関係性を作っていけるから。女同士だもの。
それより、娘が躊躇なく父親に甘えられるあと数年の間に、しっかり愛されたと言う記憶を持たせてあげてほしい。ツムギの「愛してちょうだい」は、今までいなかった母親に対してではなくて、父親である貴方に向かっていると思うよ。

私が口うるさい母さんやるから、父さんはどっしり構えていてくださいよ。


それが難しいんだよねぇ。

なんて言いながら、謝って来た娘の頭をぎこちなくポンポンと叩いた夫。

もう娘は嬉しくって、キラッキラした目で私たちふたりの周りを行ったり来たりしていました。

食器を洗い始めたお父さんの背中にピッタリとくっつくツムギ。
ツムギの後ろから、私も抱きついて、むぎゅうっとツムギをつぶしてやりました。


まんざらでもなかったよ。

後からポツリと夫が言いました。

ふたりで養って育てていこう。
ようやく養母であることを受け入れられた日となりました。

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