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連載第1回:『結婚の哲学史』序論―第1節

 結婚に賛成か反対か、性急に結論を下す前に、愛・ 性・家族の可能なさまざまなかたちを考える必要があるのではないか。昨今、結婚をめぐってさまざまな問題が生じ、多様な議論が展開されている現状について、哲学は何を語りうるのか――

 九州産業大学で哲学を教える藤田先生による論考をこれから数回に亘って特別公開します。今回は第1回として序論の第1節を公開します。

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第1節 なぜ結婚を哲学しなければならないのか

クサンティッペの浴びせかけたもの

 「家族」や「結婚」は、哲学者が真剣に取り組むに値しない問題だと思われているふしがある。《結婚と哲学》の組み合わせがミスマッチに見えるとすれば、それは何故なのか? 哲学者の代名詞とも見なされるソクラテス自身が「ぜひ結婚をしなさい。よい妻を持てば幸せになれるし、悪い妻を持てば私のように哲学者になれる」と述べたかのように言われている。真実は不明だが、ニーチェの著作の中にはそれに近い言葉がある。

ソクラテスは自分の必要としたような妻を見つけた[…]。事実、クサンティッペは、彼に対して家も家庭も住みにくく居心地悪く(unhäuslich und unheimlich)することで、彼を彼独自の天職(Beruf)へとますます深く追い込んだ。彼女は彼に、街頭やおよそ人が喋ったりぶらぶらしたりしていられるあらゆるところで暮らすことを教え、こうして彼をアテナイ最大の街頭弁証家に仕上げた。

この引用はまずは、悪妻が哲学者を「彼独自の天職」へと追い込んだということだけを言っているように見える。次の二枚の絵をご覧いただきたい。いずれも17世紀のものであり、したがってこれも目撃した事実を伝えているというわけではないが、クサンティッペがソクラテスの頭から浴びせかけているのは何だと思われるだろうか?

左:エンブレム・ブックの挿絵に描かれた、ソクラテスに尿瓶の尿を頭から浴びせるクサンティッペ(オットー・ファン・フェーン画、1607年)
右:『ソクラテスとクサンティッペ』(レイエ・ヴァン・ブローメンダール画、1655年)

 汚い話で恐縮だが、これは水洗トイレがなかった時代に利用された室内用便器、「おまる」の中身である。半ば冗談で、強引な深読みを言えば、クサンティッペが哲学者に直面するよう迫っているものは、他人にあまり見せたくない、自分でも見たくない、文字通り「臭いもの」として「蓋」をしておきたいもの、しかしにもかかわらず、人間が生きていく限り、家庭内でいかんともしがたく発生してくるものではないだろうか。ところが、この二枚の絵を見ても分かるように、どうも哲学者というのは、そういう問題に直面しようとしないどころか、家や家庭から逃げてしまい、それよりも“高尚”でより“思弁的”な問題関心へ向かう者と思われているふしがあり、また進んで自分たちをそのような浮世離れした存在として自己規定したがる傾向がある。

ミュルトーのために

 ソクラテスには実はもう一人妻がいたにもかかわらず、その後の西洋哲学史において忘却ないし抑圧されていったという事実は、その傍証になるかもしれない。もう一人の妻とは、義人アリスティデスの孫娘ミュルトーである。ディオゲネス・ラエルティオスが伝えるところによれば、三つの可能性がある。クサンティッペとの離別ないし死別の後にミュルトーが後妻になったという説(アリストテレス)、いやミュルトーのほうが先妻なのだという説(名前が一人も挙げられていないので訝しい)、実は同時に結婚していたのだという説(アリストクセノス、デメトリオス、ヒエロニムス、サテュリス、ポルフィリオス)である。ご覧の通り、古代において主流であったのは重婚(bigamy)説である。この説はソクラテス生前の特例法に照らせばまったく不可能ではないのだが(ディオゲネス・ラエルティオスは「ペロポネソス戦争中、アテナイ人は男不足のため、市民である女性と結婚し、別の女性から子供を得ることを合法とする法令を可決したと言われている」と述べている)、例えば、エドゥアルト・ツェラーは「そのようなことは、ソクラテスの性格と相容れない」し、「アテネの法律が重婚を認めていたことはなく、重婚を認めると称する法令も、実際には成立しなかったか、あるいは別の意味を持つに違いない」と断言している(Eduard Zeller, Socrates and the Socratic schools, London: Longmans, 1877, p. 62, n. 3)。
 この話に関して興味深いのは、フィットン(J. W. Fitton,1933-1969)という風変わりな研究者の遺作となった論文である。それによれば、ソクラテスに二人の妻がいたという伝承は、古代の学者の間では確立されたものであったが、現代ではぼんやりとした不信感から「特に哲学者の間では(歴史家の間では、まだましである)」悪意あるゴシップ(malicious gossip)として打ち捨てられている。では、ツェラーやコンフォードの名を挙げて、「彼の実際の人格などどうでもよい彼らは、聖杯探索の騎士団長を作るのに忙しい(so busy making him chief knight in quest of the Holy Grail)」と辛辣な批判を展開する彼自身はどのような解釈を提案するのか。ソクラテスの結婚に関するアリストクセノスの証言を引用する新プラトン主義者ポルフュリオスの断片を半ば強引に再解釈しつつ、フィットンが到達した結論は次のとおりである。
 ・ソクラテスはクサンティッペとは四〇代から事実婚状態で、紀元前414年ごろに長男を出産(ただし、これは彼女が必ずしもルーズな女性であったことを意味するのではない。彼女の男性親族が結婚資金を提供する余裕がないほど貧しかったか、死んでいた可能性もあるからだ)。
 ・義人アリスティデスの孫娘ミュルトーとは紀元前410-405年頃、持参金なしで正式に結婚。次男と三男を出産。彼女と正式に結婚した理由は、「おそらくアリスティデスの偉大な家系に対する彼の敬意を示すものであり、その敬意は彼女の家族との個人的な知己と彼らの困窮に対する同情によって裏付けられた」。
 つまりフィットンによれば、クサンティッペとは事実婚(同棲)であり、ミルトーとは結婚であるので、「重婚」ではない。しかるに古代の人々はγυνή(ギュネー)という言葉の曖昧さ――「妻」を表すこともあれば、男性と親密ではあるが結婚していない女性を表すことも多い――に惑わされ、ソクラテスには正式に結婚した妻が二人いたに違いないと思い込んでいたというのである。
 プラトンが殉教者に仕立て上げた西洋哲学の揺るぎない守護聖人ソクラテスの人格を傷つける重婚仮説への猛攻撃を嘲笑していたはずのフィットンは、ソクラテスが「敬意」と「困窮への同情」からミュルトーと正式に結婚したというのである。妻となる女性へのではなく、その祖父への敬意から結婚する? 困窮への同情なら生活資金の援助で事足りるのでは? 最も理解に苦しむのは、ぞんざいな扱いや同性愛の追求ですでにクサンティッペを激怒させているソクラテスが、古代ギリシア中で知らぬ者のない嵐のような結婚生活のまさにその渦中にミュルトーを巻き込もうとしているのに、それを見て「家系への敬意」と「困窮への同情」と捉えるフィットンの視線である。それこそ文字通り「聖杯探索の騎士団長を作るのに忙しい」視線なのではないか。近代においてソクラテスの理想化が典範的になった(This idealization has become canonical)ことを嘆きつつ、結局はフィットンもまたその過度の理想化に加担しているのではないか。ソクラテスの「重婚」の真相がどのようなものであれ、それが突き付けてくる「説明するのに多大な努力を必要とする、確固とした、しかし不可解なもの」(something solid but puzzling that requires manful efforts to explain away)に目を向けることがむしろ重要である。
 先に哲学者というのは “高尚”でより“思弁的”な問題関心へ向かう者と思われているふしがあり、また進んで自分たちをそのような浮世離れした存在として自己規定したがる傾向があると指摘した。しかし同時に、歴史的に遡ってみれば、むしろ哲学者たちは常に「結婚」と向き合い、それについて考えてきたのではなかったか。ありふれた(ordinaire)しかしある意味では途方もないもの(extraordinaire)、身近でしかし捉えがたいもの、ささやかでしかし避けがたいもの、卑近でしかし端倪すべからざるものを見つめることの大切さについて、過去の偉大な哲学者たちは意識的であったのではないか。
 ここで冒頭のニーチェの引用をもう一度よく読んでみよう。ソクラテスは「自分の必要とした」妻を見つけ、妻との生活は彼を「最大の街頭弁証家に仕上げた」と言われてもいることを見逃してはならない。ソクラテスの「必要」とは何だろうか。「妻との生活」が彼を「仕上げた」とはどういうことだろうか。過度に美化するのでもなく、過度に貶めるのでもなく、ソクラテスをありのままに捉えるにはどうすればいいだろうか。
 たしかにソクラテスは逃げ出した。だが、逃げ切らなかった。汚物を浴びせられたのだから。離婚しなかったのだから。いや、逃げ切れなかっただけかもしれない。結婚について真正面から考えたことはなかったかもしれない。考えたとしても、言い逃れや逃げ口上だったかもしれない。しかし、あれほど徳について考え、知行一致について考えた人物が肝心の自分自身のことについては単に都合よく目を伏せたと考えるのもまた、無理があるのではないか。だとすれば、クセノフォンの『饗宴』(プラトンのそれではなく)にある次の有名な言葉も、その表面的な意味(最も付き合うことが難しい人間と結婚すること)を超えて、たとえば「偶発性を受け入れること」を示している可能性もあるのではないか。

さて、とアンティステネスは言った。ソクラテス、どうしてそんな考え方なのだ?なぜクサンティッペに何も教えないんだ?彼女はこれまででも、これからも一番意地悪な生き物だろう。それはつまり、とソクラテスは答えた、善い騎手になりたいと願う人々は、最も従順な馬を手に入れるのではなく、最も気性の激しい馬を選ぶということを僕が見ているからさ。彼らはその馬を御すことができれば、他の馬も簡単に扱えると信じているんだ。同じように、僕も人間社会で生きることを学びたいので、クサンティッペを選んだ。彼女に我慢ができれば、他のどんな性格の人にも簡単に適応できると確信しているからね。

(2.10)

 いずれにせよ、単なるミスマッチというだけでは片づけられない結びつきが《結婚と哲学》にはあるのではないか。正妻であったにもかかわらず自分を消す控えめな(self-effacing)女性であったミュルトーが、激情型の目立つ人物であった同棲相手のクサンティッペの陰で埋もれてしまったのだというフィットンのストーリーはともかく、この三人の関係(さらには同性愛関係まで含めた結婚生活)を営もうとしたソクラテスの頭の中にはいったいどんな結婚の哲学が潜んでいたのだろうか。

結婚を哲学する意味

 結婚をめぐる問題は、問題解決のために法整備や支援体制の確立を必要とする深刻な社会問題であることもしばしばだ。こういった問題に対して、哲学は何か寄与するところがあるのだろうか? 愛・性・家族はともかく、結婚は哲学的な分析の対象とはなりえないし、そもそも哲学的に分析してみたところで具体的・現実的な成果は挙がらないのではないか。そう思われるかもしれない。
 この「結婚を哲学的に考える意味」について近年とても良い本が翻訳されたので、その本の概要を紹介することで私自身のアプローチに近づいていこうと思う。2019年に白澤社から刊行された『最小の結婚 結婚をめぐる法と道徳』である。著者は、アメリカ・ライス大学の哲学教授エリザベス・ブレイク。倫理学、政治哲学を基礎としながら、とりわけフェミニスト哲学、なかでも性と愛の哲学、LGBT哲学といった新しい分野を開拓している気鋭の哲学者だ。
 ブレイクは、この著作の「結婚と哲学」(Marriage and Philosophy)と題された序論で、「結婚は、哲学においてこれまで十分に理論化されてきたとは言い難い。しかしその理由は、結婚が哲学的な興味をひかなかったからではない」と述べ、その理由を説明している。
 一方には道徳哲学がある。この分野では、結婚は、人々のつながりと道徳的義務を保障することで「善き生」を実現するものとして、ある意味ではすでに議論されすぎ自明視されすぎた結果、現代の哲学者の関心を引かなくなっている。結婚は、生涯にわたって貞節や献身やケアに関して個人を強固に拘束するという意味で、それまでに築いてきた人間関係の道徳的な変容を含意しているにもかかわらず、そうした道徳的変容が本当に生じているのか、またそもそも生じるべきなのかについてはほとんど議論されていない。
 他方には政治哲学がある。この分野では、社会や国家が愛・性・親密性をいかに制度化すべきか、そもそも制度化すべきなのかといった問題は喫緊の課題であり、未だ十分に議論が尽くされていない。その結果、近年では、こうした課題は、同性婚を認めるか否か、中絶を認めるか否かといった個別具体的な問いへと焦点化されすぎてしまっている感があり、いっそう広い視野から制度変革が検討される必要がある。
 つまり結婚に関する人々の固定観念、主観的な思い込み、「常識」とされるものに関しては道徳哲学的な議論がされなさすぎであり、愛・性・家族をめぐる客観的な現実の法制度に関しては政治哲学的な議論が(個別具体的な問題に関して)されすぎている。エリザベス・ブレイクの『最小の結婚』は、結婚に関する道徳哲学的な議論の欠如と政治哲学的な議論の(焦点化という意味での)飽和を埋めつつ、理論的であると同時に実践的な制度変革を提唱する。それが「最小結婚」(minimal marriage)である。
 最小結婚とは、「性愛規範性の鋳型にうまくはまることのない多様性に富んだ成人間のケア・ネットワークのみならず、一夫一妻的関係をも支援するような法的枠組み」(20頁)のことだ。ブレイク自身の言葉を引いておこう。

 結婚ないし結婚類似の関係に特別な優先順位を置くことは、その他のケア関係を周辺化してしまうことになる。性愛的な愛のみを特別に価値づけ、性愛規範性(amatonormativity)を維持しようとすれば、それだけ結婚はその他の形式のケアを掘り崩してしまうことになる。例えば、最も価値ある関係は、結婚ないし性愛的なものでなければならないという想定は、友情の価値を切り崩す。したがって、私は結婚とそれに結びつけられた性愛規範性の圧力は、ケアを脅かす危険性があると主張したい。

(ブレイク 2019 :18‐19)

 例えば、70歳の気の合う女性同士、50歳の気の合う男性同士が、性愛的な関係ではなしに、友達として一緒に住むということが、婚姻関係にあるものと同じ社会的承認や法的優遇を受けられないのはなぜなのか。そこには、ロマンティックラブ・イデオロギーと国家による社会的再生産を軸として、愛・性・家族の強固なトリアーデによって構成される近代的な結婚観が、他の関係の社会的拡張を阻む要因として機能してしまっているのではないか、というわけだ。
  では、いっそのこと結婚という制度を廃止すればよいではないか、という方もいるだろう。実際、結婚の歴史を振り返れば、結婚が、女性・ゲイ・レズビアン、人種的・宗教的マイノリティを抑圧するものとして機能してきたのは明らかである、とブレイクは言う。しかし、「結婚は本質的に家父長制的かつ異性愛規範的で有害なものであり、所有関係である」「結婚は女性に対する体系的抑圧に寄与している」「婚姻制度改革によっても、そうした抑圧的本質を取り除くことはできない」と主張する結婚廃止論者に対して、ブレイクは、「結婚は本質的にではなく条件依存的に不正義なのであり、したがって正義にかなう改革が可能である」と主張する。シティズンシップ〔市民権〕が白人男性だけのものであったとき、それは人種差別的で性差別的であった。例えば、米国法では、シティズン〔市民〕とは歴史的に夫たる者かつ家長として定義され、法はこの前提を広範に反映していた。しかし、市民権は再定義されてきたではないか。結婚制度に関しても事は同じだ、とブレイクは言う。

 結婚は本質的に所有関係ではない。つまり、その法的条項は再定義することができるし、実際にされてもきた。結婚を本質的に家父長制的だと考える理論家は、その歴史と、なお続く、道徳性を帯びたジェンダー化された意味づけを指摘する。(…)結婚の歴史は、疑いようもなく家父長制的である。しかし、結婚も法において再定義されうる。

(ブレイク 2019 : 205)

日本の婚姻制度では離婚が難しいと言われているが、これは女性の立場が弱く、依然として社会進出が難しかった時代に、夫の恣意で離婚を切り出させないようにするためであったという説もある。つまりこれもまた条件依存的、歴史的な文脈によるものだったわけだ。だからこそ、現在の社会的・制度的な問題のアクチュアリティに目を向けるだけでなく、それが形成されてきた歴史とその背後にある思想にまで目を向けなければ、未来のあるべき姿をしっかりと思い描くことはできない。結婚廃止論でも、まして単なる結婚擁護論でもない、新たな結婚の形を描き出すためには、結婚という制度とその背後に潜む形而上学の来し方を知り、行く末を構想する必要がある、というわけである。

↓第2回以降は、こちらからご覧頂けます

藤田尚志(ふじた・ひさし)
1973年生まれ。九州産業大学教授。Ph.D(哲学)。専門は哲学、フランス近現代思想。著書に『ベルクソン  反時代的哲学』(勁草書房、2022年)、共著に『ベルクソン思想の現在』(書肆侃侃房、2022年)、共編著に『愛・性・家族の哲学』全3巻(ナカニシヤ出版、2016年)ほか。訳書にアンリ・ベルクソン『記憶理論の歴史』(共訳、書肆心水、2023年)など。

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